ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

鉄人にも哲人にもなれない軟弱文系人間

谷川昌幸(C)
ネパールでお目にかかった某氏は,体育会系なのに案外用心深く,狂犬病や腸チフスの予防注射をせっせと受けているらしい。走って筋力強化,予防注射で免疫強化,地獄耳で情報強化――もはや鉄人(鉄の女)といってもよい。
 
一方,軟弱文系の私は,注射が怖くて「良心的健康診断拒否」を宣言,注射,採血,投薬は極力忌避してきた。職場では哲学教師(哲人)が同志であり,長年共闘をくんできたが,一昨年,退職,いまや孤立無援となってしまった。
 
そもそも健康診断の効果は本当に立証されているのだろうか? 学校や職場,地域で一斉に健康診断をするといった野蛮な制度は,たしか世界のどの国にもないはずだ。受診集団と非受診集団の間に,平均寿命の差があるのだろうか? レントゲンやら注射や投薬で,むしろ病気を創り出す方が多いのではないだろうか?
 
「清潔」は近代病である。近代国家は,清潔を要求し,健康=身体を管理することにより,心を支配する。ネパールに行き,ほっとするのは,この近代的清潔病(潔癖症)から解放され,ありとあらゆる不潔やバイ菌とお友達になれるからだ。人と動物の糞尿の臭いやしぶきを浴び,腐敗ゴミと排ガスにまみれ,人々は生きている。社会も政治も腐敗だらけ。でも,みな平気。
 
この近代以前(プレモダン)は,近代以後(ポストモダン)でもある。生物多様性が大切なら,バイ菌にも生きる権利がある。人間の都合で殺す(殺菌)などしてはならない。文化多様性が大切なら,汚職腐敗こそ古来のネパール文化であり,キリスト教合理主義(これも文化の一つ)ごときにペコペコする必要はない。腐敗はそれが常態であれば腐敗ではない。
 
これは軟弱文系人間の一種の開き直りかもしれない。そんなに不潔,バイ菌が好きなら,犬か猿にでも噛まれてみよ,と鉄人はお怒りになるだろう。ごもっとも。猿に引っかかれでもしたら,たとえそれが仏様のお弟子さんであっても,すぐにタイかシンガポールの超一流病院に飛んでいき,近代医学により治療してもらう。理論と実践がかけ離れているのが,軟弱文系人間の特質だ。
 
でも,軟弱文系人間には,たとえ自分には出来なくても,バイ菌うようよ,ゴミ汚物まみれでも平然たる哲人へのあこがれが,どこかにある。 パシュパティナート寺院に行くと,行者がバグマティ川で猿と戯れながら沐浴しているのがよく見られる。バグマティ川は,人と動物の糞尿や死骸,ゴミや他の汚物,そして最近では工場廃液でドロドロ,日本の下水道よりもはるかに汚い。それでも,行者は平然とその「聖なる」川に入り,猿と戯れている。ひっかかれたり,噛まれたりもするだろうが,病気になる気配はない。
 
軟弱文系人間は,悲しいかな鉄人にも哲人にもなれない。鉄人になるほどの強い意志も,哲人になるだけの頑健な体力もないのだ。せいぜい床屋政談で憂さ晴らしするのが関の山である。
 
(注) 鉄の女(Iron Lady)
「鉄の女」は尊称,愛称。もっとも有名なのは,マーガレット・サッチャー元英首相。他にも,インデラ・ガンディー元印首相,メルケル独首相などが「鉄の女」と呼ばれた。
 
 最新病院前バス停。バイ菌/病院のポストモダン状況。

Written by Tanigawa

2010/09/20 @ 13:42