ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ネパール王制と天皇制:苅部直「新・皇室制度論」をめぐって

谷川昌幸(C)

君主制は,ネパールのようにまともに議論もせず安易に廃止すべきではないが,それ自体,民主主義に勝るとも劣らず危険なイデオロギーであることはいうまでもない。利用価値が高いだけに,状況をよく見ないと,それだけ危険も大きい。 (ネパール連邦共和制宣言は暫定決定。正式には制憲議会で決定されることになっている。

たとえば,1月5日付朝日新聞が「異見・新言」欄に掲載した苅部直「新・皇室制度論」を読むと,「これで本当に大丈夫かなぁ?」と不安になる。

1.苅部直「新・皇室制度論」
著者の苅部直氏は東大教授で専門は日本政治思想史。専門家中の専門家といってよい。

苅部氏は,まず久野収が「『天皇崇拝』の意識構造」(1988)において現人神信仰の名残を批判しつつ,皇室存続を次のように説いたことに注目する。

「『天皇制』をめぐる表現の自由は広く認められるべきであり,国際化が進むこれからの日本では,天皇は,『大和民族のシンボル』から,『多民族を含む国家のシンボル』へと変わる必要がある。」(苅部氏による要約)

そして,次のような問題提起をされる。

「どうも,皇室制度をめぐる議論は,二つの極に岐れてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか,あるいは,自由や平等の普遍的な価値に反するものとして,批判もしくは無視するか。たとえば久野のように,多文化社会の到来を歓迎するリベラルな立場から,皇室制度の新しい意義を考えると言った議論は,宙に浮いたようになってしまい,理解されにくい。」

婉曲な表現でちょっと分かりにくいが,要するに,天皇を多文化化する日本国家のシンボルにせよ,ということ,あるいはより正確に言うなら,その可能性を議論せよ,ということであろう。

議論せよ,ということなら反対しづらいが,敗戦以前の日本は多民族国家であり,天皇は植民地諸民族のシンボルでもあった。あるいは,大東亜共栄圏,八紘一宇を信じるなら,天皇はアジアあるいは世界の諸民族のシンボルともなるはずの存在だった。久野氏や苅部氏は,そんなことはもちろん分かった上で議論されているのであろうが,現に植民地支配されていた諸民族にすれば,そのような議論はとうてい容認し難いであろう。そんな議論は,日本における多民族共生どころか,逆に諸民族の不和対立を招くことになってしまう。

天皇はそもそも一民族一文化の象徴として創られたものであり,「多民族を含む国家のシンボル」とはなれないし,またなるべきではない。当面は日本国憲法で限定された役割だけを誠実に果たし,日本の民主主義の成熟とともにその役割も削減していき,いずれは日本の歴史遺産となることが望ましい。日本国天皇に諸民族共和のための積極的機能を果たさせようといった議論は,歴史的に見て誤りであり,また政治的にも賢明とは言えない極めて危険な議論である。

ところが,苅部氏は,婉曲な形で多民族国家における天皇の積極的機能についての議論を勧める一方,天皇に国民の模範としての役割を果たさせよ,とこれは直接的な形で明確に主張される。天皇・皇后の身障者作業場訪問が国会紛糾や官庁不始末と対比され,こうした皇室活動がもっと報道されれば,それが「権力者の行動に関する模範として働く」という。そして,議論をこう結ばれる。

「少なくとも,天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら,政治家や大臣の責任意識は,現状よりもさらに地に堕ち,混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも,十分な意味があると思えるのである。」

これは「異見・新言」欄であり,異論提示それ自体には問題はない。しかし,この議論は,あえて極論するなら,まるで国民を飛び越え天皇に直訴しようとした戦前の青年将校のそれのようだ。民主主義のもとでは政治家も大臣も国民に対して責任を持つのであり,もし天皇に対して責任を持つようになれば,これは一大事だ。

天皇を多民族日本のシンボルとするという議論は誤りだし,天皇を国民や権力者の模範とするという議論は政治的に危険だ。いくら異論とはいえ,そんな議論をしてもたいして意味はないだろう。

2.多文化長崎の巨大日の丸
天皇や日の丸を多民族日本のシンボルとすることの危険性は,長崎を見るとよく分かる。長崎は多民族・多文化の長い歴史を持つ街であり,血まみれの異文化・異宗教弾圧の形跡がまだそこかしこに見られる。

自宅近くに臨済宗春徳寺がある。この地にはかつて別の寺があったが,領主・長崎甚左衛門がキリスト教宣教師ヴィレラにこれを与え,1569年ここに長崎初の教会トードス・オス・サントス会堂が建設され,のちにセミナリオ(中学レベル)やコレジョ(大学レベル)等も設置された。ところが徳川幕府の禁教令により1619年これらは破壊され,そのあとに現在の春徳寺が1651年,移築建設されたのである。仏教→キリスト教→仏教。まるで,インド・アヨデヤのヒンズー教・イスラム教紛争のようではないか。shuntoku  春徳寺

この春徳寺のすぐ近くにシーボルト邸跡があり,ここでは獄死者も出た「シーボルト事件」が思い起こされる。 
siebold   シーボルト邸跡

さて,そのシーボルトにちなんで命名された「シーボルト通り商店街」。規模は小さいが,南国下町風の情緒があり,露天,商店とも価格は安く,買い物はいつもここに行っている。そこに今日(6日)行って,ギョッとした。見よ,この巨大日の丸!
hinomaru  シーボルト通り商店街

長崎は,異民族,異文化,異宗教との対立抗争の歴史が長いだけにイデオロギー過多の地であり,右派も強い。このシーボルト像の下の巨大日の丸は,そうした長崎の様々な異文化・異宗教を全部まとめてこの旗の下に統合象徴させようという日本ナショナリズムの意欲に充ち満ちている。

天皇を「多民族を含む国家のシンボル」とするのは,この巨大日の丸と同じ発想だ。現在の日本は世界一,二を争う民族的,文化的同質性の高い国であり,天皇や日の丸をことさら持ち出し振りかざす必要はみじんもない。そんなものでアイデンティティを強化しなくても,日本の国民国家意識はいまでも強すぎるくらいだ。あえていうなら,天皇や日の丸がなくても,日本は国として十分に存続できるだろう。

ネパールが共和制でやっていけるのなら,日本はその何倍も共和制に適している。ネパール連邦共和制論者には,ぜひとも日本に向けて,天皇制打倒,連邦共和制樹立を訴えていただきたいものだ。

Written by Tanigawa

2008/01/07 @ 09:59