通貨植民地日本とワルとネパール
.谷川昌幸:
ホリエモン弁護論の中で,本物のワルは他にいると書いたら,「それは誰だ」との質問(詰問)が殺到した。大和銀行(りそなHD)株で10倍儲けるくらいの才覚しかなく,本物のワルを自分では説明できないので,ここでは他人のフンドシをかり,説明することにする。
●三國陽夫『黒字亡国』文春文庫,2005
この本を読めば,全くの素人でも,本物のワルの前では,ホリエモン氏がいかに微笑ましく見えるか,そして,ホリエモンにすらなれない自分がいかに脳天気なおバカさんかを,思い知らされるだろう。そして,この本でも,救いはやはりネパール(正確にはチベット)にあり,とされている。
▼植民地インドの教訓
かつて大英帝国は,インドを植民地とし,ポンドを決済通貨とした。
<インド> <イギリス>
資源,産物など → 輸入
代金 ← ポンド
国内使用困難
運用難 → 貯蓄・投資
つまり,イギリスは,ポンド決済を認めさせることにより,公正な商取引を装いながら,インドの富を略奪する巧妙な仕組みを作り上げたのである。
インド人は,せっせと働き,自国の資源や産品をいくらイギリスに輸出し黒字を稼いでも,代金のポンドはインド国内では運用できず,結局は,イギリスに環流する。インドは名目的にはポンド資産を蓄積していても,それはシティ(ロンドン)にあり,実質的にはイギリスのものであり,イギリスを豊かにするために使われた。いかにも英国紳士らしい,上品かつ冷徹なやり方ではないか?
▼通貨植民地日本
この歴史から何も学ばなかったのが,日本。第2次大戦後,独仏は米の通貨奴隷になることを警戒し,ドルを外貨準備としてして蓄積することを止め,結局は,ユーロ圏をつくりあげた。これに対し,日本はバカの一つ覚えのようにドル=紙切れをため込んだ。
<日本> <アメリカ>
アリ国民 キリギリス国民
工業製品等 → 輸入
輸出代金 ← ドル
貿易黒字
ドル資産
国内運用困難 → 国債,社債,株式
↓ ↓
デフレ,生活苦 好景気,消費拡大
過労死 生活向上
▼日本名義カード使いまくり
インド植民地と同じではないか。日本人は,休みも取らずコマネズミのように働き,輸出に励み,賃金は不安な将来のために貯蓄や保険にあてる。
しかし,そうして得た黒字もドルで日本では使えないし,銀行や保険会社がかき集めた金も低金利の日本では運用できず,結局は,高金利のアメリカに環流する。
アメリカは,国際収支がいくら赤字になっても平気だ。いや,赤字になればなるほど,アメリカ国民の生活は豊かになる。
赤字になっても,日本(や中国など)が黒字をドル資産で蓄積しているので,頃合いを見計らって,ドル安にすれば,アメリカの借金は棒引きになる。
著者の三國氏は,アメリカは夫(日本)名義のクレジットカードを無際限に使い,贅沢三昧している悪妻のようなものだという。
独仏は,このカラクリを見抜き,本気でアメリカと渡り合い,ドル依存から脱出した。お人好しの日本は,働き過ぎ,不公平貿易と非難されながら,せっせとアメリカに奉仕している。まるで,奴隷が働き過ぎを詫びながら,ご主人様のために身を粉にして働いているようなものだ。
このカラクリが分かれば,黒字国の日本がなぜこれほどまでに貧しく,赤字国のアメリカが豊かなのかが,容易に理解できる。わが長崎大学を見ても,学生は高い授業料にあえぎ,奨学金はほとんど無く,教職員は競争で脅され,こき使われ,校舎もぼろぼろで,まるで古びた倉庫のようだ。アメリカの快適な大学生活とは雲泥の差だ。
▼救いはネパールに
このワルの悪巧みから脱出する最善の方法は,先述のように,ネパール的生活にある。三國氏は,バタイユの説として,こう述べている。
「まずチベットの例である。過剰な消費の担い手は仏教だった。成人男子3人につき1人の割合で聖職者であり,寺院の予算額は国家予算額の2倍,軍隊のそれの8倍に達した」(p.149)。
つまり,黒字をため込むほど働くな,ということ。輸出向け生産や海外投資ではなく,国内の生活や文化のためにもっと金を使えと言うことだ。
▼60年代までの日本
わが故郷の丹後では,少なくとも60年代までは,ネパール的生活とほとんど変わりはなかった。いまの日本人は,ネパール人は遊んでばかりいて働かないと憤慨するが,日本も同じであった。
わが村では,大人にも子供にも十二分に時間があり,暇つぶしに様々な遊びをしていた。寄り合い,村仕事(遊び半分のボランティア活動),運動会,祭り,囲碁将棋,釣り,海水浴,スキー・・・。そして,遊びは文化だから,文化も多様で豊かだった。
その村の豊かな時間,多様な文化が,高度成長とともに失われ,いまやわが村はサラリーマン化した村人が,低賃金・長時間労働で疲れ果て,帰宅し,翌朝まで寝るだけのベッド・ビレッジとなりはてた。
幸福を尺度として計れば,いまのわが村は,60年代以前よりも,そしていまのネパールの(紛争下にない)村よりも,貧しい。
やはり,救いは,ネパール的生活である。