ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for 1月 2011

墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教

国家世俗化は,墓地まで政争の具とし始めた。死にかかわることであり,こじれると宗教紛争になりかねない。

これまでクリスチャンはパシュパティナートの森(Sleshmantak)を墓地として使用してきた。一遺体の埋葬1600ルピー。ところが,パシュパティナート寺院当局が,そこは寺院のものであるとして,1月から使用禁止としてしまった。

墓地を失ったクリスチャンたちは,政府が救済策をとらないなら,遺体を制憲議会前,あるいはシンハダルバール(官庁街)に並べる,と宣言した。

このクリスチャンの墓地要求運動を支援しているのが「キリスト教会新憲法提案委員会」。国家世俗化を求めるキリスト教会が,国家にキリスト教会墓地の提供を要求する。なんたる皮肉か! これまで私は,キリスト教会がこんな政治圧力団体をつくっていることを全く知らなかった。宗教と政治――これはやっかいだ。

ネパールのキリスト教会が政治に介入すれば,当然,世界中のキリスト教会がそれへの支援に回る。墓地問題は,ネパール宗教紛争の引き金になりかねない。

そもそもキリスト教とヒンドゥー教では,死生観が全く異なる。クリスチャン,特にカトリックにとって,遺体は死後の復活に不可欠のものであり,遺体は可能な限り完全な形で墓地で保存しなければならない。自分の身体がないと,最後の審判のとき,復活し神のもとで永遠の命をえることができないからだ。イエスは,その身体のまま復活した。イエスを信じるクリスチャンは,イエスにならい自分たちも生前の身体をもって復活できると信じているのだ。

これに対し,ヒンドゥーは,一部の人を除き墓をつくらない。亡くなったら,パシュパティナートかどこかで荼毘に付され,遺灰はガンジスに流してもらう。これにより,身体は自然に帰り,魂は輪廻転生するか解脱することになる。

このようにキリスト教とヒンドゥー教では,遺体の位置づけが全く異なる。遺体は,クリスチャンにとっては聖なるものであるのに対し,ヒンドゥーにとっては死でケガレたものであるにすぎない。ケガレた遺体など,ヒンドゥーは保存したいと思いもしないだろう。両者の相互理解は絶望的だ。

キリスト教会憲法提案委員会がクリスチャンの埋葬の権利をキリスト教諸国に訴え,諸外国が「人権」を理由にネパール政治に介入しはじめたら,どうなるか? 遺体をシンハダルバール前に並べる――これはショッキングな光景であり,世界世論は沸騰,ネパール政府は激しいバッシングを浴びるだろう。

これに対し,ヒンドゥー教も激高し原理主義が支持を拡大,キリスト教会への反撃が始まるだろう。

これは,キリスト教にもヒンドゥー教にとっても不幸なことである。何とか,政治問題化させずに解決できないだろうか? たとえば,しばらくはクリスチャンの墓地使用をこれまで通り黙認し,その間に代替墓地を探し徐々に移転する,といったやり方である。死は人生の最大関心事。これを政治問題にしてはならない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/31 at 09:08

カテゴリー: 宗教, 文化, 人権

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ネットメディアのネパール流リニューアル

ネパールの二大ネットメディア,ekantipurとnepalnews.comが,HPの改変をやっている。いずれも根本的なリニューアルであり,それがなぜ同時なのか不思議だ。

いかにもネパール的と感心させられるのが,どちらもHP改変のアナウンスをほとんどせず,一方的に改変を進めていること。

nepalnews.comは,アドレスまで変えたのに明確な告知はなかった。おかげで,Yahoo検索で新アドレスを探し,書き換えざるをえなかった。私企業なのにお役所的というか,いかにもネパール的だ。

新HPの特徴は,日本語宣伝が増えたこと。日本からの読者には日本の広告を表示するように改めたのだろう。こちらからすれば,宣伝も含めネパール情報が欲しいのに,困った過剰サービスだ。日本からの広告費をあてにしているのだろう。

ekantipurの方はまだHP改変中で,ときどき変な表示になる。こちらも告知なし。ネパール流を知らないと,ウィルスかとびっくりし,閲覧をやめてしまうだろう。不親切この上ない。

こちらも,nepalnews.comと同様,新HPを完全に仕上げてから切り替えるのではなく,楽屋裏をモロ見せつつ,改変を進めている。面白いといえば面白い。やはり日本語宣伝を増やすのだろう。

ところで,私のこのブログもMSからWordPressに移行して,2カ月ほど経過した。かなり慣れたが,それでもまだ使いこなせてはいない。

幸い,アクセス数は徐々に回復し,最近では,1日250回くらいになっている。限定された領域の固い内容なのに,予想以上に多くの方に読んでいただいている。

大手メディアのような高度なHPはつくれないが,ネパール情報の紹介と分析を可能な限り続けていきたいと思っている。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/25 at 23:57

カテゴリー: 情報 IT, 文化

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マオイスト政権,5日以内に成立?

