ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

性の世俗化と商品化

谷川昌幸(C)
近代化は,M.ウェーバーがいうように脱魔術化(脱神秘化)であり,世俗化である。性も例外ではない。政治が近代化され世俗化されれば,性も近代化され,脱神秘化・世俗化されざるをえない。
 
1.性の伝統的規制
ネパールは,性力派や寺院の男女合体像に見られるように,決して性を隠蔽してきたわけではない。パシュパティナートなど,シバ寺院のご神体は男根だし,町のあちこちに,いや小学校の校門脇にさえ,男女性器合体像が祭られている。美術館にも,露骨な性交図が麗々しく陳列されており,目のやり場に困るほどだ。
 
しかし,周知のように,これらは豊穣祈願であり,決して性的放縦を意味しない。性は聖であり,宗教規範により厳しく規制されてきた。性と生は神の領域であったのである。(聖と穢れは紙一重。タブーを破れば,一転して,聖は穢れとなる。)
 
2.性の世俗化
ところが,ネパール政治の近代化・世俗化により,ネパールの性と生も神の領域から人為的操作が可能な人間の領域に引き下ろされた。もはや性は恐ろしいタブーでも神の神秘でもない。それは,人間が自分の意志により技術的に操作しうる生物学的行為となったのである。
 
その一方,近代化・世俗化は資本主義化でもあり,これは万物の商品化を意味する。ネパールでも,性は世俗化とともに商品化され,市場で取り引きされるようになってきた。(伝統的職業売春は単なる市場商品ではない。)
 
先進国の場合,近代化は多かれ少なかれ漸進的であり,その間に,伝統的道徳にかわる近代的道徳が育ち,性の商品化に一定の歯止めを掛けてきた。
 
ところが,ネパールの近代化は急激であり,近代的規範が育つ以前に,伝統的道徳規範が崩壊してしまった。
 
3.性の商品化
たとえば,タメルでは先日述べたように,怪しげなダンスバーなどが激増し,最近では他の市街地にも進出しはじめた。
 
これに対し,かつてマオイストが規制に着手したが,幹部の右傾化でたちまち頓挫してしまった。プラチャンダ議長自身,官邸に「豪華巨大ベッド」を持ち込むていたらくだから,しめしがつかない。この調子では,今年のミスコンは実施されるだろう。
 
4.コンドームと避妊ピルの大宣伝
性が世俗化されれば,個人は私的目的で,企業は営利のために,政府は統治目的で,性を操作し利用しようとする。
 
先進国の場合,近代的道徳規範が働き,たとえば赤裸々な性の商品化はインターネットなど特殊な場所に限定される。ところが,ここネパールでは,そんな遠慮は無用,白昼堂々,性関連商品の大宣伝が繰り広げられている。
 
見よ,この巨大宣伝を! これはバグバザールのラトナパーク側出口の交差点陸橋だ。陸橋西側にはコンドームの宣伝,反対の東側には避妊ピル(堕胎薬?)の宣伝が出ている。
 
この交差点付近はカトマンズ有数の繁華街。パドマカンヤ女子大学など多くの学校があり,バスパーク,イスラム教寺院もあり,いつも多くの人出でにぎわっている。そのど真ん中に,性操作商品の大宣伝がある。
 
しかも罰当たりにも,この巨大性商品広告の真下には,ヒンドゥー教のありがたいお告げが掲示されている。性を聖とするヒンドゥー教を踏みつけ,営利企業が性操作商品の大宣伝をしている。エイズ予防,性病予防の建前すらない。
 
5.末世の性
世も末だ。性の操作生の操作であり,人が神になることである。
 
神の目から隠れ,こそこそやるのなら,まだ救われる。女性解放の闘士たちでさえ,裸で歩き回ったわけではない。性は隠されることをもって本質とする。性が完全にオープンになり,生が完全に操作できるようになるとき,それは人間としての性と生が消滅するときである。
 
天をも恐れぬコンドーム宣伝は,もちろん道徳番外地タメルの入口にもある。
 
 タメルのダンスバー
 
コンドームの宣伝(陸橋西側),右下の壁面掲示はヒンドゥー教のお告げ
 
 同上
 
避妊ピルの宣伝(陸橋東側)
 
 同上
 
日常生活と性宣伝(バグバザール歩道より)
 
 タメル入口のコンドーム宣伝 

Written by Tanigawa

2009/08/23 @ 12:44

カテゴリー: 文化

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