ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for 12月 2011

危険なIC免許証,暗証番号の無効化を

現状報告(2016年12月21日追加)
免許証暗証番号制は,事実上破綻,すでに暗証番号入力は不要とされている。参照:免許証暗証番号,百害あって一利なし(2016/11/09)

——–≪以下,2011年12月28日投稿記事≫——–

1.暗証番号の無効化
運転免許証を更新したら,IC免許証となり,8桁の暗証番号の設定を要求された。なぜこんなものが必要なのか,まったくもって不可解?! 直ちに,暗証番号を無効化した。方法はカンタン。誤番号を3回入力すればよい――  

  (例)1100 1100  3回入力 →→ 無効化完了

これで,少なくとも,8桁もの暗証番号を5年間も記憶する精神的負担からは解除される。

 IC免許証見本(石川県警HP)

2.IC免許証の導入理由
こんな市民にとって何の利益にもならないIC免許証を,なぜ採用したのか? 警察は次のように説明している。

・偽造防止  「ICカード免許証は、偽変造免許証の作成が極めて困難であり、不正使用を防止できます」(警視庁HP)
・身分証明用  「将来、金融機関等でIC免許証を身分証明書として利用する際に、ICチップに登録された内容を確認するため、暗証番号の入力を求められることが考えられます」(新潟県警HP)  

この2つが,IC免許証に切り替え,しかも暗証番号まで設定する理由。警察でいくら尋ねても,これ以上の説明はない。完全にマニュアル化され,身分証明用としていかに安全・便利かが,繰り返されるだけ。まるで銀行かサラ金の代理店のようだ。

3.立証責任の転換
このIC免許証の危険性は,まず第一に,立証責任の企業から顧客への転換に認められる。免許証は,これまでも身分証明用として利用されてきたが,本人確認の責任は銀行など確認する側にあった。不注意で騙されたら,その責任は銀行などにある。

ところが,IC免許証となり,暗証番号入力で本人確認ということになれば,悪用されても,本人の暗証番号管理責任がまず問われることになり,よほどの落ち度がない限り,銀行などは免責されてしまう。

一方,市民の側は,8桁もの暗証番号の記憶はおよそ不可能だから,手帳に書いて持ち歩くか,メモに書き通帳などと一緒に保管することになる。これがいかに危険かは,いうまでもない。

IC免許証は,銀行などの立証責任を免除ないし軽減し,それを本人に押しつけるためのものに他ならない。こんな反人民的,反庶民的な悪巧みを容認してはならない。

4.身分証明機関としての警察と営利企業の連携
次に注意すべきは,身分証明業務が事実上,市役所等から警察に移行すること。あっけらかんと警察自身が認めているように,IC免許証採用の理由の1つは,身分証明用としての利用拡大である。換言するなら,警察が市民の身分証明機関へと大変身するためである。

暗証番号照合機に入力すると,免許証情報(顔写真・本籍など)が,このようにバッチリ表示される。

 (警視庁HP)

暗証番号照合機は,今後,銀行など各所に設置されるそうだから,免許証を紛失したら大変なことになる。

いや,それどころではない。こんな企業にとって好都合なものを,目ざとい企業が見過ごすはずがない。すでに,恐ろしいことが始まっている。

IC運転免許証を活用した本人確認サービス(NTT)
 “株式会社NTTデータは、2010年9月27日より、IC運転免許証を活用した本人確認サービス「BizPICOTM(ビズピコ)」の提供を開始します。/「BizPICO」は、IC運転免許証のICチップ内の情報を利用して、免許証の改ざん確認や証跡情報の保管など、企業における本人確認業務に必要な機能をクラウドサービスで提供します。/NTTデータでは、本サービスの提供を通じて、行政機関での手続き、銀行口座の開設、携帯電話の契約など、確実な本人確認が求められる業務をサポートします。”(http://www.nttdata.co.jp/release/2010/092700.html)

 (NTTデータHP)

