ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for 2月 2011

マオイストの憲法案(2)

1.人民民主主義憲法の宣言――前文
マオイスト憲法案は,「ネパール人民連邦共和国憲法2067(2011)」というタイトルの通り,人民民主主義を原理とし,社会主義の実現を目標とする。共産主義・毛沢東主義を党是とするマオイストの憲法案だから当然だが,イデオロギーの終焉社会に微睡む私たちは,ついこのあまりにも当然の大前提を忘れがちだ。自戒したい。

(1)民定憲法
前文は「われらネパールの主権者人民は」で始まる。主権者人民の定める民定憲法であり,現行暫定憲法と同じだが,表現はアメリカ憲法そっくりだ。

(2)ナショナリズム
前文の最初にくるのが,ナショナリズムの規定。「国家の独立,主権,地理的統合,国民的統一,自由,尊厳を維持し」と宣言している。万国の労働者の団結を目指すはずの共産主義なのに,ナショナリズム丸出しのショービニスム憲法案だ。

(3)人民戦争賛美
次に憲法案前文では,マオイスト人民戦争による封建王制打倒が賛美され,「人民連邦共和制」をその成果として確認している。暫定憲法では,「人民運動」の成果として確認されているのは「競争的多党制民主主義」である。この違いは大きい。原理的対立であり,妥協は困難である。

(4)社会主義
人民民主主義が憲法の原則となれば,当然,ネパールは「社会主義」による「無階級社会」の実現を目指すことになる。前文では,「半植民地的・半封建的体制」廃棄によりこれを実現していく,と宣言している。

現行暫定憲法前文には,むろん,こんな崇高な目標は宣言されていない。これも原理的対立であり,妥協の余地はない。

(5)労農階級の指導
社会主義となれば,当然,プロレタリア独裁となる。マオイスト憲法案には,「国家諸組織における労働者階級の指導的役割を保障する」と宣言されている。これも,暫定憲法の原則とは相容れない。

(6)連邦制
連邦制は現行暫定憲法でも宣言されているが,マオイスト憲法では,あらゆるカースト,民族,地域の「自治」と「自決権」を認める,と詳細かつ具体的に述べている。

その一方,「国家の地理的統合を維持し,国家の多カースト・多言語・多文化多地域的な多様性を制度化する」と欲張っている。カースト,民族,言語,宗教,文化,地域の自決と国家統一の両立がいかに難しいかは,インド・カシミール問題や中国チベット問題を見れば,一目瞭然だ。暫定憲法前文は,ここまで大胆な連邦制は述べていない。

(7)恐怖のプロ独憲法案
前文の結び部分になると,突然,「多党競争政治」が出てくる。さらに,市民的権利,経済的権利,定期的選挙,言論出版の自由が保障され,女性,ダリット,ムスリムらに対するあらゆる差別の廃絶が宣言されている。

あまりにも欲張り。何でもありだ。人民民主主義・社会主義と多党競争政治が両立しないことは明白だ。無階級社会になぜ政党が必要なのか? 

あるいは,基本的人権にしても,前文にはないが,本文にはおびただしい「但し書き」があり,実際には何一つ保障されていないに等しい。いやそればかりか,憲法案であるにもかかわらず,ご丁寧にも「スパイ罪」まで規定されている。

マオイストの19編274か条に及ぶ詳細な憲法案は,たいへん意欲的であるが,それだけにかえって恐ろしい,プロレタリア独裁憲法案なのである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/27 at 16:05

マオイストの憲法案(1)

ネパールでは,制憲議会における新憲法制定が,いま最大の政治課題となっている。制憲議会の任期は5月28日までであり,それまでに新憲法の制定ができなければ,ネパールの平和構築は頓挫し,内戦に逆戻りしかねない。

新憲法起草作業は,制憲議会設置の課題別11委員会によって進められており,論点整理はほぼ終わっていると思われるが,問題は主要3政党の思惑である。利害が絡むので,なかなか条文作成がはかどらない。

特に問題なのは,最大勢力のマオイスト。議席の40%を占めているので,マオイストが反対したら,新憲法は作れない。

では,マオイストは、どのような憲法案をもっているのか? イデオロギー政党のマオイストは,他のどの党よりも理屈っぽく,憲法についても,すでに19編274条の巨大憲法案を作成している。

Constitution of the People’s Federal Republic of Nepal, 2067, Unified Communist party of Nepal (Maoist), 2067 jestha 15

ネパール新憲法を,このマオイスト憲法案を無視して作成することは,おそらく無理であろう。そこで,以下では,このマオイスト憲法案の特徴をいくつか取り上げ,紹介していくことにする。(前文から順に取り上げるが,前後する場合もある。)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/26 at 23:59

カテゴリー: マオイスト, 憲法

Tagged with ,

Un-Victim: 「武器を持つガンディー」としてのロイ(2)

2.安全圏から非暴力を説くなかれ
人を殺さざるをえないギリギリの状況にない者,あるいはその状況を想像すらできない者に,殺人の悪を語る資格はない。同じく,自らは暴力の矢面に立たず,安全圏にいる者に,暴力の悪を説き,非暴力を唱える資格はない。ゲルニカとロイとの迫真の議論はこう展開する。

「ロイ: 私自身に武器を取る決意がなければ,暴力を説くのは不道徳でしょう。同様に,攻撃の矢面に立たずして非暴力を説くのも不道徳です。

ゲルニカ: かつて,あなたはこう書いています。『絶滅の危機には反撃の権利がある,と人々は信じている。いかなる手段によっても。』これに対し,お定まりの非難がなされてきました。そら,ご覧,ロイは暴力を説いているよ,と。

