ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

死者をめぐる神仏の争い

谷川昌幸(C)

桜が8分咲きになったので,近くを散歩した。長崎は狭い港町で,長崎駅の東側にもすぐ山が迫り,人家が山頂付近まで連なっている。そこを歩いてみた。

以前から,長崎は墓の多いところだなぁ,と感じていたが,いや,びっくりした。長崎駅の真正面,歩いて数分の所から山の中腹にかけて,びっしり墓が並んでいる。壮観といってよい。

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ヒンズー教のように,火葬後,灰をガンジスに流してしまえば,魂は天に昇り,地上のどこかにとどまることはない。

ところが,キリスト教や中国経由の日本仏教は,そうはいかない。未練たらしく地上に墓をつくり,天国から魂が降りてきて土葬した自分の死体に入りよみがえることを期待したり(キリスト教),墓碑を建て,それを目印に降りてきてもらおうとしたりする(仏教)。

長崎には,そのような死者たちの大団地が,駅前5分の一等地にある。死は神聖なものだが,目前の墓地パノラマをみると,神聖さよりもむしろ,死者たちの怨念大合唱が聞こえてくるような気がする。

死者の近くには,当然,死者の要望に応える神仏が居を構え,宣伝している。この神仏ももちろん神聖なものだが,墓地パノラマ周辺に寺,神社,教会等々が立ち並んでいるのを見ると,他の顧客商売と大差ないなぁ,とつい不敬なことを思ったりしてしまう。

墓地の桜は八分咲きがよい。生の側から死を見ることが出来るからだ。満開後だと,死に引き寄せられ,神仏の顧客となってしまいそうな気がする。

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Written by Tanigawa

2008/03/29 @ 19:04

カテゴリー: 宗教