ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

A ・ センのセキュラリズム擁護論

谷川昌幸(C)
Secularismは,「世俗主義」であり「政教分離主義」だが,先にも述べたように,南アジアでは,一般にコミュナリズム(宗教対立主義)の反対概念と受け取られている。世俗主義あるいは宗教不介入政治のニュアンスの強い西洋や日本とは,相当異なっている。
 
 この点について,面白い議論をし,南アジア型政教分離主義を擁護しているのが,A・センだ。彼は,大著『議論好きなインド人:対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店,2008)において,次のように述べている。
 
 「インドの政教分離主義の形態は,西洋の一部で政教分離主義が定義されるやり方と完全には同じではない。宗教的な多様性に対する寛容は,インドが,時代をおって挙げるなら,ヒンドゥー教徒,仏教徒,ジャイナ教徒,ユダヤ教徒,キリスト教徒,ムスリム,パールシー,シク教徒,バハーイー派などの共通の家となってきたという事実に暗黙のうちに示されている。」(p43)
 
 では,インドを諸宗教の「共通の家」とするとは,どのようなことか? 以下,彼の記述に沿って,見ていくことにしよう。
 
 
 センによれば,インドのセキュラリズム(政教分離主義)は「多様性の豊かさを良しとする断固とした姿勢」をもち,「多様性に対する寛容」の実現を目指している。それは,政治の宗教への関与禁止というよりは,むしろ諸宗教への国家の中立・公平な関与を意味している。
 
 こうした考え方は,すでにアショーカ王(紀元前268-232年頃)やアクバル大帝(1542-1605)の頃から見られた。アショーカ王は「人は,己の宗派に敬愛をささげ,他人の信条を理由なく貶めてはならない」と述べているし,アクバルも「何人も宗教を理由として干渉されてはならず,だれもが自分に好ましい宗教を選び取ることが許されるべきである」と述べている。
 
 こうした観点からすると,かつてのフランスのように,セキュラリズムを根拠にスカーフ着用を禁止することは出来ない。個人がどの宗教をもち何を着用しようと,セキュラリズムそれ自体では,それを禁止できないのである。
 
 インドのセキュラリズムは,国家の宗教関与禁止ではない。国家は宗教に積極的に関与しても,中立・公平でさえあればよい。
 
 「一つの宗教集団の信仰の権利を保護し,それ以外を保護しないといった,不均衡な関与でないかぎり,宗教的自由のために国家が熱心に活動することは,政教分離主義原則の侵犯ではない。」(p489)
 
 
 しかし,このインド型セキュラリズムに対しては,当然,様々な批判がある。センは,そのそれぞれに対し次のように批判し,インド型セキュラリズムを擁護していく。
 
 (1)「非存在」批判
 これは,インドには実質的にはセキュラリズムなどなく,現実にあるのは「ヒンドゥーのインド」「ムスリムのパキスタン」にすぎない,という批判。
 
 センによれば,たしかにこれはある程度事実だが,だからといってセキュラリズムが無意味であるわけでも,否定してよいというわけでもない。インド独立のとき,パキスタンはイスラム共和国となり,インドはセキュラリズム(政教分離主義)を採った。この違いは,やはり決定的に大きい。
 
 パキスタンでは,イスラム教冒瀆罪があり,国家元首はムスリムでなければならない。これに対し,インドはセキュラリズムの憲法をもち,パキスタンのような冒瀆罪はないし,非ヒンドゥー教徒も多数国家要職に就いてきた。セキュラリズムは機能してきたのだ。
 
 この「非存在」批判は,インド・セキュラリズムは不完全だから,もっとその目標に向かって努力せよ,という意味に理解すべきだ。また,諸宗教に対する国家の中立も,具体的にどうすべきかは,明確ではない。この点についても,もっと政策的に明確にせよ,という要求として理解すべきだ。
 
 たとえば,センは冒瀆罪について,こう問いかけている。(A)すべての宗教を対象に冒瀆罪を適用するのも,(B)どの宗教に対しても冒瀆罪を適用しないのも,どちらも宗教に対する国家の態度としては平等だ。では,国家はどちらの態度を選ぶべきか?
 