ロイ:私は,こう問いかけたい。もしあなたがチャティスガルの深い森の奥に住む「先住民(adhivasi)」であり,その村が800人の中央予備警察隊に包囲され,次々と家を焼かれ,女性を強姦され始めたとしたら,そのとき,人々はどうすると思いますか? ハンガーストライキをするのか? それはできない。人々はすでに飢え,餓死しつつあるから。商品ボイコットをするか? できない。なぜなら,人々には商品を買うお金がないから。たとえ,それでももし人々があえて断食やダルナ(dharna)をするとしても,いったい誰がそれを見てくれるのか? 誰が関心を示してくれるのか? だから,私にはこう考えるしかないのです――私自身が武器を取る決意がなければ,他の誰かに向かって暴力を説くことは不道徳である,と。そして同じく,自ら攻撃の矢面に立たずして非暴力を説くのは不道徳である,と。」

これは,すさまじい議論である。世のほとんどの非暴力主義は,安全圏の中からのお説教にすぎないということになろう。

3.立ち上がれ,非暴力のために
しかし,ロイは暴力は不可避と考えているわけではない。もしわれわれが不正義に苦しめられている人々に目を向け,共に闘うために立ち上がるなら,彼らは暴力に訴える必要はなくなる。

「ロイ: 先住民(adhivasi)の強制移住や窮乏化に対する闘いを誰も支援しないのであれば,彼らにガンディー主義を期待することはできないということ,これは事実です。しかしながら,森の外にいる人々,メディアが関心を示す裕福な中流階級の人々が,その抵抗運動を支援することはできます。もし彼らが支援に立ち上がっておれば,森の中の人々もおそらく武器を取る必要はなかったでしょう。もし森の外の人々が支援に立ち上がらないのであれば,戦いの犠牲者のことを考えよといった道徳を説いてみても,あまり意味はありません。」

4.哀れみを請う犠牲者たるなかれ
ロイが一貫して唱えているのは,イエーリングのいう「権利のための闘争」である。哀れみを請うのではなく,自ら権利を闘いとれ,とロイは訴える。

「特権階級の人々をいらだたせているのは,私が単なる犠牲者ではないこと,私が単なる犠牲者の振りをしないことです。彼らは哀れな犠牲者を愛し,犠牲者救済を愛しています。私の著作は貧しい人々への援助のお願いでもなければ,哀れみ深い慈善のお願いでもありません。NGOや慈善活動や援助基金を求めているのではありません。そんなものは,金持ちが自分のエゴをくすぐり,端金で自分の良心を満足させるためのものにすぎません。」

インドには,たしかに慈善があふれている。企業は競って社会貢献事業を宣伝している。しかし,ロイは,そんなものは偽善であり,自己満足にすぎない,と一蹴してしまう。過激派ロイの面目躍如といったところだ。

5.公的なものが私的に,私的なものが公的に
ロイは,このようなラディカルな立場をとってきたため,「公的なものが私的に,私的なものが公的に」なってしまったという。

「私は,たいへん不安定な,しかし,静かでないこともない生活を送っています。が,ときどき,皮膚が,つまり私と,私の住む世界とを区別する或るものが,無いのではないかと感じることがあります。この皮膚の欠如は危険です。私の生活のあらゆるところに,それはトラブルを招いています。それは公的なものを私的に,私的なものを公的にします。それはときどき大きな心的負担をもたらします――私だけでなく,私の近くにいる人々にとっても。」

文学的な表現だが,これは,マオイスト・シンパと激しく攻撃され,またカシミール自決支持発言で反国家扇動罪で告発されるなど,まさしく「公的なものが私的に,私的なものが公的に」なってしまった,ロイの偽らざる心境であろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/24 at 16:12

Un-Victim: 「武器を持つガンディー」としてのロイ(1)

「銃をもつガンディー」――あまりにも挑発的で神をも恐れぬ不遜な言葉だ。2009年12月、オバマ大統領がノーベル平和賞受賞演説でこれに近いことを述べた。彼は誠実で偉大な大統領ではあるが、アフガンなど世界各地で無防備な人民を多数殺しているアメリカの大統領であり、この呼称の域にはまだはるかに及ばない。
 (参照)ガンジーを虚仮にしたオバマ大統領 広島・長崎「平和宣言」批判 オバマ大統領の新軍国主義と朝日の海自派遣扇動 オバマ核廃絶発言と長崎の平和運動 オバマ大統領と国益と南アジア オバマ大統領の新軍国主義と朝日の海自派遣扇動 無節操なオバマあやかりイベント

「銃をもつガンディー」――あるいは、ひょっとしてこの呼称で呼ばれてもよいかもしれないと思わせるギリギリの域にいるのが、われらがアルンダティ・ロイだ。鋭利な言葉を縦横無尽に駆使して不正義と果敢に戦う作家、インド体制派にとってもっとも危険な知識人。そのロイが、『ゲルニカ』のインタビューにおいて、ガンディーを尊敬するにもかかわらず、なぜ銃を取らざるをえないか、このギリギリの問いに真正面から向き合い、誠実に答えようとしている。
 ■Arundhati Roy, “The Un-Victim,” Guernica, Feb. 2011

1.愚劣な質問
『ゲルニカ』のインタビュアー(Amitava Kumar)は、まず多くのインタビューを受けてきたロイに対し、愚劣な質問(stupid questions)と思ったのはどのような質問か、と問いかける。

「ロイ: かつて私はチャーリーローズ・ショー(Charlie Rose Show)に招かれ出演したことがある。彼はこう質問した。『アルンダティ・ロイさん、インドは核兵器を持つべきだと考えますか?』 そこで私はこう答えた。『インドは核兵器を持つべきだとは思いません。イスラエルも核兵器を持つべきだとは思いません。アメリカも核兵器を持つべきだとは思いません。』 『いいえ、そうではなく、インドは核兵器を持つべきだと思いますか、と質問したのです。』 私は全く同じように答えた。4回ほども・・・・。ところが、それは全く放送されなかった!」

