バブラム博士,茶番のようです
マオイストのイデオローグ,バブラム・バタライ博士は,半年前の3月15日,マルクスを引用し,こう述べた--
「ヘーゲルはどこかで,すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れる,と言っている。ただ彼は,一度は悲劇として,二度目は茶番として,とつけくわえるのを忘れた。」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)
このヘーゲル弁証法は,ネパールにも妥当する。マヘンドラ国王(父)は1960年12月16日,1950年に始まる初の議会制民主主義を軍事クーデターで倒し,全権を掌握した。そして今,2005年2月1日,その息子ギャネンドラ国王が,1990年樹立の第2期議会制民主主義を軍事クーデターで倒し,全権を掌握した。
しかし,よく見ると,2.1クーデターは2001年6月1日の王族殺害事件の継続ないし結末にすぎないことがわかる。このとき,比較的柔軟だったビレンドラ国王とその全家族が惨殺され,ギャネンドラが新王朝を始めたのだ。
ネパール史の2月1日は,フランス史の「ブリュメール18日」のコピーのように見える。悲劇となるか,茶番となるかは,まだ分からない。
--マオイストの知恵袋らしく,よくできたレトリックだ。ただ,半年前なので,バブラム博士は,悲劇になるか茶番になるかはまだ分からないと述べているが,これはどうやら茶番になりそうな気配だ。
現在は,1960~90年とはまるで時代状況が異なる。たとえば1980年代末のカトマンズは,まだまだ牧歌的であり,この時代なら国王専制はギリギリ可能だったかもしれない。しかし,1990年以降の15年間でネパールは激変した。もうそれ以前の専制君主制=ネパール型民主主義には戻れない。
ギリ副首相の憲法否定発言や国王政府の愚かな言論弾圧を見ていると,「王様は裸だ」と思わざるを得ない。老人寡頭制のネパールには,
「王様,裸ですよ!」
と忠告する忠臣はいないのだろうか?
(Baburam Bhattarai, "The Royal Regression and the Question of Democratic Republic," Mar.15, 2005)