ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

書評:水村美苗『日本語が亡びるとき』(6)

谷川昌幸(C)
5.国語と国語の祝祭
 (1)国語 National Language
著者は,国語を「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」(p105)と定義する。そして,国家が自然なものではなく「想像の共同体」(B・アンダーソン)であるのと同じく,「 <国語>は自然なものではない」(p105)と考える。
 
国語は,国民国家が成立し,その社会の出版語(print language)が国民国家の言葉に転じたとき,生まれる。つまり,15世紀に印刷機が発明され,「口語俗語」が「書き言葉」となり,書物として印刷され,これが資本主義の発達により成立した市場において広く流通することにより,国民国家の言語としての国語が成立するのである(p109-113)。
 
この国語の成立において不可欠なのが,上位レベルの言語(ラテン語など)を下位の現地語に訳す「翻訳」である。
 
翻訳とは、そうすることによって、上位のレベルにある〈普遍語〉に蓄積された叡智、さらには上位のレベルにある〈普遍語〉によってのみ可能になった思考のしかたを、下位のレベルにある〈現地語〉の〈書き言葉〉へと移す行為だったのである。/その翻訳という行為を通じて、〈現地語〉の言葉が〈書き言葉〉として変身を遂げていく。ついには、〈普遍語〉に翻訳し返すことまで可能なレベルの〈書き言葉〉へとなっていく。〈国民国家〉の誕生という歴史を経て、その〈書き言葉〉がほかならぬ〈国語〉として誕生するのである。(p134)
 
こうして国語が誕生しても,ヨーロッパ知識人は,長らく普遍語(ラテン語など)と国語の二重言語者であったが,仏英独語などの各国語が十分成長すると,それらが普遍語へと昇格し,人々はラテン語などでの読み書きをやめ,それぞれの国語で学問をするようになった。仏英独語は普遍語と国語の二重性をもつ言語となったのである(p138-140)。そして,その後,仏独語が脱落し,英語が世界の普遍語の地位を獲得していくことになる。 ここで普遍語と学問の関係が問題となる。
 
くり返すが、学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべき言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは〈読まれるべき言葉〉の連鎖にほかならず、その本質において〈普遍語〉でなされる必然がある。/このことは、何を意味するのか?/それは、〈自分たちの言葉〉で学問ができるという思いこみは、実は、長い人類の歴史を振り返れば、花火のようにはかない思いこみでしかなかったという事実である。〈国語〉で学問をしてあたりまえだったのは、地球のほんの限られた地域で、ほんのわずかなあいだのことでしかなかった。そして、その時代は、長い人類の歴史のなかでは、規範的であるよりも、例外的な時代であった。(p144)
 
学問は,西洋語(仏英独)でなされなければならなくなり,そしていまや英語でなされなければならなくなったのである。こう考えると,前述のように,日本ではこれまで日本語で学問ができていたということが,いかに奇跡的なことかが,よく分かる。
 
(2)国語の祝祭
しかし,国語はもう一つ,それが現地語・母語にも足をおいているという特質がある。普遍語と現地語の両特性の上に成立するのが,国民文学であり,著者はそれが栄えた時代を「国語の祝祭」の時代と呼んでいる。
 
ヨーロッパで<国民文学>としての小説が、満天に輝く星のようにきらきらと輝いたのは、まさに<国語の祝祭>の時代だったのであった。それは、<学問の言葉>と<文学の言葉>とが、ともに、〈国語〉でなされていた時代である。そして、それは、〈叡智を求める人〉が真剣に〈国語〉を読み書きしていた時代であり、さらには、〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超えるものだと思われていた時代であった。(p147-8)
 
くり返すが、〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じように機能しながらも、〈普遍語>とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。(148-9)
 
かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとぼしり出る言葉のように思えてくるのである。〈国語〉とは、必然的に、〈自己表出〉の言葉となる。小説は、社会に対する個人の内面の優位を謳うものとして発展していったが、内面の優位とは、実は、〈国語〉で書くことの結果でしかない。(p149)
 
6.国語としての日本語の成立と日本文学
(1)国語としての日本語の成立
著者は,このような仏英独語に匹敵する国語が日本において奇跡的に成立したのは,幸運にも次の三条件が満たされたからであったと考える。
 