あらかじめ想定していた回答を引き出すための質問、これはたしかに愚劣だ。次に、前後関係を棚上げにし、想定した回答を引き出そうとする質問。

「ロイ: 『マオイストは学校を破壊し、子供たちを殺している。こんなことが許されますか? 子供たちを殺すのは正しいことですか?』」

マオイストだろうが誰だろうが、子供を殺すのが悪であることは自明だ。その自明なことを答えさせることによって、質問者は、子供を殺すことは悪→子供を殺すマオイストは悪→ロイのマオイスト支持は誤り、という三段論法でロイをやりこめようとしているのだ。

これも愚劣な質問だ。人殺しは悪か、と問われたら、誰だって「人殺しは悪だ」と答えるに決まっている。しかし、現実にわれわれが直面する真の問題は、状況により人を殺さざるをえないときがあるのではないのか、という問いである。これなら本物の質問だ。ところが、腹に一物ある質問者は、状況も前後関係も棚上げして人を殺すのは悪かと質問し、悪だと答えさせ、それをもって人を殺さざるをえなかった人々を一方的に断罪しようとするのである。これも愚劣な質問である。

「ロイ: 愚劣な質問に答えるのは難しい。とてもとても難しい。愚劣は特有の方法で人を打ち負かす。とくに時間がなく、時間が貴重なときは。」

たしかに、そうだ。愚劣な質問は、本物の問題に対峙する勇敢な人々の誠意を踏みにじるものである。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2011/02/23 at 08:18

ネパール国際養子、または子供売買?

1.アメリカ政府のネパール養子禁止
ekantipur(18 Feb)が、米国のネパール養子禁止継続を伝えている。記事によれば、米政府は、「2010年2月ハーグ国際養子条約ネパール調査団報告書」に基づき、2010年8月、ネパールからの子供養子を禁止した。正確な実態は不明だが、ネパール女性子供社会福祉省(MoWCSW)によると、2000年以降の欧米諸国へのネパールからの養子は2400人だという。米国への養子手続き中は、現在、80人。これは表に現れた数字であり、実際にははるかに多いと思われる。

国際養子縁組は、養子・養父母とも幸せなケースもむろんたくさんあるだろうが、用心しないと、子供売買(人身売買)となりかねない。特にネパールと欧米のように、目もくらむような経済格差がある国家間では、国際養子は、極論すれば、ペットショップで子犬を品定めし買い求めるのと大差ないことになりかねない。この問題については、以前にも何回か言及した。

(参照) ネパール養子,サンタにもらわれアメリカへ

2.ハーグ国際養子条約
米国政府がネパール養子禁止の根拠にしているのが、次の報告書である。

Hague Conference on Private International Law, "Intercountry Adoption Technical Assistance Programme, Report of Mission to Nepal 23-27 November 2009", 4 Feb. 2010

これは、ハーグ国際私法会議の「ネパール国際養子調査団報告書」である。ネパールは、2009年4月24日、「ハーグ国際養子条約」に署名しており(批准未完)、これにより実地調査を受けることになったのである。

3.国際養子の原則
「ハーグ国際養子条約」は、養子縁組の条件を明確に定めている。

(1)子供本位の原則:子供本人の利益が第一。
(2)自国養育の原則:国内養育の手だてを尽くすこと。
(3)公認機関の原則:有資格の公認機関による養子仲介。特に金銭の支払いは透明化。

いずれも、もっともな原則であり、もしこれらが守られなければ、いくら善意であろうと、子供売買となる。たとえば、ヒンドゥー教徒の見栄えのよい子供をもらい受け、アメリカで善良なクリスチャンに育て上げ、宣教に利用するといったことが、もし万が一、行われでもしたら、それは「ハーグ国際養子条約」違反である。

4.ネパール国際養子への警告
では、ネパールの子供の国際養子縁組はどうか? ネパール調査団報告によれば、ネパール政府は調査に非協力的であったばかりか、ネパール養子の現状も「ハーグ国際養子条約」の原則からかけ離れたものであった。

(1)国際養子縁組規則の欠陥
ネパールには、「外国人によるネパール子供養子縁組の承認にかかる要件と手続き」(2008)という規則がある。しかし、このネパール国際養子縁組規則は欠陥だらけだという。

1)子供本位の原則なし
2)養子適格の判断基準・適正手続きの規定なし
3)自国養育の原則なし
4)生みの親への支援なし
5)養育専門家の関与なし

これは手厳しい。全面否定だ。

(2)養子適格審査書類の偽造
書類偽造は常態化しているという。恐ろしい。

(3)金銭授受の不透明さ
養子の見返りに金銭がネパール政府や関係機関に支払われているが、その授受が不透明。

養子縁組希望者は、年1万ドル(のち5千ドルに値下げ)の登録料を仲介機関に支払い、ここからカトマンズの孤児養育施設に報酬が支払われる。ぼろ儲けできるので、仲介機関も孤児養育施設も増える一方。子供本人のための他の養育施設は無視されている。とにかく国際養子は儲かるらしい。恐ろしい。

(4)子供養育のための他の政策なし。

(5)子供の選別・紹介
健康で適齢の子供だけが選別され、カトマンズの養育施設に送られ、養子引き受け希望外国人に紹介される。不健康な子供、大きくなりすぎた子供は、地元に放置されている。

