ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ガルトゥング提案と包摂民主制の空回り

谷川昌幸(C)

平和学の大御所,ヨハン・ガルトゥング氏が10月30日~11月1日,ネパールを訪問し,平和への提案を行った。

ガルトウング氏の勇気ある平和貢献実績や平和理論(積極的平和)は高く評価しているが,ネパールへの提案は,観念的であり,空回りの感じがしてならない。UWBからの孫引きであり,正確とはいえないが,以下,要点を検討してみよう。(ガルトウング氏のオリジナルテキストが入手でき,誤りがあれば,訂正します。)

Bishnu Pathak and Chitra Niraula assisted by Yashoda Upreti, "Election Theory for Constitutional Assembly in Nepal," United We Blog! for a Democratic Nepal, Nov.4, 2006.

1.ガルトゥング提案へのコメント
(1)武装解除前の政治決着。記事によれば,ガルトゥング氏は,「現状は平和プロセスではなく停戦プロセスだ」とのべ,「政治行程(アジェンダ)の決着以前の武装解除は想像も出来ない」と批判した。
 ――その通りだが,以前に述べたように,人民解放軍は政治交渉の切り札であり,戦争は別の手段をもってする政治(クラウゼヴィッツ)に他ならないから,両者を切り離せよというのは,観念論である。まず停戦,そして政治交渉のほうが正しい。

(2)国家停戦監視委員会等の諸委員会がマオイストと多元的に協力し主要な社会問題に取り組む。
 ――もう委員会は結構。豪華ディナーと報告書が増えるばかり。

(3)「積極的武装解除(positive disarmament)」。破壊された橋,学校などをマオイストと協力し再建(joint reconstruction)。
 ――これはダメだ。国家警察とマオイスト警察の2警察による犯罪取り締まりを見よ。権力の二重構造が深化するだけ。トレッキング税,関税,裁判所など,至るところで二重構造が出来,アナーキー寸前になっている。

(4)マオイスト等からなるチームを遠隔地に送り識字教育を促進。
 ――全くナンセンス。説明の必要なし。

(5)地方行政組織等に指定枠を設定し,女性,青年,ダリットなどを参加させる。
 ――そんな複雑な構造で行政は機能しないし,コミュナル紛争を激化させるだけ。

(6)労働集約的,効率的,環境重視型の適正技術の育成。
 ――その通りだが,グローバル経済への適合が課題。

(7)貧困層の労働に適したニッチ産業の育成。
 ――グローバル経済では非現実的。 グローバル経済がニッチ産業をつぶしているのだ。

(8)インドから連邦制を学ぶ。ただし,平和五原則,内政不干渉は堅持。
 ――そんなムシのよいことは不可能。インド化されてしまう。

(9)アメリカに9・11問題を解決させ,ネパールへの介入をやめさせる。
 ――その通りだが,どのようにして?

(10)マオイスト敵視をやめ,ネパール再建の力として働いてもらう。
 ――その通り。しかし,どのようにして。(3)と同じ危険あり。

(11)これからの和解プロセスを積極的に考え始めること。
 ――その通り。平和実現への希望を失えば,平和はこない。

2.外国の権威に弱いネパール
ガルトゥング氏は立派な平和学者であり,わたし自身,深く尊敬している。しかし,ネパール和平への提案は,UWBが伝えているとおりだとすると,あまり有効とは思えない。

外国の権威からの提案にはたいてい金がついてくるので採用されることが多いが,ネパール政治の基本は結局は変わらない。実利と運命論とが神秘的に絡み合い,ネパール独特の政治世界を作り上げている。急速に変わりつつある面と変わらない面との不思議な複合体。ガルトウング氏の提案は,そこのところをあまり見ていないようだ。

3.包摂民主制はシャハ大王を凌げるか?
これまでガルトウング氏の提案について述べてきたが,UWB記事のメインテーマは,タイトル通り,憲法制定会議選挙の方だ。筆者らは,選挙準備が出来ていない事実を指摘し,各種選挙制度を詳細に比較することによって,望ましい選挙制度を提案している。

結論は,平凡そのもの。「適切な選挙制度はすべての多様性の包摂と比例代表であろう。」西洋で流行(はや,かげりが見えるが)の多文化主義の受け売りだ。こんなものは,ダメだ。なぜか?

各種共同体代表――共同体内民主主義なし。コミュナリズム紛争の危険性大。
政党中心選挙――政党内民主主義なし。ボス支配の強化。
 ・政党名投票
 ・政党候補者名簿投票

地域代表――地域内民主主義なし。国民統合の弱体化。シッキム化。

西欧流行理論のこんな受け売りよりも,憲法の下の万民平等を志向した1990年憲法の代表制度の方がはるかにフランス革命原理に近く,民主的かつ現実的だ。

いや,あえていうならば,最近の包摂民主主義論は,前近代への臆病な後退,ネパールでいえばシャハ大王の議論にも劣るものだ。シャハ大王は,諸民族,諸カーストを国家体制内に包摂するという理念を掲げ,カースト差別,女性差別など時代的制約は多々あるものの,現実的にその実現を考えた。

ところが,いまのネパール包摂民主主義論者たちは,そんなことはほとんど考えず,西欧の流行理論の先取り合戦をやっているにすぎない。

封建制にも戻れず,ネパール版フランス革命にも進めず。むろん,ロシア革命,中国革命については,集団農業などちょっとまねごとをやってみたものの,その社会主義理念はもうすっかり忘れてしまっている。

これがネパール式政治だから,それはそれでもちろん結構だ。ネパール政治文化は奥が深い。ただ私としては,外国の権威に振り回され,多くの犠牲を出すような事態だけは避けて欲しいと願っている。

Written by Tanigawa

2006/11/05 @ 18:28

カテゴリー: 民主主義