ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

「布教の自由」要求:キリスト教会

宗教(信教)の自由も、先述の墓地問題と無関係ではない。センセーショナルな埋葬の権利要求は、キリスト教にとって長年の悲願である布教(伝道・宣教)の自由獲得への突破口となる可能性がある。

1.憲法「但し書き」による布教禁止
宗教(信教)の自由は、1990年憲法でも2007年暫定憲法でも保障されている。

「暫定憲法23条 宗教の権利 人はすべて、社会的文化的伝統を尊重しつつ、古くから継承されてきた自分自身の宗教を実践、告白および保存する権利を有する。」

このように、宗教の自由は保障されているが、よく見ると、これは自分自身の持つ宗教への権利であって、布教の自由の保障ではない。このことを明確にするため23条には「但し書き」が付加されている。

「暫定憲法23条 宗教の権利(但し書き) 但し、何人も他の人をある宗教から別の宗教へ改宗させる権利を有せず、また何人も他の人々の宗教を侵害するおそれのある行為または態度を取ることはできない。」

これは、事実上、生来的宗教としてのヒンドゥー教(ヒンドゥーとして生まれつく)保護のための規定といってよく、布教・改宗の制限規定である。この規定があるがため、ネパールでは、宗教の自由は保障されていても、特にキリスト教の布教活動はこれまでは大ぴらにはできなかった。

2.マオイスト憲法案における布教制限規定
では、最左翼マオイストの憲法案(2010年)では、どうか? 何と、驚くなかれ、マオイスト憲法案でも上記の「但し書き」による布教の自由制限はそのまま継承され、しかもご丁寧にも、「宗教の自由」制限理由として「公衆衛生」「公序良俗」「公共平和」が追加されている。

さすが唯物論共産主義、宗教などアヘンにすぎないのだ。布教なんて、もってのほかということらしい。

3.政治化するキリスト教会
この状況に対し、ネパールのキリスト教会は国家再構築・新憲法制定をチャンスと捉え、従来のキリスト教信仰を守るという消極的防御の姿勢から布教・宣教という積極的攻勢へと態度を大きく転換しつつある。

たとえば、Christian Post(2011-03-30)によれば、ネパール国家人権委員会の唯一のクリスチャン委員であるKB. Rokaya博士は、「クリスチャンはもっと政治的に行動すべきだった」と反省している。

ネパールのキリスト教徒は、現在、約200万人、そのうちの約40万人がカトマンズとその周辺に居住している(CB.Gahatraj, UCA News, 2011-03-28)。かなりの人数だが、実際には、もっと多いとされている。これらの人々が、ロカヤ博士が提唱するように、これからは「もっと政治的に行動」するようになるであろう。

たとえば、制憲議会には、現在、クリスチャンは一人もいない。これはロカヤ博士にとっては大問題だ。なぜなら、新憲法の宗教規定から布教制限の根拠となる「但し書き」を削除し、完全な宗教の自由を獲得することが、いまやネパール・キリスト教会の最重要課題の一つとなっているからである。

4.布教制限削除への反対
この布教制限削除については、いまのところ反対が多い。コングレスのマンバハドゥール・ビシュワカルマは、キリスト教会は不公正な布教活動をしてきたと批判し、ヒンドゥー教に問題があっても、改革は可能だと考える。

マオイストのアカル・バハドゥールは、布教制限は国際人権規約違反かもしれないが、ネパールでは布教禁止への国民的合意がある、と反論している。

このアカル・バハドゥールも委員である制憲議会人権委員会は、議会提出の中間報告で、自分の宗教を変える自由は認めるが、他人を改宗させることは制限ないし禁止する、という改正案を提案した。つまり、現行通りということ。キリスト教会は落胆し、「もっと政治的に行動」すべきだと思ったに違いない。

5.「但し書き」の政治問題化
そのような働きかけがあったかどうか具体的には分からないが、それでも状況は、キリスト教会に有利に展開しつつある。

コングレスのスシル・コイララ党首は、新憲法おいてネパールが世俗国家になることは間違いないが、従来のような「但し書き」が布教禁止になるとは気づかなかった、と語った。コングレス党首ともあろう人が、こんなことを知らなかったはずはない。ネパール政治家の特技、おとぼけであろうが、それでも「但し書き」が布教禁止になることを認めさせたことは大きい。

コングレスのガガン・タパは、「但し書き」が不当な布教制限をもたらすおそれがあることを認め、「『暴力、買収および強制』の文言を追加することで、不法な改宗を防止するのがよいだろう」と述べた。キリスト教会は不満であろうが、「但し書き」の問題点を認めさせた点では一歩前進である。

6.神々の闘争の防止を
新憲法制定は、キリスト教会にとっても絶好のチャンス、多少無理をしても教会は悲願の布教の自由を獲得するため「政治的な行動」を活発化させる可能性が高い。信教の自由は基本的人権。しかし、ことは宗教、神々の争いとなると、収拾がつかなくなる。門外漢としては、ただただ、くれぐれも慎重に、とお願いするしかない。

* Prospects Dim for Religious Freedom in Nepal, Christianpost.com, 2011-03-30
* Chirendra Satyal & UCAN, Nepal: Christians to Step up Hunger Strike, UCA News, 2011-03-28

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/04/04 @ 12:36

カテゴリー: 宗教, 憲法, 人権

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