クマリの世俗化,そして失業
谷川昌幸(C)
クマリも当然,神性を奪われ,世俗的見世物に落ちぶれるのがいやなら,失業するしかない。8月18日,最高裁がクマリ公益訴訟の判決を出した。それによれば,「クマリが,子供の権利条約の保障する子供の権利を否定されるべき根拠は,歴史的文書にも宗教的文書にもない」のであり,したがってクマリには他の子供たちと同様の教育の自由,行動の自由,食事の自由などが認められるべきだ,という。これは原告プンデビ・マハルジャンの主張通りである。
草木も判事もマオイストになびく。マオイズムからすれば,これは当然の判決であり,これでプラチャンダ首相のインドラ祭参加,クマリ拝跪はなくなった。最高裁がお墨付きを与えたのだ。めでたい。(注)
世俗化の影響は,クマリにとどまらない。他の護国諸宗教は,これから衰退に向かう。神々の大量失業時代だ。失業して怒るのは神も同じだが,怒ると,人間より怖い。
しかし,これはすべての神々の没落,失業ではない。封建的な古い神々に替わり,近代的な新しい神々が登場する。その頭目がマモン神だ。ミスコンを司るのも,このマモン神。
さて,そこでマオイストはどうするか? 封建的,反人権的なクマリ神は,たぶん見捨てるだろう。しかし,マモン神までつれなくできるだろうか? 共産主義はツチとカマでマモン神を退治するはずだったが,もしミスコンに拝跪するようであれば,看板に偽りあり,ということになる。これは見物だ。
* nepalnews.com, Aug.19; eKantipur, Aug.19.