プラチャンダ党首が23日,5日以内にマオイスト政権が成立すると語った。人民解放軍(PLA)指揮権を放棄した見返りらしい。そんな取引があって不思議ではない。

ヒマラヤンタイムズ記事(1/24)からは発言の微妙なニュアンスは分からないが,プラチャンダ党首は「PLAはもはやCPN-Mの戦闘員ではない」という趣旨のことを語り,それをもってCPN-Mの民主性,平和指向の証とした。表面的には,PLA指揮権と引き替えに,首相職を手に入れる作戦といってよい。

ネパールのこと,裏があるのであろうが,今のところ,それは分からない。PLA戦闘員の多くにも分からないのではないか? 売られた,捨てられた,と感じる人も少なくないだろう。

すでにリパブリカ(1/24)は,PLA幹部たちにインタビューし,彼らの「屈辱的統合」には応じられない,という怒りの声を伝えている。

どうなるか? もう少しすれば,筋道が見えてくるだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/24 at 22:36

人民解放軍,政府引き渡し完了

1月22日,マオイスト人民解放軍(PLA)の指揮権がネパール政府に引き渡された。マオイストの勝利か全面降伏か? プラチャンダ党首はPLAを国軍に組み込ませたのか,それともPLAを国家に売り渡したのか?

国連=UNMINのどんでん返し大勝利か,それともマオイスト=NC=UMLの国益のための一時的共闘――国連のメンツを立て恩を売る――作戦なのか?

今のところ,何ともいえない。外交上手のネパールのこと,先進国や国連を手玉にとることくらい,朝飯前だろう。
ekantipur, 23 Jan

1.プラチャンダ演説
プラチャンダ党首とネパール首相による合意書署名により,22日からPLAは「監視・統合・復帰特別委員会」の指揮下に入った。そして,委員会は,当然,首相の指揮下にあるから,PLAの最高指揮権は首相に移ったといってもよい。これについて,プラチャンダ党首は式典において,こう述べている。

「今日から,すべてのマオイスト戦闘員は正式に特別委員会の指揮下に入った。」(AP,22 Jan)

「ネパールは,政治的移行の最終段階に入った。統合・復帰が完了するまで,この国は1国2軍隊にとどまる。われらが戦闘員の統合・復帰プロセスにより,強力な国家安全保障メカニズムをつくっていきたい。」(Himalayan Times, 22 Jan)

2.ネパール首相演説
ネパール首相もこう述べている。

「PLAはいまや国家の責任の下にある。」(ekantipur,22 Jan)

「これからは政府が監視・統合・復帰など,全責任を引き受ける。」(AP,22 Jan)

「つい先刻まで諸君はネパール共産党マオイストの活動家であったが,いまでは諸君は特別委員会の指揮下にある。」

「当然,諸君の任務も変化した。社会復帰希望者は政治活動に入ってもよいが,治安諸機関への統合希望者はどのような政党の党員であることも認められない。統合希望者は,非政治的・専門職的な独立の国家治安諸機関のメンバーとして献身することになる。宿営所にとどまる限り,諸君は特別委員会の決定と命令に従わなければならない。」(Himalayan Times,22 Jan)

3.プラチャンダ党首とネパール首相の偉業か?
この新聞報道から見る限り,つまり表向きは,ネパール首相の完全勝利であり,マオイストの全面降伏である。プラチャンダ党首は,PLA1万9千人を国家(NC=UML=国軍)に売り渡したことになる。

ネパールの歴史を見ると,急進派の指導者たちが,庶民の不満を代弁して反政府運動を展開し,その運動を通して自分たちの権勢を拡大し為政者たちにそれを認めさせると,一転して,獲得した既得権益を守るため,運動に参加してきた「人民」を見捨て,体制側に寝返るといった事例が少なくない。とくに共産主義運動は,そうした反体制エリートたちの人民裏切りの繰り返しであったといってよいだろう。