つまり、もっとも養育が必要な子供を放置し、見栄えのよい養子縁組適齢の子供だけを選別し、外国人にとって便利なカトマンズの養育施設に送り込む。恐ろしや。

以上は、権威あるハーグ国際私法会議ネパール調査団の報告書の要点である。多少分かりやすく表現し直したが、根も葉もない捏造ではない。

5.アメリカ国務省の警告
この調査団報告書に基づき、アメリカ国務省・大使館が、信じられないほどの厳しい言葉で、ネパール養子縁組に対し、警告を発している。

US Department of State, "Caution about Pursuing Adoption in Nepal," May 26, 2010

「米国務省は、養子縁組希望者がネパールから養子を取らないよう強く警告する。ネパールの養子制度は信用できず、子供に関する公文書も信用できないからだ。また[米国の]養子仲介機関に対しても、・・・・ネパール国際養子縁組みに関与しないよう強く警告する。現行制度では、反倫理的行為あるいは違法行為があり得るからだ。」

これは厳しい。なぜか? おそらく、アメリカ人がこれまで現実に、そうした反倫理的ないし違法な国際養子縁組をやってきたからだろう。米国務省はこう述べている。

「カトマンズの米大使館は、養子に出された子供が実際には孤児ではなく、実の両親が必死になってその子供を捜しているケースがあったことを把握している。」

このケースの養父母の国籍は明示されていないが、米国務省が言っているのだから、おそらくアメリカ人夫婦であろう。さらにこんな警告さえ出している。

「(ネパール女性子供社会福祉省に養子申請している)両親には、希望国の変更を強く勧告する。」

アメリカはエゲツナイ国であり、ネパール人養子をまるでペットのように得意げにネット公開している養父母さえいる。しかし、だからこそ、アメリカは人権には敏感であり、人権のためには戦争さえ躊躇しない。ネパール国際養子に対するアメリカ政府の怒りは本物である。

6.日本の人権感覚?
では、日本はどうか? ネパールから養子を受け入れてはいないのか? 日本は、現代の奴隷制とさえ呼ばれている外国人研修生をネパールからも受け入れ始めた。人権感覚は、欧米よりも格段に低い。ネパールからの子供輸入はやっていないのか?

実は、日本は、「ハーグ国際養子条約」を批准していない。日本の子供(特に少女出産の子供など)の海外輸出を促進するためか? あるいは国際結婚破綻後の日本人妻の子供を強制送還から守るためか? そこはよく分からないが、ここでの問題は、むしろ日本が加害者になってはいないのか、ということ。

「ハーグ条約ネパール調査団報告書」付属の「口上書(Note Verbale)」はドイツ(代表執筆)、ベルギー、デンマーク、フランス、イタリア、ノルウェー、スイス、イギリスが作成し、オーストラリア、カナダ、アメリカが支持した。

日本は、最大のネパール支援国の一つなのに、カヤの外だ。人権、平和、民主主義が問題となると、いつもこの調子。こんな外交でよいのだろうか?

(参照)

外国人研修生の過労死,朝日社説が告発 ネパール人研修労働者受入 外国人研修制度の欺瞞性:報道ステーション 研修実習生,長崎でも提訴 外国人研修労働の違法性認定:熊本地裁 ネパール研修生仲介業者の大宣伝開始 ネパール人研修労働者の大量採用:日ネ関係は新時代へ 拝啓 マオイスト労相殿: これが研修奴隷だ! 対日ネパール人輸出,あるいは新三角貿易 外国人債務研修・実習制度の実態 信仰の自由なき研修実習生 外国人研修実習制は奴隷制:国連調査報告 韓国語検定に受検者殺到

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2011/02/21 at 11:08

カテゴリー: 社会, 憲法, 人権

Tagged with

陸自,ネパール撤退

UNMIN派遣の第4次陸自隊員6名が1月18日帰国,日本のネパール派兵は終了した。

「ネパール国際平和協力隊」は,2007年3月1次隊派遣,以後,1年ごとに4次隊まで継続,通算3年10ヶ月派兵されていた。

この日本派兵は,ネパール人民には,ほとんど知られていない。北沢防衛大臣は「労いの言葉」において,「国連本部,UNMIN,ネパール政府などからも高い評価を受け」(自衛隊ニュース,2011.2.1)と自画自賛したが,ここには「ネパール人民」はない。日本政府が誰の目を気にし,誰のために派兵したかは明白である。

陸自UNMIN派遣は,本格的な自衛隊海外派兵のための予行演習である。北沢防衛大臣はこう述べている。

「UNMINにおける活動は、部隊ではなく個人の派遣による活動であり、またその業務内容も、任務地における武器及び兵士の管理の監視業務という、これまで防衛省・自衛隊が経験したことのない、新たな挑戦とも呼べるものでありました。・・・・さらには我が国の国際平和協力活動の幅を広げることができました。」(上記「労いの言葉」,強調引用者)

意味不明の(含意明白の)「個人派遣」,「武器及び兵士の管理の監視業務」――これまでやりたくて仕方なかったことが,快適で安全無比のネパールで実地訓練できた。防衛大臣自身がいうように,これは「我が国の国際平和協力活動の幅を広げること」が最大の目的であった。決してネパール人民のための派兵ではない。

派遣隊員の発言は,当然,検閲されているが,それでも本音が漏れており,興味深い

■赤瀬丈 1陸尉
「今回の派遣においての一番の成果は、様々な国の軍人たちと一緒に仕事をすることで、それぞれの国の人の考え方、文化等を知ることができ視野が広がったということである。」(自衛隊ニュース,2011.2.15,強調引用者)

「一番の成果」は、ネパール平和貢献ではなく、「様々な国の軍人」との交流だったという。自分を日本陸軍の「軍人」と自覚し、他国の「軍人」と一緒に作戦(operation)を展開した。それが「一番の成果」だったという。たいへん正直な、しかも正確な事実認識だ。

先の記事「丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論」でも述べたように,憲法前文による自衛隊合憲化・海外派兵拡大の動きは,朝日新聞社説の変説=変節もあり,ますます進行している。しかし,軍隊は自己増殖し始めたら止まらない。ピストルも持っている。あの苦い経験をもう忘れたのだろうか?

