ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

外在的批判の宿命:石川栄吉『欧米人の見た開国期日本』をめぐって

谷川昌幸(C)

開国期日本には多くの欧米人が訪れ,様々な観察記録を残した。この本は,それらの記録を分析し,まとめたもので,当時の日本がどう見られていたかがよく分かり,たいへん興味深い。

著者の石川栄吉(1925-2005)は社会人類学者で,本書『欧米人の見た開国期日本:異文化としての庶民生活』(2008, 風響社,2500円)以外にも,『南太平洋物語』(1984,毎日出版文化賞),『海を渡った侍たち』(1997)などの著書がある。

この本を読んで忸怩たらざるをえなかったのは,ネパールの内在的理解などとかっこつけていても,所詮,私の議論は当時の欧米人の態度とそっくりな点だ。開国期日本の人々が,高慢無礼な西欧人に抱いたのと同じような感情を,ネパールの人々も私に対して感じている――そう思うと,いたたまれない思いだ。

ネパールについては,すでにネパール人自身が日々大量の情報発信をしている。日本語情報発信も,現れ始めた。とくに次のHPは今後の発展が注目される(「けぇがるね?日記」参照)。
  ・Dip’s Page http://dipnepal.web.fc2.com/
  ・Jigyan Thapa’s Diary http://www.jigyan.info/

日本人,とくに日本からのネパール情報発信は,ネパール文化の機微を知り尽くしたネパール人自身のそれには到底およばない。いくら正確であろうとしても「ちょっと違うよね」といわれるにちがいない。別の意味で,ネパールについて語ることは難しくなった。では,どうするか? この問題を考えるにも,この本は,たいへん参考になる。

1.みだらな日本人
本書によれば,私にとってと同様,欧米人にとっても,関心事は政治や芸術よりも,まずは性事(性治)であった。欧米人は日本の性的破廉恥に驚き,あきれた。

(1)混浴
男女混浴は,当時はごく自然なことであった。現代でも,東北ではあちこちで見られる。私自身,山形に務めていたとき,温泉に行くと,若い女性が平気で入ってきた。ゼミ旅行でそれほど古くない大きな旅館に泊まったときも,入口は別でも中にはいると混浴で,女子学生と鉢合わせしそうになり,あわてて退散したものだ。

この男女混浴は,欧米人には理解を超えたみだらな習慣と移った。「浴場の中には,男と女(その中には若く美しい娘もたくさんいた)が,ごっちゃにいるのを発見した。」「日本のように,男女両性がこれほど卑猥な方法で一緒に生活する国は世界中どこにもない」(リュードルフ日記,本書47頁)。

(2)裸体
浴場ばかりか,屋外でも,日本人は裸体を平気で人目にさらしていた。ポンペ医師は,夏の長崎では男女が湯屋から自宅まで裸で歩いて帰るのをしばしば目撃しているし,江戸でも男女が裸で湯屋から外に出てくることがよくあったという。

湯屋以外でも,男の褌姿,女の腰巻き姿は,夏では一般的であり,これが欧米人には羞恥心,道徳観念の欠如と映った。

(3)売春
日本各地に公認,非公認の遊郭や女郎屋があり,大繁盛しているのも,欧米人には驚きであった。

特に売春行為について,客の男にも身体を売る女の側にも,さしたる罪意識がなく,年季明けか身請けで自由となり,結婚して幸福に暮らすことができたし,才色兼備の遊女は称賛され良家に身請けされた。これも,欧米人には驚きであった。

ついでながら,日本人が売春にたいした罪悪感を持たなかったことは,第二次大戦敗戦直後,占領軍向けの「特殊慰安施設」を日本政府が全国各地に早々と開設したことを見てもわかる。売春防止法の制定は昭和31年。

(4)畜妾,一夫多妻
日本では,大正天皇からして明治天皇の側室の第3子だから,畜妾は常識であり,明治31年まで公認されていた。妻妾同居も多く,実質的には一夫多妻制に近い。徳川家斉は側室40人,子供55人だったという。これも,キリスト教的「純潔」と一夫一婦制を建前とする欧米人には,好色淫猥と見えた。

2.不誠実な日本人
異文化について,性の次に問題になるのが,交渉事の要である誠実さである。欧米人は,この点についても,日本人の不誠実を激しく非難し,軽蔑した。

ペリー艦隊通訳官ウィリアムズによれば,日本人は「野蛮人」である(本書158頁)。こうした観察は無数にある。「なんとかして真実が回避され得るかぎり,決して日本人は真実を語りはしないと私は考える。率直に真実な回答をすればよいときでも,日本人は虚偽をいうことを好む」(ハリス,本書160頁)。「日本人の悪徳の第一にこの嘘をつくという悪徳をかかげたい。・・・・彼らは,東洋人のなかではもっとも不正直でずるい」(オールコック,本書163頁)。

3.欧米人と日本,私とネパール
本書では,これ以外にも,日本人の容姿,服装,飲食,住居,技芸などについての欧米人の見方が幅広く分析,紹介されている。また,日本文化に対する外在的批判だけでなく,内在的な深い日本文化観察の事例もたくさん紹介されている。

