ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

長崎市長銃撃:「非政治的」の政治的作為性?

谷川昌幸(C)

銃撃された伊藤市長が亡くなられた。許せない。

詳細はまだ分からないが,この銃撃事件の特異性は,暴力団幹部(山口組水心会会長代行)の犯人が市長襲撃を「私怨」,つまり非政治的理由によるものとしたがっているということ。TV朝日にその旨を述べた文書まで送り,しかし私怨らしからぬ周到さで確実に殺害している。本当に単なる私怨か?

長崎で暴力団や右翼が天皇批判や反戦を理由にテロを行えば,市民は立場を越えて犠牲者側につく。これは他の地域では考えられないほど徹底している。キリシタン弾圧(「沈黙」をみよ)や被爆(「長崎の鐘」など)の過去が,長崎の人々の心に刻まれ,経験として今に生きているからだ。暴力団や右翼も,それをよく知っている。誤解を恐れずにいうならば,襲撃で犠牲者を「英雄」にしてはならないのだ。

まだ確かなことは分からない。が,暴力団幹部の犯人が私怨による非政治的事件にしたがっていることは間違いない。マスコミが安易にこれに乗って,事件を矮小化することは断じて許されない。暴力団幹部が,反核・反軍拡・反戦の長崎市長を,投票日直前に銃撃した――これがそんな単純な事件でないことは明白だ。

ネパールの選挙では,暴力事件ははるかに多い。大きな構造的暴力があることはいうまでもない。選挙の大前提たる「自由(消極的自由と積極的自由)」の保障がない。そうした「自由」がないところでの選挙をどう実施し,何を,どこまで解決するのか――これは,よくよく考えてみるべき課題だ。(4月18日午前10時10分)

Written by Tanigawa

2007/04/18 @ 10:27

カテゴリー: 選挙