 (防衛省2011.1.18,朝雲新聞2011.1.20)
この写真を見ると,「陸自隊員→中央即応集団配属→PKO個人派遣→帰国・中央即応集団→陸自隊員」の手品がよくわかる。丸山眞男の国連警察隊(国連軍)派遣論そのものではないか!

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/16 at 11:13

カテゴリー: 平和, 憲法, 人民戦争

Tagged with , , ,

丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論

丸山眞男(丸山真男,1914-1996)は,平和主義者のイメージが強いが,実際には冷徹な現実主義者であり,いわゆる「平和主義者」ではなく,自衛隊についても憲法前文による合憲化や積極的な海外派兵を説いていた。

1.「楽しき会の記録」
たとえば「楽しき会の記録」での丸山発言(『丸山眞男手帳56』2011.1)。これは1990年9月16日午後,丸山宅近くのホテルで開かれた「楽しき会」の録音テープを『手帳』編集部がおこしたもので,丸山自身の著作ではない。丸山は自分の文章についてはきわめて慎重で,一字一句おろそかにしなかった。その反面,少人数での座談は大好き饒舌であり,それらの多くは没後『丸山眞男座談』(9巻,岩波,1998),『丸山眞男回顧談』(上下,岩波,2006),『丸山眞男話文集』(4巻,みすず,2008-9)などにまとめられ出版されている。

これらの記録は丸山自身の著作ではないが,それだけにかえって彼の考えがストレートに出ている。特にこの「楽しき会の記録」のような丸山自身の校閲を経ていない発言記録は,彼の生の声,彼の本音をうかがい知る貴重な資料といえよう。録音テープからの文章化も丸山研究者や練達の編集者が当たっており,十分に信頼できる。

では,丸山は1990年の「楽しき会」において,自衛隊について何を語ったのか?

2.現実主義者としての丸山眞男
丸山眞男は,周知のように,主体的市民の成熟を説く近代主義者であり,「暴力」を手段として使う政治家の「政治責任」を問う冷徹な現実主義者であった。決していわゆる「平和主義者」ではない。

その丸山からすれば,たとえば仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会答弁(2010.11.18)を非難攻撃し辞任に追い込んでしまった自民党の行為は,笑止千万であろう。警察や軍隊が国家統治の「暴力装置」であることは常識であり,それを口汚くののしり,鬼の首を取ったかのようにはしゃぎ回るのは,およそ大人の政党たる自民党らしくない。自民党は退化し,おしゃぶり(政権)を取り上げられ,だだをこねている幼児のような政党になってしまった。丸山であれば,おそらくそう考えたにちがいない。丸山は,政治においては「暴力」を手段として使用せざるをえないという冷厳な事実を見据えていた。丸山は決していわゆる「平和主義者」ではない。

したがって,自衛隊についても,現実主義者(ウェーバー的現実主義者)としての丸山は,現実主義的な認識をしているとは思っていた。しかし,この「楽しき会の記録」を読むまでは,晩年の丸山が憲法前文による自衛隊の合憲化や積極的な海外派兵を唱えていたことは,まったく知らなかった。うかつと言えばそうだが,これには,正直,驚いた。

3.人民の自己武装権
1990年の「楽しき会」において,丸山は30年前の著作「拳銃を・・・・」(1960,『丸山集8』)を引き合いに出し,「国民の自衛権」を全面的に擁護している。

「拳銃を・・・・」によれば,アメリカ憲法修正2条(1791)は「武器を保持し武装する人民の権利」を保障しているが,それは元来「人身の自由」を最終的に担保する「個々人の武装権」であったし,現在もなお原理的にはそうである。アメリカ憲法は,自由を守るための個人の武装権,人民の自己武装権を認めているのである。

ところが日本では,秀吉の刀狩り以来,人民は武装解除されていき,今では丸裸にされている。また,権利や民主主義も日本では闘いとられたものではなく,既製品として輸入され国民に与えられたものである。したがって,日本人は権利や民主主義が危うくなっても,それらを守るために闘う気力も戦うための武器も持たない。

“私達は権力にたいしても,また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである。どうだろう,ここで思い切って,全国の各所帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して,世帯主の責任において管理することにしたら・・・・。そうすれば深夜にご婦人を襲う痴漢や,店に因縁を附けるに来るグレン隊も今迄のように迂闊にはおどせなくなるだろう。なにより大事なことは,これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが,社会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし,外国軍隊が入って来て乱暴狼藉をしても,自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるにちがいない。日本の良識を代表する人々につつしんでこの案の検討をお願いする。”(p.281)

このピストル配布武装論は,「権利のための闘争」の覚悟,あるいはより直接的には再軍備反対のための断固たる決意を説くためのレトリックのようにも見えるが,しかし私には必ずしもそうとは言い切れないように思える。丸山は,本気で,権利が国家から,あるいは外国から侵害されそうになったとき,最後のギリギリのところでは,個人や人民は武器を取って戦うべきだ,と考えていたのではないか。私にはそう思われる。

4.「国民」の自衛権行使の合憲性
丸山の「楽しき会」発言(1990)は,30年前のこの「拳銃を・・・・」(1960)とまったく同じ人民武装論の立場からなされている。

“外国が入ってきたらどうするのか,と。女房を犯されてどうするのか,と。そんなに言うのなら,各戸にピストルを配れ。そうしたら婦人も安心して夜間に外出できる,と。襲ってきたらやればよい。正当防衛ですよ。”(p.17)

