ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ネパール政治と「ネパリズム」

谷川昌幸(C)
ネパール政治の現状を見て,外人はそれを異常なこと,改めるべき状態と考えがちだが,本当にそうか? それが異常と見えるのは,外人が自分たちの政治を正常と見て,それを基準にネパール政治を批判し,自分たちの政治に合わせさせようとしているだけではないのか? 
 
サイードのオリエンタリズムをもじっていうならば,それは「ネパリズム」だ。 すなわち,「オリエントに関するヨーロッパ的,西洋的な知の体系であるオリエンタリズム」(『オリエンタリズム』p202)こそが,「オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式」(p4)でありオリエント支配の本質であるとするなら,ネパールに関する西洋近現代的知の体系であるネパリズムは,「ネパールを支配し再構成し威圧するための先進国の様式」ということになる。
 
ネパールにはネパール特有の政治文化がある。たとえば,ネパールの利害調整方法は,日本援助交通信号が出来るまでの交差点や中央分離帯のない道路の交通慣習を観察すると,よく分かる。先方の交差点で渋滞していても,どの車も前へ前へと突き進む。そんなことをしたらますます渋滞することは分かり切っているのに,手前で待つことをせず,少しでも先に行こうとする。しかし,あ~ら不思議,これ以上は絶対にダメとなる寸前に,何とはなく皆の合意のようなものができ,譲り合い,車は流れ始める。
 
あるいは,車線が4つあると,自ずと3:1,2:2,1:3の車線に変更される。中央分離帯をつくって2:2のルールに従わせるのが近代的だが,よく考えると,これは合理的ではない。人々が状況を見て自在に車線数を変え,道路を有効利用するネパール方式の方が,はるかに高度であり人間的だ。一応,2:2と決めてあるが,そんな規則は交通の実態に合わせ,その都度変更すればよい。これは「ルール(法)の支配」ではなく,典型的な「人の支配」だ。
 
ネパールの政治は,まさしくこの「人の支配」。ルール(法)はあっても守らない。私のような近代化された外人は,ケシカランと怒るが,「人の支配」はネパール固有の政治文化であり,こちらの方が高度だ。皆がそれぞれの利害を押し立てて1歩でも前に出ようと突き進む。あわやガチンコ,大変なことになるとハラハラするが,正面衝突寸前で何となく皆の合意ができ,最悪事態は回避される。ハラハラした外人は心配のし損だ。ネパール政治はなかなかしたたかである。
 
いまマオイストも7政党も,声を揃え,民族文化の権利を守れと合唱している。たしかにその通り。ネパールの「人の支配」政治文化は,ネパールの民族文化であり,これは守らねばならぬ。それをケシカランなどという外人は,外国の異文化をネパールに押しつける「ネパリズム」に毒されているのだ。西洋はオリエンタリズムで東洋の魂と身体を根こそぎ搾取した。同じことを外人は「ネパリズム」でネパールに対して行っているのではないだろうか?
 
(写真)ネパリズムの巣窟か?
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Written by Tanigawa

2007/10/20 @ 22:02

カテゴリー: 文化

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