しかし,全体として,欧米人の日本観が圧倒的に欧米文化を基準とするものであったことはいうまでもない。彼らは,自文化の高みから開国期日本を見て,野蛮,淫猥,不道徳,嘘つき,不誠実と非難し,蔑視したのである。

このような欧米人の日本蔑視は,愛国者たる私には耐え難いものだ。自分たちの生き方をよそ者に悪し様にけなされ,バカにされるいわれはない。「いやなら日本に来るな!」とそう叫びたい。

しかし,自分自身のことを少し振り返ってみると,私のネパール論は,まさにこれと同種のものであったことに愕然とする。欧米人が開国期日本に見たものと同じようなものを私はいまのネパールに見て,欧米化した日本の高みから,それらを蔑視し非難している。「いやならネパールに来るな!」とネパール人が怒って当然だ。では,どうすればよいのか?

4.異文化理解の心得(石川)
本書の著者,石川栄吉は「おわりに――異文化理解の心得」において,次のように述べている。

(1)一般化の危険性
“ちょっとした印象や経験を安易・性急に一般化してしまうことの危険性は、われわれ自身異文化に接した場合によくよく自戒すべきことである。”(220頁)

(2)自文化絶対化の誤り
“何の情報も持たないままに初めて異文化に触れた場合、われわれは何を手がかりにその異文化の理解を試みるかといえば、言うまでもなくそれは、自分がその中に生まれ育った自分たちの社会の文化である。自分たちの文化を物指しにして相手を測るわけである。その際、世界には多種多様な物指しがあり、自分たちの物指しはその中の一つに過ぎないことを自覚せずに、世界には自分たちの物指しただ一つしか無いとか、かりに多種多様な物指しがあるにしても正確なのは自分たちの物指しだけだ、と思い込んで測定に当たるならば、それに外れたものはすべて異常もしくは誤りと目されてしまうことになる。」”(221頁)

(3)異文化理解の心得
“要するに異文化理解に際して心すべきことは、自文化を絶対視してこれに外れた異文化を蔑視し、無用の優越感に浸ることと同じく、異文化を絶対視して徒に自文化を卑下する愚に陥らぬことである。効率主義にせよ何にせよ、とにかく或る特定の視点に立ってでないかぎり、自文化と異文化との間に優劣の評価を持ち込むべきではない。視点を変えれば評価が逆転するのは何も珍しいことではない。
 自文化を相対視したうえでの「自文化に照らせば」という異文化理解の視点は、同時に自文化の再発見、再認識の視点でもある。自己は他者と照らし合わせることによって初めて自己認識ができる。異文化理解は自文化理解と表裏一体である。”(224-225頁)

5.寛容の限界
石川の「異文化理解の心得」は穏当なものであり,無自覚な自文化中心主義や無反省な近代化論などよりは,格段に優れている。が,問題はむしろここから始まるのではないか?

「異文化を異文化として容認する寛容さ」とは,要するに文化相対主義であり,これについては石川自身がこう述べている。

“もともと異文化理解など出来なくて当然なのかもしれない。それでなおかつ異文化間の協調を保つためには、世間は他人ばかりであるのと同様に世界は多様な異文化の集合体であることを承知したうえで、己の文化、己の価値観を絶対視して異文化を評価することをせず、ましてや己の文化や価値観を相手方に強要することなく、異文化を異文化として容認する寛容さこそが肝要であろう。そのうえで押しつけではない協調点を探ることが国際交流とか国際化の前提である。世界の諸文化の画一化が国際化なのではない。画一化はむしろ人類文化の衰退である。”(226-227頁)

たしかにそうだと思う反面,このような「寛容」な立場を取れないのが人間であり,文化の特質なのではないか。石川自身,「異文化理解など出来なくて当然」といいつつも,それは「国際協調の問題」,「押しつけではない強調点を探る」といった助言でお茶を濁している。しかし,以前にも議論したように,「自文化を相対視」してしまったら,他文化は見えなくなってしまうのではないか? 本当の「寛容」は,そのような「仲良きことは美しきこと哉」といった甘いものではないのではないか?

たとえば,一夫一妻家族の隣に一夫多妻(あるいは一妻多夫)家族が移ってきたとき,そのような「寛容」を保てるか? おそらく,無理であろう。人は,自文化を大切と思えば思うほど,他文化に対してはこのような意味での「寛容」ではあり得ない。

私たちが,異文化に関心をもち,自文化を基準にそれを評価するのは,いわば業(ごう)であり宿命である。理解できない「他者」の闇がそこにある。理解できないものと,どのようにして「協調」するのか? これは難しい。人間の宿命的な業(ごう)としかいいようがない。

私のネパール論も業のようなものだ。ネパールの人々に余計なお節介だ,と怒られても,関心をもってしまったのは宿命であり,ギリギリのところでは私自身の立場からネパール文化の批判をせざるをえない。内在的理解に努力しつつも,結局は自文化という外からの批判にならざるをえない。因果だが,それが業であり宿命だから,致し方ない。

Written by Tanigawa

2008/07/30 @ 12:24

カテゴリー: 文化