ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ヒラリー卿とエベレストの十字架

谷川昌幸(C)

ヒラリー卿が1月11日,ニュージーランドで亡くなられた。卿とテンジン氏(1986年没)が1953年5月29日エベレスト(サガルマータ)初登頂を達成したことは,歴史に残る偉業だ。これは誰も否定しない。

ところが,エベレストよりも高い天の高みに立つ「天声人語」(朝日新聞1月13日)になると,エベレスト登頂については少々批判的になる。

なぜエベレストに登るのか? 模範的回答は,「そこに山があるからだ」(G.マロリー,1924年エベレスト遭難死)である。「天声人語」も暗にこれを想定し(そしそうでなければゴメンナサイ),この問いへの回答をいくつか紹介している。
・中国人女性登山家:「国家と人民の名誉のために
・ポーランド人女性登山家:「女性の勝利のために
上品な「天声人語」のこと,モロに批判はしていないが,前後関係から,かなりの嫌味と受け取れる。

さて,そこでヒラリー卿。「そこに山があるからだ」の崇高な登山哲学,登山倫理からすると,「天声人語」氏は率直には初登頂を賞賛できないらしい。

「登山がナショナリズムと結びついていた20世紀半ば,『大英帝国』の威信を背負っての初登頂だった。」

その通りであろう。アメリカを「新大陸(処女地)」とみなし,ここを「征服」し,旗を立て,命名し,先住民を追放,虐殺し,自分のものとする。イギリスは,この近代国家ナショナリズムの覇者だったが,20世紀にはいると落ち目となり,その挽回を大英帝国登山隊に託し,はからずもメンバーの一人のヒラリー卿が初登頂に成功したと言うことだろう。植民地生まれのヒラリー卿が,宗主国イギリスの旗を世界最高峰エベレストに立てた。世界史の授業に使えそうな興味深い話しだ。

むろん,ここまでなら周知の事実。登山史の素人の私が「天声人語」で教えられビックリ仰天したのは,「ヒラリー卿が小さな十字架を置いて去った頂」という指摘だ。登山史ではよく知られたことかもしれないが,不覚にもこんな重大な事実があるとは知らなかった。

ヒラリー卿の偉大さは認めた上で,この宗教行為は,断じて容認できない。「十字架を置く」とは,無主地エベレストをキリスト教徒が「征服」し,そこを「キリストに捧げられた地」とすることだ。

エベレスト周辺に住むのは,ヒンズー教徒,仏教徒,伝統的宗教を信じる人々だ。彼らにとって,エベレストは神聖な山だったはずだ。そこに,外国からノコノコ出掛け,「征服」し,十字架を置いてくる。許されざる暴挙だ。ネパール政府は,エベレストの「世俗化secularization」を要求すべきだ。

むろん,登頂者がそれぞれの国旗,礼拝物を自由にもっていけばよい,という意見もあろう。そうなると,いずれ近いうちに,エベレスト山頂は十字架や鳥居や仏塔が林立することになる。それがどのような状況かは,長崎平和公園の卑近な実例を見れば,よく分かる(拙稿「原爆投下と二つの歴史修正」月刊まなぶ,2007.10参照)。エベレスト山頂をこんな惨めな状態にしてよいのか。

朝日「天声人語」は天の声であり,また当然「なぜ山に登るのか? そこに山があるからだ」という登山倫理を熟知しているはずだから,ヒラリー卿がナショナリズムとキリスト教の先兵となったこと,あるいはその役割を担わされたことを指摘せざるをえなかったのだろう。

以上は,私にはこう読めた,ということ。もし「天声人語」氏に批判的意図はないということであれば,私の勝手な深読みです。もしそうなら,ゴメンナサイ。

Written by Tanigawa

2008/01/14 @ 13:41

カテゴリー: 文化