ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

バタライ首相とタライとインド

印中両国が,バブラム・バタライ首相に当選の祝意を表明した。他国であれば外交辞令にすぎないが,両国の場合,それに留まらない生臭さがつきまとう。

新聞の扱いは,当然ながら,マンモハン・シン印首相の方が圧倒的に大きい。それによると,シン首相は,当選直後に直接電話し,バタライ氏の首相当選を祝う一方,直ちに公式書簡を送り,訪印を要請した。

中国駐ネ大使も、もちろん日曜夕方,バタライ氏を訪問し,祝意を表明したが,新聞の扱いは小さい。訪中要請もなかったようだ。

バブラム・バタライ氏は,マオイストの知恵袋,マオイスト主要文書の作成の多くに関わっている。「マオイスト・イデオローグ,バブラム・バタライ」。

その一方,バタライ首相の知的バックグラウンドはインドにあり,マオイスト内では穏健派のリーダーである。というよりも,プラチャンダ議長派とバタライ派は,もともと別のグループであったのが,反国王闘争のため合流していまの「ネパール共産党毛沢東派」となったのだ。

合流後,バタライ派は地上の合法闘争(選挙など),急進派は地下の非合法闘争を分担したが,これは単なる戦術というよりは,両派の本質的な立場の違いとみてよいだろう。1996年2月人民戦争が始まると,バタライ氏は急進派に攻撃され,一時は「粛正」寸前まで追い詰められた。それくらい,バタライ首相は筋金入りの「穏健派」「修正主義者」なのだ。

政治家としての魅力は,プラチャンダ議長がずば抜けている。天性の明るさ,愛嬌と,ドスの利いた胆力。人民に恐れられ愛されている。巨木をも倒す(事実,倒した)オノのような政治力を持つ人物だ。

これと対照的に,バタライ首相(マオイスト副議長)は,カミソリのような鋭さをもつインテリ政治家である。蛮勇を求められる革命期よりも,むしろ平和再建期に向いている。その反面,オノの剛胆はないので,政治的にぶれ,折衷的となり,挫折する恐れもある。

バタライ首相は,マナスル山麓ゴルカ出身のブラーマン,妻のヒシラ・ヤミ中央執行委員会委員はカトマンズのネワ―ルであり,ともに旧体制の支配身分。丘陵地による南部タライ支配の,支配者側に属する。ところが,そのバタライ氏が,今回はインド国境沿いのタライを地盤とするマデシ連合の支持を得て,首相に当選した。

タライは,広大な平地であり,近年,人口と産業が急成長している。インド文化・経済圏内である。

このタライは,長期にわたり,カトマンズを中心とする丘陵地権力に支配搾取されてきた。しかし,近い将来,これが逆転し,タライがネパール経済の中心となり,そしてそれとともに政治の中心もタライに移ることは,まず間違いない。ネパールのインド化である。

タライ(マデシ)諸政党は,すでに議会議席や公務員の人口比割り当てを要求し,国軍についてもマデシ部隊採用を要求している。

マオイストも,こうした共同体的(コミュナル)要求を全面的に受け入れ,「包摂参加民主主義」を原則とする新憲法案を発表している。

この状況下で,バタライ副議長がマデシ連合の要求を呑み,首相に当選したことの意味は深甚だ。インドがバタライ支持に回り,あれこれ働きかけたのではないだろうか?

■バタライ首相の学んだネルー大学は,いまも共産主義運動の拠点の一つ。
  2010/03/11 社会主義健在:ネルー大学
■バタライ首相出身地ゴルカ。
  2009/03/21 ゴルカの落差と格差:美少女の不幸
  2009/03/21 ゴルカのキリスト教とイスラム教
  2009/03/21 ゴルカのマオイスト
■ヒシラ・ヤミ中央執行委員(バタライ首相夫人)
  2007/07/02 パルバティ同志,ヒシラ・ヤミ(1)
■広大肥沃なタライ。
  2008/09/20 タライの魚釣り少年たち
  2008/09/15 タライの豊かさと貧しさ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/08/29 @ 11:33