“軍隊は国民の独立[のため]なんだ。個人の独立なんだ。・・・・市民が武器を取って自分を守るんです。”(p.20)

丸山は,「個人」の自衛権・武装権を認め,さらに「国民」の自衛権・武装権も認める。ただし,この「国民」の自衛権は,「国家」の自衛権とは異なる。

“国家の自衛権と国民の自衛権を区別しなければいけない。・・・・国民が自己防衛するのは憲法は許していますよ。完全に合憲です。ピストルを持とうが何をしようが。国家が国家として国家の軍隊を行使してはいけないとだけ,現在の憲法は禁止している。”(p.22)

論旨明快。丸山は,政府専制化や外国侵略に対し,個人やその集合である「人民」ないし「国民」は自衛権を持ち,武器を取って戦ってよいし,戦うべきだ,そして日本国憲法もそれを認めている,と明言している。

それはよく分かる。しかし,そこから先がよく分からない。つまり,「国民」の自衛権・軍隊と「国家」の自衛権・軍隊が,はたして区別できるかどうか? 日本攻撃に対する国民蜂起と国家防衛戦争が区別できるかどうか? 理念的・概念的には区別できるが,実際には多くの場合「国民」の軍隊と「国家」の軍隊は区別できないのではないか?

むろん丸山も,「こうした[アメリカ憲法修正2条の定めるような人民の]武装権が集合体としての『国民』の自衛権に,さらには『国家』の自衛権へといつの間にか蒸発して」しまう危険性を十分に自覚していた(「拳銃を・・・・」p.279)。

しかし,危ないと分かりつつも,近代主義者・現実主義者としての丸山は,個人・人民・国民の自衛権・自己武装権を認めざるをえなかったのである。

5.憲法前文による自衛隊合憲化
ここから,丸山眞男は,日本再軍備反対運動・戦後平和運動の代表的イデオローグでありながら,自衛隊容認,さらには自衛隊海外派遣(派兵)の提唱へと,勇敢にも,いやあまりにも大胆に,突き進んでいく。

丸山によれば,憲法9条は「国家」の自衛権・交戦権を放棄しており,したがってそれを前提とする現在の自衛隊は違憲である。ところが――

“憲法の前文を引用すれば,前文の趣旨に自衛隊を解釈すればジャスティファイできる。”(p.21)

これは重大な発言である。「前文の趣旨」が何かは直接的には説明されていないが,おそらくそれは日本および世界の諸国民の平和的生存権を保障するための軍隊であれば,ジャスティファイ(正当化)できる,ということであろう。憲法前文は,「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とのべ,「日本国民は,国家の名誉にかけ,全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言している。この平和的生存権を守るための自衛隊であれば合憲ということ。それ以外には,考えられない。

6.グローバル化と海外派兵の合憲性
この丸山眞男の自衛隊合憲論は,彼のグローバル化時代の到来という時代認識に裏打ちされている。

“今や世界のシンボル・パワーズがみんな自分の国を自分の国の軍隊では守れなくなった。主権国家の軍隊という意味が全く歴史的に変わった。それと戦争概念の変化があるでしょ。”(p.29)

つまり,いまやグローバルな「ワン・ワールド」が現れつつあり,そこでは――

“国際連合は,世界の警察の役目で制裁するの。・・・・国内警察と同じように,違法行為を犯した奴を世界の警察が捕まえて裁判するんだ。それは警察であり軍隊なんだ。[イラク制裁では]それを主権国家が代用しているのがおかしいの。・・・・これは特定の国家群ではなく,グローバルな国際連合の行為なんです。警察と同じなんです,国連が。軍事行動を取るなら,世界警察としてのみ是認される。”(p.30)

丸山は,平和的生存権保障のための自衛隊を合憲と見なし,さらにそのための国連の軍事行動への自衛隊派遣(派兵)も合憲と考えるのである。

7.丸山「海外派兵論」の危険性
丸山の議論は,結局,国連軍ないし国連警察が成立するなら,日本は自衛隊をそこに参加(派兵)させうるし,積極的に参加(派兵)させるべきだ,という結論になる。しかし,現実には国連軍はまだ成立していない。では,どうするか?

“グローバルな安全保障だけが安全保障であって,軍事同盟は対立するものなんです。軍事同盟を否定するのが国際連合の政治。つまり,世界の警察軍だけを認める。ただ現実問題として主権国家が存在しているから,主権国家の軍隊の力を借りる。”(p.33)

冒頭で丸山は現実主義者だといった。ここでは,その丸山の現実主義が,議論を徐々に危ない方向へと向けていく。

“国連をエフェクティブeffectiveにしようと思ったら,国籍を離脱した国連軍を作るほかないんです。ただ,主権国家はなくならないから,軍人が国連軍から脱退した時には,前の国籍に戻すという保証がなければ,ちょっと困ります。”(p.18)

自衛隊も,当然,国連に派遣され「国連直属の軍隊」になるのであれば,「そうすれば,憲法に違反しない」(p.19)ということになる。しかも,先の説明によれば,国連軍から脱退すると,日本の国籍に戻る。たしかに現実的だ。しかし,そんなことをして本当に大丈夫か?

国連軍がまだ成立していないからといっても,PKO(PKF)の場合,指揮権は国連(総会・安保理)にあり,各国からの派遣軍はその指揮に服する。つまり国連警察軍といってもよい。とすれば,自衛隊のPKO派遣(派兵)は合憲となり,任務終了とともに日本国自衛隊に復帰することになる。自衛隊の活動は世界大に拡大し,国連フィルターを通して自衛隊の自己増殖が始まるのではないか?

