ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

田の草取り:農村の厳しさと美しさから学ぶ

谷川昌幸(C)

カトマンズ周辺の水田では、いま最後の「田の草取り」が行われている。女性が4,5人並んで水田に入り、稲の間の雑草を手で取り除いていく。おしゃべりをしたり歌を歌ったりしながら、楽しそうだ。絵になる。

 

しかし、実際には、これは大変な重労働だ。日本でも、除草剤(枯葉剤)が使用される以前は、ネパール同様、農民が人力で田の草取りをしていた。ヒルが足に喰いつき血を吸う。稲や雑草の葉で目を傷つける。そして、長時間の腰をかがめた作業のため、腰が曲がってしまう。

 

以前の日本の農村では、ほぼ例外なく老人の腰は曲がっていた。栄養も悪かったが、最大の理由は長時間の田の草取りであろう。我が家の隣のおばあさんは、90度どころか、120度以上腰が曲がってしまっていた。機械化・農薬依存以前の農作業の厳しさがしのばれる。

 

その頃の日本農村は、ネパールの農村と同様、非常に美しかった。どこにいっても絵になった。しかし、この美しい農村は、厳しい労働と奉仕作業により維持されていた。人力と牛馬による麦、米、野菜の栽培は重労働だったし、燃料は農閑期に山から切り出す薪だった。田畑も山林も、こうした農民の重労働により、美しく維持されていた。

 

また絵のように美しい村々は、道路も水路も寺も神社もすべて農民の勤労奉仕と分担金により維持されていた。見方によれば、かつての日本の農村自治は現代の参加民主主義よりもはるかに公平で徹底していたといえる。その反面、農村には個人の自由はなかった。村々の美しさは、個人的自由の犠牲の上に維持されていたのである。

 

以前の農村のこの重労働、個人的自由の欠如は認めざるをえないが、それでもやはり美しいものは美しい。また農村自治に、現代民主主義以上の公平な参加の一面があったことも、事実だ。

 

ネパール農村の美しさやブータンの国民総幸福――これらには、懐古趣味だけではなく、時代を超えた普遍的な美しさや幸福の要素が、たしかに在る。

 

過去に戻ることはできないが、過去から学ぶことはできる。歴史は、過去を否定(克服)しつつ単線的に「発展」するものではない。過去には、現在よりもはるかに優れたものが、たくさんある。それらから学ぶ勇気が、われわれにはますます必要になってきているように感じられる。

 

キルティプールからパタン方面を望む

 

 キルティプールからビムセン塔方面を望む

Written by Tanigawa

2010/09/13 @ 12:11