ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ハーバーマスとポスト世俗化国家(8)

谷川昌幸(C)
12.ポスト世俗化社会の信仰と知
(1)信仰と知
これは,周知の信仰(宗教)と知(哲学),善と真理,実践と認識といった二分法に基づく議論である。存在の認識をいくら科学的に究めても,当為は引き出せない。何かを為せという当為命令は,認識以外のものに由来する。それが信仰であり,あるいは文化的価値である。
 
ここで問題は,そのような信仰や文化的価値を,政治とどう関係づけるか,ということである。近代国家は,国家を中立化し,信仰や文化的価値を私的領域に閉じこめようとしたが,これは前述のように失敗した。それでは,というので再び信仰や文化的価値を取り出し,統治の正当性の根拠に据えてしまえば,近代以前に逆戻りすることになってしまう。21世紀の現在,そんな時代錯誤はできない。われわれは,近代化・世俗化を経験してしまったのであり,したがっていまや「ポスト世俗化」における信仰と知,宗教と政治の関係を考えざるをえないのである。
 
 (2)ポスト世俗化国家の信仰と知
ポスト世俗化国家は,近代世俗国家と同じく世界観的には中立ではあるが,宗教や文化的価値を切り離すのではなく,それらからエネルギーや動機付けをくみ取る。
 
ポスト世俗化国家では,信仰を持つものと信仰を持たないものは,「見解の違いを覚悟して,それとともに生きていくのが理性的である」(p22)と考えなければならない。
 
「すべての市民に同じ倫理的自由を保障する世界観的に中立な国家権力というあり方は、それゆえ、世俗化されたある特定の世界観を政治的に一般化する考え方とは相容れないのである。世俗化された市民は、国家公民としての役割において公共の場で論じるときは、宗教的な世界像には原理的に見て真理のポテンシャルがないと言ってはならないのであり、また信仰を持った市民たちが公共の問題に対して彼らの宗教的な言語で議論を提供する権利を否定してはならないのである。それどころか、リベラルな文化は、宗教的な言語でなされた重要な議論を公共の誰でも分かる言語に翻訳する努力に世俗化された市民たちが参加することを、期待していいのである。」(p23-24)
 
ポスト世俗化国家においては,政治と宗教は二領域に分離されるのではない。宗教も公共的な問題について議論し,要求を出し,これを受け,世俗の側も議論し,それを世俗の側にも分かる議論に翻訳し,社会的合意を形成し,法制化していく。その意味では,ポスト世俗化国家は,宗教に積極的な政治参加――公共的討議への参加――を求めているのである。 そして,それは宗教だけでなく,民族など他の文化的価値についても同じことである。
 
13.救済する翻訳
人間の求めるあらゆる価値は,究極的には,信仰である。ハーバーマスのポスト世俗化国家は,そのような信仰を公共的議論を通して翻訳し,信仰を持つものにも信仰を持たないものにも受け入れられる公論に高め,法制化して取り入れようとする。
 
たとえば,「神の似姿としての人間」が「人間の尊厳」という一般的な理念に翻訳され,憲法の中に法制化される。これをハーバーマスは「宗教のカプセルに入った意味のポテンシャルが世俗化のなかで解き放たれる」(p19)と表現している。したがって,「規範意識および市民の連帯がエネルギーを汲んでいる文化的源泉のすべてと大切につきあうことは,立憲国家自身のためにもなることとなる」(p20)。
 
14.討議民主主義
以上,ハーバーマスの『ポスト世俗化時代における哲学と宗教』について紹介してきたが,読み進めながらの記述のため,重複や齟齬も少なくないと思う。また,彼の他の重要な諸著作をまったく参照していないので,初歩的な誤解もあるかもしれない。しかし,そうした不十分な点が多々あるにもかかわらず,拙速を恐れず書き記してきたのは,この本には重要なことが書いてある,と直感したからである。
 
それは,政治における文化の問題である。多文化社会化の現代において,国家は宗教や民族,言語などの文化と関わらざるをえない。国家(あるいは政治権力)は,世界観的中立を維持しつつ,それらの文化とどう関わるべきか? 
 
ハーバーマスの討議民主主義は,宗教,民族,言語などの様々な文化集団を市民社会における自由な討議に参加させ,世論を形成し,法制化へと導いていくものである。ハーバーマスは,この自由な討議民主主義こそが参加の動機(モチベーション)を高め,支配の正当性を生み出していく,と考えた。
 
その意味で,ポスト世俗化国家は,政治以前の文化に依拠している。ハーバーマスは「憲法愛国心」が必要だとさえいっている。憲法の規定をたんに理解するだけでなく,「ナショナルな歴史のコンテクストに即して身につける」(p11)ことを求める。きわどい主張だが,立憲国家はそのような文化的価値による動機づけなくして存立しえない,ということであろう。
 
さて,そこでネパールである。現在のネパールは,近代的政教分離ではなく,ハーバーマスのいうポスト世俗化国家を目指している。それはネパールの多民族多文化社会の現実にあっているし,また世界世論のいまの潮流にも乗っている。 しかし,ハーバーマスの理論が難解とならざるをえなかったように,ネパールのポスト世俗化国家の試みも前途多難といわざるをえない。どうなるか,注目していたい。
 
(注)補足,訂正:2009.7.17 

Written by Tanigawa

2009/07/16 @ 20:03

カテゴリー: 民主主義