①「書き言葉」としての日本語の成熟
日本語は,普遍語としての漢文の日本現地語への翻訳を通して熟成していき,普遍語と同等のレベルの言語となっていった。その際,日本と漢文圏との「距離」も幸いした。近すぎると,たとえば科挙制度などで,日本が漢文圏に吸い込まれてしまうことを防止できなかったであろう。こうして――
 
日本の二重言語者の男たちは<普遍語>で読み書きしながらも、自然に<現地語>でも読み書きするようになった。/そのおかげで、日本語は<普遍語>の高みに近づき、美的な重荷を負うだけでなく、時には、<普遍語>と同じように、知的、倫理的な重荷も負うのが可能な言葉になっていったのであった。(p169)
 
②印刷資本主義
江戸時代には,300年の平和の下で資本主義が発達し,藩校や寺子屋により教育も普及した。識字率は世界一だったといわれている。
 
これを背景に,印刷資本主義が発達し,日本の「書き言葉」は成熟し広く流通していった。著者も指摘するように,福沢諭吉の『学問のすゝめ』は初版(明治5年)が20万部,全17編で300万部以上売れたのである。
 
③植民地支配を受けなかった
日本語成立にとって,日本が植民地にならなかったことは,決定的であった。植民地支配されれば,宗主国言語が支配言語となり,現地語は下位言語とされてしまう。もしアメリカが日本を植民地化しておれば(可能性は大であった),日本中の優れた人々は英語で教育を受け,英語で読み書きするようになっていただろう。
 
要するに、もしアメリカの植民地になっていたら、〈普遍語/現地語〉という、二重構造のなかで、英語が〈普遍語〉として流通し、日本語は、正真正銘の〈現地語〉として流通することになったはずである。たとえ美的な重荷を負うことはあっても、知的、倫理的な重荷を負うことはほとんどなかったはずである。悲しい「ニホンゴ」。(p180)
 
幕末維新の頃の愛国主義,ナショナリズムは,植民地化を免れ独立維持を目指す限りにおいて,決して不健全なものではなかった。その最大の文化的遺産は,著者が称賛するように,日本語であったといってよいであろう。
 
 (2)大学と日本語
日本語が成熟するには,大学の果たした役割も大きかった。そもそも日本の大学は西洋文明の翻訳機関として設立され,「翻訳者養成所として機能するようになった」(p199)。
 
[日本の大学は英独仏三大言語を教えた。]そして、重要なのは――世界的にみても重要なのは、このような非西洋の二重言語者である日本人が、西洋語という〈普遍語〉をよく読みながらも、〈普遍語〉では書かず、日本語という〈国語〉で書いたという点にある。それによって、かれらは翻訳を通じて新しい〈自分たちの言葉〉としての日本語を生んでいった。そして、その新しい日本語こそが〈国語>――同時代の世界の人々と同じ認識を共有して読み書きする、〈世界性〉をもった〈国語〉へとなっていったのであった。(p200)
 
日本に近代文学があるのを可能にした条件は日本に〈国語〉があったことにあり、日本に〈国語〉があるのを可能にした条件は日本に大学があったことにあり、日本に大学があるのを可能にした条件は、まさに日本が西洋列強の植民地になる運命を免れたことにあった。 (p201)
 
事実、〈国語〉が高みに達したときは、単一言語者であっても、〈世界性〉をもった文学を書けるようになる。しかも、時を得た人間の能力には底知れぬものがあり、すべては目を瞠るような勢いでおこる。二重言語者が育つやいなや一挙に翻訳本が増える。すると〈世界性〉をもった〈国語〉で書かれた言葉が一挙に増える。〈世界〉で何が起こっているかをおおよそ知るために、西洋語をじかに読む必要がなくなるのである。/そして、言葉というものは、そうなってこそ、〈国語〉だと言えるのである。(p229)
 
 こうして,日本語は漢文からの翻訳,西洋語からの翻訳を通して「国語」の高みに達し,そして著者のいうあの奇跡としての日本近代文学を生み出していくことになったのである。
 

Written by Tanigawa

2009/06/14 @ 09:59

カテゴリー: 文化,

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