では,22日のPLA指揮権放棄は,どうか? これは難しい。プラチャンダ党首は,統合・復帰が完了するまでは,ネパールは1国2軍隊だ,といっている。また,「特別委員会」にはマオイストも最大政党として当然参加している。あるいは,マオイストが政権与党になれば,マオイスト党首が堂々とPLAと国軍の指揮権を行使し,国軍へのPLA浸透を図ることも出来るわけだ。

それゆえ,22日のPLA指揮権引き渡しの正確な評価は,現時点では,難しい。ただ,これまでの展開からみて,はじめに述べたように,PLA引き渡しは,国益のためのマオイスト=NC=UML共闘――国連・国際社会からカネを引き出すための共謀共闘――の可能性が高い,ということはいえるであろう。

もしそうなら,国連高官や,日本をのぞく諸外国大使を招いて賑々しく挙行された引き渡し式典が終了し,援助継続の約束さえとりつけてしまえば,また以前と同じような紛争状態に復帰してしまうことになる。

4.ノーベル平和賞?
もしこのPLA指揮権引き渡しが成功し,ネパールに平和が訪れるなら,プラチャンダ党首とネパール首相にノーベル平和賞が授与される可能性が出てくる。ネパールは国連平和構築のモデル国となるのだから。

しかしながら,諸般の状況を総合して考えると,コイララ翁ですらもらえなかったノーベル平和賞がネパールに来る可能性は,いまのところほとんどない,といわざるをえない。残念ではあるが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/23 at 17:01

山麓マラソンの酔狂と平和貢献

某ネパール情報によると,鉄の女や男が,またまたアンナプルナ山麓を走ったらしい。50~100km。わが青春時代に,ヒィヒィ,ゼィゼィいいながら這うようにして登ったあの急峻な山腹を駈け上り駆け下ったというから,「なんと酔狂な!」とあきれるやら,感心するやら。何の因果で,こんな苦行をやらねばならないのだろう?

 ガンドルン(1985)

まぁ,人間は食って寝て生涯を終えることでは満足できないやっかいな動物,何かをせざるを得ないらしい。何をするか? 限られた人生,どうせなら面白いことに限る。では,何が面白いか? 面白いのは,一言でいえば,役に立たないこと。役に立つこと,特に金儲けや出世が目的となると,活動は手段となり,面白くなくなる。活動は,それ自体を目的とするとき,他の役には立たず,それゆえ面白い。何の役にも立たない物好き,酔狂な活動こそが,人間をして無我夢中にさせるのだ。

ヒマラヤ・マラソンは,その典型だ。こんなことをやっても,何の役にも立たない。苦しいだけだ。怪我をしたり,下手をすると死ぬかもしれない。損得からいえば,損するだけ。それでも,鉄の男や鉄の女が,とりつかれたように無我夢中になって走ったらしい。酔狂なことだ。なぜ,そんな(損な)ことをするのか? 面白いから,としか考えられない。

活動に没入し酔狂に徹すると,雑念(金儲けや出世)が滅却され,人は純化される。一心不乱に遊ぶ子供のようなものだ。この無邪気な子供は,雑念をもたないから,自分たちの体験を共有し理解し合えるのだ。

アンナプルナ・マラソンには,外国からも酔狂な人々が多数参加したという。彼ら,鉄の女と鉄の男は,雑念を振り払って走り,走りながら雑念を振り払い,自然人に返っていったのだろう。彼らは走るという純粋経験を共有し,そこからは深い相互理解が生まれる。スポーツとは,本来,そのようなものであるはずだ。

 ガンドルン(1985)

これと対照的なのが,近頃のプロ・サッカー。ナショナリズム丸出しで,私は大嫌いだ。入場時の子供利用もイヤラシイ。オリンピックも大嫌い。国旗掲揚なんか見たくもない。サッカーもオリンピックも,スポーツではない。我利我利亡者の争いが,本来のスポーツであるはずがない。

アンナプルナ・マラソンでも,ネパール国軍からの参加者が,途中で車に便乗するなど,ズルをしたらしい。走ることが手段になると,そのようなことが起こる。こんな体験は共有できない(共有したら山麓マラソンは成立しない)。しかし,そんなズルは例外であり,ほとんどの人は走ることそれ自体を目的に走り,体験を共有し,相互理解を深めあったという。

ヒマラヤ・マラソンは,平和貢献を目的にはしていない。走ることそれ自体が目的であろう。が,逆説的ながら,そのような非政治的な経験の共有こそが,相互理解の拡大・深化をすすめ,平和に大きく貢献することになるのである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/22 at 22:08

人民解放軍,政府へ引き渡し

明日1月22日,人民解放軍(PLA)の指揮権が首相に引き渡される。不覚なことに,そんな取り決めになっていたとは全く知らなかった。しかし,そんなスゴイことが,本当に出来るのだろうか?