 Aをとれば,国家はどの宗教についても,他からの攻撃からその宗教を守ることが出来るが,その反面,もしその宗教が不寛容や人権侵害をしている場合,国家はそれを守ってしまうことになる。これに対し,Bをとれば,宗教は他から攻撃されても,国家から守ってもらえないことになる。
 
 さらに,インドのように多くの宗教があると,冒瀆罪の普遍的適用は実際には無理だ。 結局,インドは,AとBの間のどこかを選択せざるをえないことになる。
 
 (2)「えこひいき」批判
 これは,セキュラリズムは,結局は,マイノリティとしてのムスリムを優遇するものにすぎない,という批判。たとえば,一夫多妻について,ヒンドゥーは処罰されるのに,ムスリムはイスラム法により許されてしまう。ムスリムだけに彼らの家族法や「特権」が認められるのは,「えこひいき」だ,ということである。
 
 しかし,センによれば,ヒンドゥーは「ヒンドゥー家族法」をもつのであり,ムスリムが「ムスリム家族法」をもったとしても,差別にはならない。この場合,差別があるとすれば,それは女性に対する差別だ。一夫多妻禁止は,独立後,インド人自身がヒンドゥー法改正(1955,56)により実現したことだ。
 
 インドでは,アンベードカルらが「民法・刑法の基本的統一」を求めたが,憲法では結局,「国家政策の指導原則」の中で,「国家は国民に対してインドの領土全域にわたる統一民法典を確立する努力を払わねばならない」と謳ったにすぎない。
 
 これは難しいところだ。センもこういっている。
 
 「不均衡な取り扱いという一般的な問題は,たしかに重要であり,あらゆる集団に属する個人にひとしく適用される一連の統一民法典を作成する努力には,何ら非政教分離主義的なものはない。他方で,この篇ですでに論じたように,政教分離主義の原則は,異なる宗教集団が均衡をもって取り扱われるかぎりは,集団ごとに異なる民法が将来にわたって維持される状態をも容認するのである。後者の選択肢への反論としては,正義への配慮をもちだすこともできよう。つまり,たんに異なる宗教集団間の取り扱いにおける均衡だけでなく,宗教以外の分類上の差異,たとえば,異なる階級間,女性と男性間,貧者と富者間,「エリート」と「下層民衆」間で適用される公正さにも,均衡が要求されるべきであるとするのである。」(p503-4)
 
 「私たちは,(1)異なる宗教集団間の均衡の必要性(政教分離主義的配慮の一つ)と、(2)均衡がいかなる形態をとるかの問題,つまり正義の諸原理によって補強されねばならない課題とを,とりわけ厳密に区別せねばならない。そしてこれらの原理はさらに政教分離主義を大きく超えて,一方で宗教集団の自律性に与えられる重要性へ,他方では階級やジェンダーなど,非宗教的範疇によって分類されるインド人の異なる集団間の公平性という,二つの避けがたい問題へと私たちを導くのである。」(p504)
 
 (3)「先行するアイデンティティ」批判
 ヒンドゥー・アイデンティティは,「インド国民」よりも政治的に先行するから,セキュラリズムは誤りだとする批判。あるいは,様々な文化があるにせよ,坩堝ではヒンドゥー的観点からそれらは融合される,あるいはインドの統一はヒンドゥーの「接合力」によらざるをえない,という批判である(p492)。
 
 この批判には,事実で反論できる。パキスタン・イスラム共和国の建国の父ジンナーは,必ずしも敬虔なムスリムではなかった。逆に,ガンディーは,個人生活では極めて宗教的であったが,政治においては強力に政教分離を主張した。このように,宗教アイデンティティが必ずしも「国民」に直結するわけでも先行するわけでもない(p505-6)。
 
 インドには,ヒンドゥー教以外にも,決して無視できない古い伝統をもつ大きな宗教集団が多数存在する。だから――
 
 「インドとインド人の多様性を前提とするならば,何らかの基本的均衡と,国家と特定宗教との効果的分離を確実にする以外に,真の政治的選択は存在しない」(p509)。
 
 ヒンドゥーは,語源的にはもともとインダス河に由来し,この地方の人々のことだった。だから「ヒンドゥー・ムスリム」「ヒンドゥー・クリスチャン」といった表現もよく使われていた(p510)。ヒンドゥーは多様なものなのだ。
 
