ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

威嚇外交:アメリカンクラブの戦略的意義

谷川昌幸(C)

アメリカは敬愛すべき民主主義国であると同時に、鼻もちならない自国中心主義大国だ。この二面が併存しているところが、厄介だ。

 

またかといわれるが、例のアメリカンクラブ。もしこんなものが東京や大阪のど真ん中にあれば、日本人はカンカンに怒り、連日デモを掛け、まちがいなく撤去させてしまう。それほど許しがたい存在なのだ。

 

アメリカンクラブはカトマンズのど真ん中、元王宮の前にある。武装警官十数名がテッポウを構え、24時間厳戒態勢を敷いている。

 

この施設の特徴は、撮影禁止を塀に仰々しく掲示していること。この施設に向けカメラを構えると、カメラ没収、拘束、最悪の場合は射殺される。そんな恐ろしい外国施設が、東京や大阪のど真ん中、繁華街の中心にあることが想像できるだろうか。

 

ネパールは独立国なのか? この治外法権施設をみると、決してそうではない。こんな屈辱、国辱をどうしてネパール人は甘受しているのか? なぜマオイストは怒り波状デモをアメリカンクラブにかけないのか?

 

私は、一外国人旅行者にすぎないが、アメリカンクラブの前を通るたびに、腹が立つ。この施設そのものが、人間の尊厳を踏みにじるものだからだ。

 

撮影禁止の掲示は、撮影禁止それ自体が目的ではない。その気になれば、こんな施設の撮影などいくらでもできる。アメリカは、そんなことは百も承知で、仰々しく「撮影禁止」を塀に貼り、テッポウをもたせた武装警官に厳重警戒させているのだ。

 

「公然の秘密」は秘密でも何でもない。恐ろしいものがここにあるぞ、という威嚇宣伝こそがこの「撮影禁止」の目的なのだ。そして、その威嚇宣伝の効果をさらに上げるため、無邪気に撮影した外国人、特に無抵抗の日本人をときどきテッポウで脅して連行、拘束し、撮影メモリを没収する。「ならず者国家」とは、アメリカのことなのだ。

 

そのアメリカの厄介なところは、そうやって力で威嚇しつつ、自由・人権・民主主義の旗振りをすること。しかも、自分でも正義を信じ込み、それに酔ってさえいる。

 

いまアメリカで核廃絶、核何なき世界を叫んでいる政治学者らは、つい先日まで核抑止力論の旗手だった人々だ。彼らは、脅しの効果を熟知しており、その手段の比重を核から通常兵器に移そうとしているにすぎない。アメリカ自身の都合で。

 

アメリカは偽善を偽善と感じていない。そうでもなければ、テッポウで脅しつつ、自由・人権・民主主義を唱えることなど、恥ずかしくて出来るわけがない。

 

「カメラ禁止」の啓示の前でテッポウをかまえごく普通の市民や旅行者たちを脅している武装警官たちの写真を撮影し、アメリカ系慈善団体や人権団体の事務所前に貼りだしてやりたいくらいだ。

 

しかし、これが人間社会の現実なのだ。アメリカはお人好しだから、「カメラ禁止」を掲示し、恥部を露出しているが、われわれだってピストルを持った警官に守られ生活している。見せしめ残虐刑の絞首刑さえあるのだ。

 

そのことを恥じるかどうか、そこが偽善大国アメリカと小心日本国との決定的な違いである。おそらくアメリカ人旅行者は、アメリカンクラブの前を通っても、「恥ずかしい」とも「腹が立つ」とも感じないだろう。いや、ひょっとして力誇示への「誇り」さえ覚えるのかもしれない。

 

 

現在のグーグル地図では「アメリカン・レクレーションセンター」となっている。CIA保養所?

Written by Tanigawa

2010/09/15 @ 13:32

カテゴリー: 外交

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