丸山にはそうした躊躇は全くない。それどころか,彼の現実主義は,ここに止まらず,さらに議論を危険な方向へと前進させる。

“国籍離脱が無理なら,ぎりぎりの現実論は,さっきの話のように,自衛隊を二つに分けて,国連協力隊と今までの自衛隊と。”(p.34)

“国連協力隊法案のなかにその一条を入れる。今の自衛隊を二つに割って,一つを国連協力隊と名付けると。国連協力隊には自衛隊員以外も参加できるというのがあれば,なおいい。そうすると国連軍に近づくから。”(p.35)

丸山は,「楽しき会」の最後で,自衛隊の国連協力(国連軍参加)について,こう述べている――

“それが日本国憲法の精神だ,と言うんですよ。国内向けには,それがナショナル・インタレストだ,本当の意味で。”(p.36)

現実主義者らしい考え方だ。しかし,本当にこんなことをやってよいのだろうか? かつて明治憲法体制下で顕教(天皇統治)と密教(立憲君主制)の二枚舌が結局は顕教支配を招いたように(久野・鶴見『現代日本の思想』1956),自衛隊海外派遣は国益だという顕教と,それがこれからの世界益だという密教の使い分け二枚舌が,結局は日本国益のための自衛隊海外派兵という分かりやすい顕教の支配になってしまわないだろうか? 「本当の意味で」と限定されていても,国益は国益であり,「国内向け」に使えば,日本国益のために自衛隊を派遣する,となってしまうのは必定ではあるまいか?

私は,この「楽しき会」記録が公刊されるまで,丸山がこのような生々しい発言をしていたことを知らなかった。超国家主義の完膚無き批判者,非武装中立の提唱者,安保闘争支持の代表的知識人,戦後民主主義の旗手――その丸山眞男が,条件付きとはいえ,自衛隊合憲論・海外派兵論を唱えていたとは! これはショックだ。

8.丸山「海外派兵論」と朝日新聞の「変説」
ここでもう一度,「楽しき会」のメンバーを見てみよう(○印は出席者)。
 ○丸山眞男(1914-1996):東大法学部,政治学,日本政治思想史
 ○安東仁兵衛(1927-1998):構造改革派,『現代の理論』発行
 ○石川真澄(1933-2004):朝日新聞,朝日ジャーナル
 ○岩見隆夫(1935-):毎日新聞,サンデー毎日
 ○筑紫哲也(1935-2008):朝日新聞,朝日ジャーナル,TBS
  堤 清二(1927-):辻井喬,西武・セゾングループ
  冨森叡児(1928-):朝日新聞
  松山幸雄(1930-):朝日新聞

そうそうたるメンバーであり,いわゆる進歩派・良識派知識人の会といってよい。ここで丸山が,憲法前文による自衛隊海外派遣合憲論を語った。ジャーナリズム,特に朝日新聞への影響は大きかったのではないかと推察される。では,この「楽しき会」開催(1990年9月)前後の世界情勢,日本情勢はどのようなものであったのか?

 1989 ベルリンの壁崩壊
 1990 イラク軍クウェート侵攻,「楽しき会」
 1991 湾岸戦争勃発,ソ連崩壊
 1992 PKO法成立
 1993 55年体制崩壊,EU成立
 2001 PKO法改正によりPKF参加凍結解除
 2006 自衛隊法改正で自衛隊海外活動が「本来任務」に
 2007 陸自中央即応集団(CRF)設立
    朝日新聞社説21(5月3日)が「地球貢献国家」提唱

この年表から分かるように,「楽しき会」開催の1990年前後を境に,世界も日本も劇的に変化したことが分かる。近代主権国家からなる世界はベルリンの壁崩壊(1989)とソ連崩壊(1991)により終わりの秋を迎え,EU成立(1993)に象徴されるような,超国家的地域共同体やグローバル社会の形成へ向けて大きく方向転換した。

日本でも,保守対革新の55年体制が1993年に崩壊し,政治情勢が流動化,新しい体制への模索が始まった。丸山が1990年に語ったように,世界の構造が大きく変わったのであり,93年の日本政治の構造変化もそれを受けたものであったのである。

そして,ここで特に注目すべきは,自衛隊をめぐる議論がやはりこの頃を境に大きく変化したことである。1992年には国際平和協力法(PKO法)が成立,自衛隊の海外派遣が認められ,2001年には同法改正により平和維持軍(PKF)参加凍結も解除された。さらに2006年の自衛隊法改正により,自衛隊の海外活動が「本来任務」とされ,2007年にはPKOに対応するための部隊「中央即応集団(CRF)」も設立された。ここでは「民軍協力」が本格的に導入され,2007年のネパール国連ミッション(UNMIN)派遣ではCRF配属の陸自隊員が「個人の資格」で派遣され,以後,UNMIN指揮下で活動してきた。

この流れを追認し,さらに強くそれを後押ししたのが,2007年5月3日の朝日新聞「社説21」である。ここで朝日は従来の「良心的兵役拒否国家」を放棄し,「地球貢献国家」を社説として採用し,自衛隊の積極的海外派遣を唱え始めた。これは自衛隊をめぐる議論に決定的な影響を与えた。以前から自衛隊合憲・海外派遣を唱えてきた産経新聞や読売新聞ではなく,それに真っ向から反対してきた朝日新聞が「変説(変節?)」したからである。

この90年以降の日本の防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」は,少なくとも外見的には90年の丸山「楽しき会」発言に沿ったものである。では,丸山はこの防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」にどのような影響を与えたのか?

