ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Ganatantra=Guntantraとインドラ祭

谷川昌幸(C)
 予想通り,ヤダブ大統領がインドラ祭に参加し,クマリ神の祝福を受けた。ジャー副大統領も参加。プラチャンダ首相は,新聞で見るかぎり,参加しなかったようだ。(同日,インド参拝出発。)筋を通したプラチャンダ首相はエライとはいえるが,だからといって政権指導者としての政治責任を免れるわけではない。
 私はマオイスト政権のこの歴史的裏切りを幾度か予告し,この目でしかと確認するはずだったが,残念ながらタライでトラを追い回していて,カトマンズに戻るのが遅れ,直に目にすることはできなかった。
 
1.Gana-tantra(人民支配,共和制)
 ネパールは民主共和制を宣言し,大統領はgana(人民)から選ばれ,国家代表者として人民全体を代表する。人民の中には,イスラム教徒,キリスト教徒,無宗教者等々もいる。おまけにネパールは世俗国家を宣言している。その国の大統領が,特定の宗教儀式を遂行できるはずがない。
 以前はネパールはヒンズー国家であり,国王はビシュヌ神化身であったから,国王のインドラ祭参加には原理的には何の問題もなかった。
 このヒンズー教国家を原理的に否定したのが,マオイスト。世俗国家を唱え,それを暫定憲法に書き込み,法的にも確定した。
 それなのに,なぜ自分の拠って立つ根本原理を否定するようなことを平気でやるのか? そして,なぜ知識人やジャーナリストは,それを批判しないのか?
 
2.クマリの人権
 マオイストのもう一つの大原則は,被抑圧者,特に子供と女性の人権回復・保障だ。人民裁判の最大のウリは,被抑圧女性の夫や家族からの解放だったし,ミスコンにも反対してきた。
 クマリは,ネパールの子供・女性抑圧差別の象徴だ。いたいけない少女を生き神様に仕立て,自由を奪い,閉じこめて飼育し,見世物とする。マオイスト理論からすれば,こんな非人間的迷信が許されるはずがない。(私自身は唯物論者でもマオイストでもないので,クマリ信仰の文化的意義を大いに認めている。)
 それなのに,マオイストのマハラ情報相支配下のライジングネパール紙が1面に誇らしげに掲載している写真を見ると,構図そのものは王制時代と何ら変わらない。国王が大統領と入れ替わっただけだ。
 しかし,精神的には根本的に違う。王制時代は,原理的,憲法的には何の矛盾もなく,国王のクマリ礼拝を安心して見ていられた。
 ところが,いまや合理主義の唯物論者が女神迷信を信じ,偶像厳禁のムスリム代表でもある大統領が生き神偶像クマリを礼拝する。こんな堕落・退廃は許されない。ソドムとゴモラも近い。
 
3.Gun-tantra(銃の支配)
 結局,マオイストのイデオロギーは,gun-tantra(銃の支配)ではないか。もともとganaは「兵隊」の意味らしく、古代ギリシャのように武士=市民ならgana-tantraは「共和制」となる一方、「武士=銃支配」ともなる。語呂合わせには違いないが、意味深だ。
 マオイストは唯物論で,精神文化と真摯に対峙しないから、gana-tantraは容易にgun-tantraとなる。
 クマリは,本来,gun-tantraを回避するための文化的装置として歴史のなかで育成されてきたものだ。その文化的意義を評価できないのなら,少なくとも世俗共和国政府は政教分離を厳守し,クマリ信仰を庶民のもとに返すべきだろう。
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Rising Nepal, 15 Sep.2008
 

Written by Tanigawa

2008/09/16 @ 13:23

カテゴリー: 文化