ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

タライの魚釣り少年たち

谷川昌幸(C)
 タライ農村をトヨタ四駆で走り回ってビックリした光景の一つが,魚釣りをする子供たちだ。ジリジリ焼けるような炎天下,いたるところにいる。4,5歳から14,15歳の男の子,中には女の子も大人も混じっている。
          1.
 平日も,土曜(休日)も同じだから,学校には行かず魚釣りをしているのだろう。初めは,子供たちが遊んでいるのだと思った。しかし,直接聞いたわけではないが,どうもそうではないようだ。
 雨期末期で水たまりはいたるところにある。大きな河,小さな水路,ため池,そして何と水田の中。そのような水面に子供たちが糸を垂れている。竿はみな木の枝か竹だ。釣れているのは,15センチ前後の小さな魚。そのエラから口に草を通し,左手に持ちながら,右手で竿を操作している。
          2.
 私も,近所の友人たちも,小学生の頃はみな同じようなことをしていた。塾などなく,学校の勉強もする必要がなかったから,冬以外は毎日のように魚釣りに行った。夢のような黄金の少年時代。
 私と仲間たちは,魚釣りを遊びとして楽しんでいた。いかに大物を釣り上げるかが,競争だった。数十センチもの大ナマズを釣ったときは,興奮で夜も眠れず,タライで飼い,友人たちに自慢したものだ。釣った魚を食べることは,ウナギを除けば,ほとんどなかった。ただただ遊びとして大物を追い続けた。毎日,毎日,10年あまりも。わが村では,子供たちはみな自然児エミールだったのだ。
          3.
 当初,そのわが黄金時代をタライの魚釣りする子供たちに重ねてみていたが,その数のあまりの多さに,ハッと気がついた。これは遊びではないのではないか? 子供たちは食用のために魚釣りをしているのではないか?
 直接,たしかめたわけではない。しかし,たぶん間違いない。よく見ると,何人かが協力して,水路に堰をつくり,水をかい出し,魚取りをしている子供たちもいる。明らかに食用だ。
 同じことをしていても,遊びと生活のためでは,天地の差がある。遊びをいくら一生懸命やっても本質的に自由であり,よろこびだ。これに反し,生活のための労働は必要への服従であり,苦役だ。
          4.
 少年時代の私の魚釣りが自由の極致であったのに対し,タライの子供たちのそれは生活の苦役だ。――この現実に気づいたとたん,自分の脳天気を深く恥じた。
 どの少年も釣果は小魚数匹から十数匹。生活のため学校へも行かず,これだけの魚を釣るため,炎天下で釣りをする。
 その心情はことばでは推し量ることすら難しい。それは,たとえば「大樹の歌」のような映像をもってしてはじめて,かろうじて表現され伝えられるものだろう。
80916fishing
タライの水田とため池。水色や白の蓮の花が一面に咲いている。お釈迦様の生誕地らしい。

Written by Tanigawa

2008/09/20 @ 20:28

カテゴリー: 文化, 旅行

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