丸山は,良識派・進歩派・革新派・護憲派の知識人や政治家に大きな影響力を持っており,多弁な彼がもし90年「楽しき会」発言と同趣旨の発言を別の機会に何回もしているとすると,それを聞いた人々から彼の考えが周辺に広まっていった可能性は十分にある。

特に注目すべきは,朝日新聞「変説」との関係である。「楽しき会」のメンバーには,朝日新聞系の重鎮が4人も含まれている。彼らが丸山に深く傾倒していたことは言うまでもない。具体的なことは,もちろん分からない。しかし,90年の丸山発言と朝日の「地球貢献国家」がよく似ていることは確かである。両者の間になんらかの関係があるのではないかと見られても不思議ではない。

9.丸山眞男と現実主義の陥穽
丸山には,通俗的現実主義を鋭く批判した「現実主義の陥穽」(1952,丸山集5)という論文がある。現実主義者の丸山であるからこそ,通俗的現実主義の危険性をよく認識していた。では,丸山自身の自衛隊合憲論・海外派兵論はどうなのか?

グローバル化時代における「新しい戦争(非正規戦争)」の拡大という「現実」への現実的対応という,「現実主義の陥穽」に陥っているのではないか? 国連を利用した自衛隊自己増殖の正当化理論となっているのではないか?

丸山がいうように,グローバルな「ワン・ワールド」が現れ「世界警察」の必要性が高まりつつあることは認めつつも,それでもなお自衛隊の海外派遣(派兵)には懐疑的とならざるをえない。それは,日本の平和にとって,本当に賢明な選択なのだろうか?

■参考資料
朝日新聞社説21(2007年5月3日)

提言 日本の新戦略―地球貢献国家を目指そう

15.自衛隊の海外派遣

国連PKOに積極参加していく・自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる

・平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する

・多国籍軍については、安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則

憲法の前文(資料6)は、日本だけでなく、世界の人々が平和に暮らす権利を重くみた歴史的な宣言でもある。紛争のあった国の再建を手伝う「平和構築」は、前文の精神に沿うものだ。

民族紛争、内戦などで疲弊、破綻(はたん)した国は、和平合意後も社会が不安定な場合が多い。暴力によらずに対立を解決していくためには、民主主義制度の整備や法の支配の確立が大きな鍵を握る。近年、国連主導で平和を持続し、国を再建していく「平和構築」が世界各地で進められてきたのはそのためだ。

「平和構築」は第一に、そこで暮らす人々のために進める。だが同時に、国際的な安全保障での意味も大きい。内戦などで法の支配が崩れると、テロや麻薬、武器密売などの犯罪組織が拠点を置く。そこから脅威が世界に散らばり、「世界の弱点」となる恐れがある。対応策として「平和構築」を進める必要がある。

「平和構築」には行政官やNGOの人たちを含む文民の活動がふさわしい仕事が多い。だが中には、武器を持った実力部隊でないと危険な時期や場所もある。そこに自衛隊の出番がある。

自衛隊の派遣は、日本にふさわしいものでなくてはならない。現地で歓迎され、実際に「平和構築」に役に立つ。あくまで憲法前文のような普遍的な理念に基づく派遣であって、「米国とのおつき合い」だけで海外に自衛隊を送るべきではない。そこで次のような諸点を前提に進めるべきだと考える。

国連PKOは、紛争終了後の平和構築の柱である。だが、他の先進諸国に比べて、自衛隊の派遣件数はまだまだ少ない。日本の参加先をもっと増やし、任務の幅も広げるべきだ。

日本は92年に国連平和維持活動(PKO)協力法を制定し、まずカンボジア復興で自衛隊を派遣した。その後もゴラン高原、東ティモールなどの国連PKOに参加してきた。これまでの参加は、紛争で壊された施設の復旧、医療活動などの人道復興、後方支援だった。

01年に同法は改正され、凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視、緩衝地帯での駐留、巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが、今後は協力していくのが適切だろう。

安保理決議に基づき、厳密に規定された任務を進めていくうえでのやむを得ない発砲などは、犯罪を抑える警察の武器使用に近い。武力行使にあたるような使用を認めないのは言うまでもない。

慎重に実績を重ねつつ、将来的には現在のPKO法では認めていない、国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。治安情勢や自衛隊の練度などを踏まえ、派遣の是非は個々のケースごとに決めるのは当然だろうし、さらにどんな条件が必要かを考えたい。

同じ平和構築でも近年は、国連PKOではなく、国連安保理決議に基づく国際部隊が配置されるケースが増えている。治安の変化に臨機応変に対応する必要性などから、国連ではなく国際部隊に参加した国の現地司令官が指揮するものだ。ただ、任務の内容としては公共施設の復旧、医療活動など国連PKOとあまり変わらない内容のものも含んでいる。

日本としても、こうした国際部隊について、国連PKOにおける後方支援に準じるものであれば、参加するケースがあってもいい。平和構築活動における日本の選択肢を広げるためだ。

その場合、国会の事前承認、武力行使の禁止などの厳しい条件を設けるべきだ。政権転覆が目的の「有志連合」による攻撃など正統性を欠く行動、たとえばイラク戦争のようなものには決して加担しない。そうした戦争の後の平和構築にも基本的に参加しない。

最後に、自衛隊は戦闘中の多国籍軍には後方支援であっても参加しない。この原則は今後も貫く。

例外中の例外が考えられるとすれば、(1)誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり、(2)明確な国連安保理決議に基づいて、国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され、(3)事案の性格上、日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある、といった要件をすべて満たす、極めてまれな場合でしかない。

ただし、その場合でも、自衛隊が協力できるのは、憲法で許容される範囲内の後方支援に厳格に限定されるべきであり、国会の事前承認を大前提としなければならない。

こうした枠組みの中で自衛隊が技量を発揮し、日本らしさをアピールしたい。

資料6 憲法前文(抜粋)
○われら(日本国民)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う

○われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

■参照
海外派兵を煽る朝日社説
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/13 at 21:20