ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ノルウェーとネパール:表現の自由をめぐって

谷川昌幸(C)
 ノルウェーは北欧の小王国。人口は約480万人で,福岡県とほぼ同じ。生活水準は世界最高(人間開発指数:世界1位)であり,国際社会でも人権,平和の分野を中心に大きな存在感を示している。ネパールでも,ノルウェーは平和構築などで活発に活動している。そのノルウェーとネパールの表現の自由について比較分析した小論文を送ってもらったので,読んでみた。
 
Tone Bleie and Dev Raj Dahal, Defending and Explaining Freedom of Expression: A Comparison of Norway and Nepal.
 
驚きは,なんといっても,「表現の自由」といった基本的自由権について,ネパールがノルウェーと比較されていることだ。グローバル化のおかげで,ネパールはついにノルウェーと同じ人権論の土俵に乗ったのだ。
 
論文によると,ノルウェーでは,社会の多文化化が進み,文化的権利・集団の権利と表現の自由との対立が深刻化してきた。たとえば,最近ノルウェーの新聞にムハンマドの名を付けた豚のイラスト付記事が出た。これについて,表現の自由の限界をめぐる激しい論争が起きている。
 
また,ノルウェーでは,Heritage Foundation(米),Adam Smith Institute(英)などのシンクタンクの影響力が強まり,議会や政党の機能を蚕食しているのではないか,と問題視され始めた。
 
これに対し,ネパールでは,様々な援助機関が大きな力をふるっている。ノルウェーではシンクタンクが「金の力をイデオロギーの力に変える」役割を果たしているのに対し,ネパールでは援助機関が「金の力を政策に変える」役割を果たしている。
 
「議員,党活動家,援助依存組織は,きそって援助機関の本やレポートを読み,セミナーや訓練に出席し,まったく異なる状況下の問題を解決するためにつくられた諸理論を必死になって輸入している。」
 
著者らは,こうした内外の専門家に依存し,普通の市民の声をないがしろにするやり方は,誤りだという。そして,こう助言する。
 
「ノルウェー,ネパール両国において,専門家の優位が民主主義をむしばんでいる。ノルウェーではシンクタンク,ネパールでは開発専門家・紛争問題専門家がそれだ。」
 
しかし,制憲議会が開かれているいまはチャンスだという。著者らは,いまこそ普通の市民が表現の自由を行使し,意見を言い,そうすることによって伝統的な政治や文化を改めていくべきだと主張する。
 
この議論は正論である。しかし,あまりにも正論すぎて,にわかには信じがたい感じがしないではない。これは「普通の市民」の根拠なき理想化なのではないか。そもそも,ネパールにはノルウェー人がイメージするような「市民」がいるのか? もし「自立した市民」を想定し,表現の自由を主張しているのなら,それこそ西洋理論の押しつけ,ということになる。これはじっくり議論するに値する論点だ。
 
私自身は,民主主義懐疑論者であり,むしろエリート理論の有効性を信じている。ネパールにいま必要なのは,市民の自由な議論というよりは,むしろ国益に奉仕する本物のエリートなのではないだろうか?
 
次回,訪ネの際,お二人にお目にかかり,この点につき,議論してみたいと思っている。

Written by Tanigawa

2010/03/01 @ 20:43

カテゴリー: 文化

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