リパブリカ(1月21日)によれば,22日チトワン・シャクティコール宿営所において引渡式典が挙行され,そこでプラチャンダ党首がPLA指揮権を首相(マオイスト戦闘員監視・統合・復帰特別委員会)に引き渡す文書に署名,マオイスト軍旗を首相に渡し,午前11時からPLAは首相指揮下にはいる。宿営所のマオイスト旗は降ろされ,ネパール国旗が掲げられる。

これはスゴイ! PLAのメンツも何もあったものではない。全面降伏ではないか。本当にこんなことが出来るのか?

式典には,来賓多数が出席する。政治家や高級官僚は国軍がお世話する。各国大使,国連官僚は,もちろんUNMINの豪華ヘリだ。きら星のごとき来賓のお歴々。PLA引き渡しの成功は間違いない。僭越ながら,私が保証してもよい。

で,ここで不思議なのが,招待されている各国大使たち――中国,デンマーク,仏,フィンランド,独,印,ノルウェー,露,スイス,英,米。あれ! 日本がいない。精鋭陸自隊員をUNMINに派遣しているのに,それはないよね! 一体全体,どうしたんでしょうね。

リパブリカ記事の間違いに違いない。よく早とちりする新聞だから。しかし,もしも,もしもですよ,リパブリカ記事が事実とすると,ネパールは日本を完全にバカにしていることになる。カネと人を出させて,敬意のひとかけらも示さない。お人好し,日本!

もちろん,日本政府が,平和主義の理念に立ち,軍事関係行事には大使を出席させることはできないとして招待を断ったのなら,わたしはその勇気ある決定を高く評価し,全面的支持をいささかも惜しむものではないが。

■追加(2011.1.22。写真はRepublicaより)
 記念式典の女性兵士

 チトワン宿営所。数年前,この中で大隊長インタビューをした。懐かしい。お元気だろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/21 at 23:30

第三の性,公認

5月開始のネパール国勢調査で,男女に加え「第三の性」が正式分類項目に加えられるという(International Daily News, 11 Jan)。ネパールでは,先進国では考えられないような速度で社会規範の弛緩が進み,最も強固と見られてきた男女区分も融解し,ついに「第三の性」公認となった。これについては,以下も参照。
 PLAから学ぶ,ジェンダーフリーSDF
 ネパール秘義政治とインド性治学
 アイデンティティ政治実験の愚
 パルバティ同志,ヒシラ・ヤミ(2e)
 カトマンズ性浄化: Amoral or Immoral

もともと男女間は,あれかこれかの二者択一ではなく,「男らしい男」から「女らしい女」まで,ゆるやかにアナログ変化するものである。それを「男」と「女」にデジタル区分してきたのは,その方が社会の認識・統治にとって便利だからに過ぎない。だから男女二分法をやめ,ネパールのように「男(第一の性)」「女(第二の性)」「いずれでもない(第三の性)」の三区分にしても,その限りでは何ら問題はないわけだ。

しかし,この性の三区分にも合理的根拠があるわけではない。消極的(negative)定義で満足しているうちはよいが,いずれ「第三の性」アイデンティティの積極的(positive)定義に進み,自分たち独自の権利の要求となることは避けられない。そうなったとき,今度は「第四の性」が問題となるであろう。

われわれは,物事に「名前」をつけることによって,それを他から区別し認識する。命名それ自体が他との区別ないし差別を意味しているのだ。

ネパールが「第三の性」を公認し国勢調査項目に入れたり,「第三の性」身分証明書(住民登録証)を発行したりすることは,たしかに人間の因習的定義付けからの解放であり自由の拡大となる。それはそうだが,しかしそれにもかかわらず,「そんなことをやって,どうなるの?」といった疑念が払拭しきれないのもまた事実である。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/19 at 10:35

カテゴリー: 社会, 人権

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