 「調和と寛容による共生は,ヒンドゥー教徒のほかに,ムスリム,キリスト教徒,ジャイナ教徒,仏教徒,パールシー,ユダヤ教徒,そして何らの宗教をももたぬ人々までもふくむ社会についても妥当するのである。」(p512)
 
 (4)「ムスリム分離主義」批判
 ムスリムはインドに忠誠ではない,という批判。これについては,根拠はない。インドのムスリムは,国家への忠誠の点では,ヒンドゥーと何ら変わらない。
 
 (5)「近代主義」批判
 セキュラリズムは近代主義であり,この近代主義こそが伝統的寛容を否定し,宗教対立を激化させたとする批判。A・ナンディはこういっている。
 
 「インドが近代化するにつれて,宗教的暴力は増大している」(p515)
 「政教分離主義のイデオロギーを容認することは,支配のあらたな正当化としての進歩と近代性のイデオロギーを容認し,大衆へのあらたな阿片としてのイデオロギーを確立し維持するための暴力を容認することである」(p516-7)。
 
 しかし,このような近代主義批判は,本当に妥当だろうか? センによれば,たしかに近代国民国家にはそうした側面があるが,長期的に見て(たとえば1940年代と現在とを比較して)近代性の前進が暴力の増大を招いたとはいえないし,インドの政教分離主義は,すでに近代以前のアショーカやアクバルにも見られた考え方であり,もともと諸宗教集団の公平な扱いを求めるものであって,それがより多くの暴力を引き起こすとは考えられないという。
 
 (6)「文化論的」批判
 インドは文化的に「ヒンドゥー教徒の国家」だという批判。しかし,ヒンドゥーを認めることがどうして他宗教の否定となるのか。インドは,イスラムなど多くの文化との交流,結合により成立している。インドの文化や芸術を,ヒンドゥーとムスリムに二分することなど出来ない。
 
 またインドにはヒンドゥー教以外の,非宗教的な文化や伝統もある。この「文化論的」批判は,それらを無視してしまうことになる。
 
 3
以上のように,A・センは,セキュラリズム(政教分離主義)批判を詳しく検討し,一つずつ反駁し,その弁護につとめている。議論はかなり錯綜し,必ずしも明快とはいえないが,次のような結論は妥当なものといえるだろう。
 
 「近時,ふんだんにまき散らされている反政教分離主義への誘惑に抵抗するには十分納得できる理由がある。私たちの忍苦の冬は,いまのところ,『光溢れる夏』に道を譲るとは思えないが,政教分離主義の政治的放棄は,インドを今より一層寒々としたものと化すことだろう。」(p522)
 
 セキュラリズムについては,たしかに評価が分かれている。ポストモダンの立場からは,A・ナンディのように,まさに近代原理としてのセキュラリズムこそがコミュナル・アイデンティティを明確化させ,宗教対立を激化させる,という批判がなされる。
 
 ネパールについてみると,1990年の民主化以降,ネパール政府は科学的「人口調査」(1991)をやり,それに基づいて諸集団を明確に区分し,アイデンティティを付与し,集団の権利を与え,包摂民主主義的な統治を始めた。逆にいえば,諸集団は,国家から付与されたアイデンティティに従って集団再確認・再形成をし,それに依拠して権利主張し,相互の対立を激化させてきた。大きく見ると,結局,ネパールの社会諸集団は,近代性原理の掌の上で踊らされている,ともいえる。
 
 それはそうだが,しかし,血相を変え拳を振り上げ権利要求しているマデシや被抑圧諸集団に対し,あなたたちのアイデンティティは,あなたたちが攻撃しているそのネパール近代国家が創ったものですよ,といってみても,それでどうなるものでもない。眼前に近代国家があり,いまさら「伝統的生活の寛容」に戻ることは不可能だ。ネパールの人々も,近代性の禁断の木の実を食べてしまったのであり,であれば,近代的セキュラリズムを踏まえた政治と宗教の関係づけを探っていくより仕方ない。
 
A・センのセキュラリズム(政教分離主義)論は,近代性原理とポストモダン的議論をともに踏まえたものであり,それだけにわかりにくいところもあるが,インドやネパールにおいて政治と宗教の関係を考えるには,このようなスタンスをとるのがもっとも現実的といってよいであろう。