ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

チベット報道規制:国王より怖いネパール「人民」

谷川昌幸(C)

ネパールのマスコミは,いま,真綿で首を絞められるようなソフト全体主義的言論統制に向かっている。そう,チベット自治要求運動の報道がネパールではほとんどないのだ。

1.チベット自治要求デモの無視
3月31日,カトマンズで中国チベット弾圧に抗議しようとした数百人の人々が,警察に阻止され,なんと259人(うち女性118人)が逮捕された(共同)。

むろん,世界中で報道され,抗議の声がわき起こっている。それなのに,ネパールの主要英字メディアは,ほぼ無視。準官報ライジングネパール,巨大メディアのカトマンズポスト(カンチプル),ネパールニューズコム(マーカンタイル),そしてザ・ヒマラヤン。記事があっても,ちっぽけな,おざなりなものだ。言論統制されているのだ。

2.国王よりも悪質な「人民」
ギャネンドラ国王は,2005年2月クーデター以後,しばしば言論統制した。新聞,テレビ・ラジオばかりか,インターネットや携帯も切断した。ケシカランが,愛嬌があり,「あぁ,やってる,やってる」と世界中の人々を楽しませてくれた。

ところが,2006年4月革命で「人民」が権力をとり,「人民」主権(loktantra)政府となると,言論統制は「人民」が行うようになった。これは,国王の子供っぽい,どこか憎めないところがある言論統制とは,質が違う。隠微で不気味な本物の言論統制なのだ。

手元に原本がないので正確には引用できないが,かつてJ.S.ミルは『自由論』の中で,最も恐ろしいのは人民が権力を握り人民自身を専制的に統治することだと警告した(社会的専制,民主的専制)。国王や貴族の専制なら,まだ逃げ場があるが,「人民」が人民自身に対し専制を始めると,もはや逃げ場はない。スターリンや専制化以後の毛沢東のような,全体主義的言論統制となる。いや,スターリンも毛沢東もネパールには現れそうにないので,もっと悪質隠微な「人民」統制となりかねない。

3.中国憲法とチベット弾圧の近代的合理性
中国は「人民民主主義独裁の社会主義国」であり,「すべての権力は人民に属」し,それは「民主集中制の原則」に則って行使される(憲法第1,2条)。民族問題も,この論理により解決されている。

「中華人民共和国は全国の諸民族人民が共同で創立した,統一された多民族国家である。平等,団結,互助の社会主義的民族関係はすでに確立しており,引き続き強化されるであろう。民族の団結を守る闘争の中では,大民族主義,主に大漢族主義に反対し,また地方民族主義にも反対しなければならない。国家は全力をあげて全国諸民族の繁栄を促進する。」(中国憲法前文,『アジア憲法集』)

つまり,中国には多くの民族がいるが,それらは社会主義的に統一され,「人民」となり,この「人民」が「民主集中制」により「独裁」を行っているのだ。

このように,中国は憲法で民主集中制の「独裁」国であると,正々堂々と高らかに宣言している。隠れて,こそこそやっているのではない。これこそ,中国の「国家理性(国家理由)」なのだ。だから,チベット自治(あるいは独立)要求を「独裁」的に弾圧しても,国家理由には何ら反しない。目的と手段が完全に適合している。中国のチベット政策はきわめて合理的・理性的なのだ。

先進諸国は,日本も含め,同じことを,中国よりももっと大規模かつエゲツナイ形でやってきた。だから,先進諸国がやり終えたことを,いま中国がやっていても,先進諸国には,それを一方的に非難することはできない。もし中国を非難するのなら,自分たちの過去を反省し,謝罪し,損害賠償してからにすべきだ。

4.「人民」ネパールの非合理性
この中国の合理性に対し,あまりにも惨めなのが,ネパール。

「ネパールは独立,不可分,主権的,世俗的,包摂的,完全民主的国家である。」(暫定憲法第1条)

近代的国民国家にもなれず,多極共存型ポストモダン国家にもなれず。前近代国家ネパールを先進国ポストモダン専門家たちが,よってたかっておもちゃにしている。中国の「独裁」は恐ろしくて手が出せないので,弱小国ネパールに目を向け,素朴,無防備な国王「独裁」を血祭りに上げ,ポストモダンの実験場にしているのだ。

かくして,ネパールは,国家理由をもたない(奪われた)非近代的国家になった。では,どうやって国家権力を正当化し,権力行使をするか?

ポストモダンの得意技は,権力行使の主体を隠し,隠微な形でやらせることだ。(ポストモダンは「匿名権力」も批判するが,批判してみたものの,かえって開き直り権力や匿名権力を野放しにしただけだ。) つまり正体不明の「人民」,いやこれですら彼らは嫌い「誰か分からぬが誰か」に,権力行使させるのだ。中国「人民」は「民主集中制」により「独裁」をやる立派な近代的主体的「国家国民」だ。ネパールの「人民」はそうではない。ネパールには多くの諸国民(nationalities)がアナーキー状態で雑居しているにすぎない。ネパールの「人民」は,半中世的・半ポストモダン的な,非主体的無責任「人民」だ。

5.ネパール言論の「人民」的統制
いまのネパールでは,この正体不明の「人民」がチベット自治問題に関する情報の統制をしている。なぜ,ジャーナリストは,これを問題にしないのだ。

こんなことなら,北朝鮮・主体思想にもとづくマニク・ラル・シュレスタ教授の反中国活動取締擁護論のほうが,はるかに立派だ。

Written by Tanigawa

2008/04/01 @ 12:29

カテゴリー: 民族

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