ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

神々の自由競争市場へ? 新憲法の課題

谷川昌幸(C)

1.大浦天主堂のクリスマス・ミサ
大浦天主堂(国宝)のクリスマス・ミサに参列。敬虔なよいミサだった。日本のキリスト教は禁教令の大弾圧で絶滅したと思われていたが,1865年,居留外国人のために大浦天主堂が建設されると,潜伏キリシタンが密かに礼拝に訪れ,ここに劇的な「信徒発見」となる。この教会こそ,日本カトリックの再生の地である。

2.信仰の自由
この由緒ある教会の敬虔なミサに参列していると,異教徒の私にも,信仰の深い喜びがよく感じ取れる。このような信仰共同体に入れば,孤独も不安もいやされ,永遠の生に浴することが出来るのではないか,と。

人にとって信仰は大切なものであり,信仰の自由は絶対に保障されなければならない。だから,信仰の自由は,自由権の中でも最も重要な権利の一つとして,たとえば日本国憲法でも「信仰の自由は何人にたいしてもこれを保障する」(第20条)と無条件で保障しているのだ。

oura2  oura 大浦天主堂 2007.12.24 21:00

3.政治の論理
ところが,一方,信仰が社会現象であることも事実で,教会は政治集団でもある。キリシタン信仰の強靱さ,クリスマス・ミサの敬虔さに深い敬意を表しつつも,もし江戸時代に信仰の自由が認められていたら,日本はどうなっていただろうか,とも思わざるをえない。徳川幕府が恐れたように,おそらくキリスト教は急拡大し,各地で寺社と衝突し,そこに欧米キリスト教国が介入し,日本は他のアジア,アフリカ諸国と同じような運命をたどっていた可能性が高い。信仰の自由の観点からはキリシタン弾圧は許されないが,独立維持の政治的観点からは,それはやむを得ざる選択だったとも言えなくもない。自由と自由,権利と権利が対立するときの選択は難しい。

4.文明の伝道者ド・ロ神父
1859年,長崎が開港され,1873年禁教令が撤廃されると,宣教師がやってきてキリスト教を布教し始めた。潜伏キリシタンにとって,彼らは待ちこがれたローマ教会の神父であり,熱狂的に歓迎されたことは言うまでもない。と同時に,宣教師たちは欧米近代文明の権化でもあった。この頃,彼,我の知力・財力の差は目もくらむばかりであり,宣教師たちは長崎の住民にとって万能の世俗の神のごとき存在だった。

たとえば,遠藤周作の『沈黙』の舞台となった外海には,フランスからド・ロ神父がやってきた。外海は,耕地もない海沿いの僻地。現代的に言えば,最も開発の遅れた極貧の地だった。だからこそ,幕府もキリシタンの潜伏を知りつつ,弾圧のコストと見合わないと考え,見逃してきたのだろう。その外海の潜伏キリシタンや村人にとって,ド・ロ神父は宗教上の神父であると同時に,西洋近代文明の伝道者でもあった。

ド・ロ神父は,1840年フランスに生まれ,1867年パリ外国宣教会入会,1968年長崎へ渡来し,1875年大浦神学校(重文)建設。1879年外海赴任,出津教会司教となる。1882年出津教会建設。1883年救護院創設,授産場,マカロニ工場(重文)建設,パン,マカロニ,ソーメン,織物事業開始。1884年原野開拓開始。1885年鰯網工場,保育所(重文),製粉工場建設,薬局設置。1891年赤痢避病舎設置。1893年大野教会建設。1895年村民救済のための県道工事。1898年共同墓地建設。1901年茶農園建設。1914年長崎市南山手で没。(「ド・ロ神父記念館」パンフレットより)

このように,ド・ロ神父は,外海の人々にとって神のごとき万能の開発の父でもあった。この12月15日,開拓地と牧場跡(写真参照)を見学したが,荒れ地にこれだけの事業をやれるド・ロ神父は,地元民には神の似姿と見えたであろう。神は,長い弾圧の日々を耐えてきた外海のキリシタンのために,ド・ロ神父を使わし,その栄光を現わされた,きっとそう思ったにちがいない。

徳川幕府がキリスト教を恐れたのは,このド・ロ神父のように,それが世俗の知力・財力を伴って日本に上陸したからに違いない。外海のキリシタン遺跡を見ると,幕府がキリシタンに対して抱いた強い警戒心をよく理解できる。世俗の統治者として,それは当然のことといわざるをえない。

de rotz馬小屋跡 sitsu 出津遠景

5.ネパールのキリスト教布教規制
この徳川幕府と同じような宗教政策を取ってきたのが,実はネパールである。1951年開国後もこの政策は継承され,民主化運動後の1990年憲法,さらには現行2007年暫定憲法にさえも,事実上キリスト教を対象とした布教規制の条文が用心深く残されている。そこで,いま注目すべきは,この布教禁止条項が次の新憲法にも残るか否かである。

信仰の自由は基本的人権だ。そんなことは分かっている。では,ネパールを神々の自由競争市場としてキリスト教にも解放するのか?

共和制も重要だが,私にはむしろ,こちらの方が気になる。ネパールは現在,国連管理下にある。新憲法制定に,国際社会(先進国)が驚くほど広く深く介入している。先進国にとっては,信仰の自由は当たり前のことだ。先進国は,トヨタとGMが自由市場で競争するように,神々も信仰の自由市場で競争すればよいと考え,おそらく布教禁止条項を撤廃しようとするだろう。下部構造としての経済の規制緩和・自由化は,当然,上部構造の宗教の規制緩和・自由化をもたらす。これが,ネパール社会にどのような変化をもたらすか?

6.神々の自由競争市場
この信仰の自由市場で,ヒンズー教の神々はキリスト教の神と闘い,勝利することが出来るだろうか? どちらが勝とうが,フェアな自由競争だから,勝った方が正しい,というのが先進国の考え方。これに対し,日本やネパールの歴代為政者たちは,開発格差のあるところでの自由競争は公平ではないとして,布教の禁止や制限をしてきた。

難しいのは,先進国もいまでは途上国の強硬な要求に譲歩し,不本意ながらも各民族に固有文化維持の権利を認めていることだ。文化については,表向きは自由競争市場主義をとらないことになっている。もしこの多文化主義原理に依拠するなら,ネパールの固有文化は何と言ってもヒンズー教だから,ヒンズー教保護,キリスト教布教規制は正当と言うことになる。

では,ネパールはどうするか? 先進国は表向きは多文化主義的文化保護・文化規制に譲歩しているが,これは巧妙な二枚舌,本音は生活全般の自由市場化であることはまちがいない。民主化支援,憲法制定支援で,先進国はキリスト教布教規制の撤廃まで突き進むか? それとも,ヒンズー原理主義を中心とした守旧派が固有文化としてのヒンズー教保護規定を残しうるか? 

この問題がややこしいのは,ネパールには,仏教やイスラム教,あるいは非アーリア系の諸民族がいて,信仰の自由化はこれらの宗教や固有文化にとっては解放となるからだ。全体としてみると,この問題に関しては,先進国=非アーリア系諸民族連合が結局は勝利し,信教の自由が認められる可能性が高い。それが,非アーリア系諸民族の固有文化の維持発展となるかどうかは疑わしいが。

Written by Tanigawa

2007/12/26 @ 15:31

カテゴリー: その他

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