このビズピコが普及すれば,本人の情報が雲中(クラウド)に召し上げられ,企業が自在に利用し尽くすことになる。これをみると,警察=NTT(営利企業)が連携してIC免許証事業を推進しているのでは,と邪推したくもなる。

5.警察監視社会
そして,絶対に見落としてはならないのが,IC免許証は非接触式であり,離れたところからでも,その記載情報を読み取れるということ。これは警察自身が堂々と(平然と)認めている。

「暗証番号を設定しなかった場合は、ICカード読み取り装置を持っている人が、至近距離(約10㎝)まで近づくとICチップ内の個人情報が読み取られるおそれがあります」(新潟県警HP)。

すでに現在でも,IT技術さえあれば,電車内などで他人の免許証情報を盗み取りすることは可能なのだ。しかし,本当に10cm以内なのか? 専門家によれば,すでに10m先くらいまでは可能だそうだし,ちょっと頑張れば,100m先でも可能になるのではないだろうか?

もしそのようなことになれば,本籍・顔写真付きの免許証情報を,本人に全く気づかれることなく,密かに収集,蓄積し,行動の一部始終を監視し,分析することも可能となる。

さらにそれがGPSと組み合わせられると,もう万全,市民は丸裸だ。人々の行動が,地図上で完全に捕捉され,いつ,どこで,誰が,誰と会ったかまで,バッチリ記録され管理される。

アメリカなどでは,性犯罪者にGPS監視装置がつけられ,その行動が四六時中監視されている。顔写真や経歴も公開されているそうだ。日本のIC免許証は,その種のGPS市民監視装置となる恐れがある。

6.素晴らしき新世界へ
IC免許証に切り替わり,暗証番号照合機やビズピコが普及していけば,21世紀の「素晴らしき新世界」が実現するかもしれない。

  警察監視管理社会,万歳!

これは,IT素人・文系人間の根拠なき邪推,突拍子もない杞憂にすぎないのだろうか?

谷川昌幸(C)

——– 【追加 2011.12.29】 ————————————————————————————– 

[1] ICカード免許証チップ記載内容確認パッケージ(NECネッツエスアイ)
 “ICカード免許証ICチップ記載内容確認パッケージでは、既存のPCに周辺機器を接続し、アプリケーションをインストールすることで、免許証のICチップ内に記載された内容を読み取ることができます。/本籍を確認したいが、ICカード免許証の所有者が本籍を忘れている。また、申請した本籍が正しいか確認したい。→ICチップの情報を確認することで住民票を取り直して頂く必要がありません。”

“ICカード免許証の表面のイメージのまま画面に表示します。/写真の情報も表示します。/ICチップ登録されている外字を組み込んで表示します。/JIS78,JIS90の文字形式の違いも正しく判断し表示します。”(NECネッツエスアイ http://www.nesic.co.jp/solution/product/ap/ic.html)

[2] 金融機関の本人確認業務の効率化を実現するシステムを販売開始(大日本印刷)
 “大日本印刷(DNP)とDNPの100%子会社で運転免許証用機器の開発・販売・保守を行う、DNPアイディーシステムは、IC運転免許証および住民基本台帳カードのICのデータを読み取り、そのカードの真贋判定を行うシステム「本人確認マルチカードスキャナ」の販売を本年6月末に開始する予定です。「本人確認マルチカードスキャナ」には、ICデータの読み取りと同時にカードの表裏券面をスキャンする機能があるため、スキャン画像を活用して業務負荷を軽減することもできます。” “DNPは試験的な取り組みとして、みずほ銀行の一部店舗へ本システムを提供・設置し、本人確認業務の効率化の効果を確認しています。また、金融機関以外の本人確認を必要とする事業者などへ本システムの販促を行い、2010年度で1億円、3年間で約5億円の売上げを目指します。”(http://www.dnp.co.jp/news/1215925_2482.html)

[3] 非接触ICカード運転免許証による認証ソリューション(オレンジタグス)
 “オレンジタグスでは既にトラック運転手の本人確認・勤怠管理、飲酒検査などで実績をもっており、今後、さらに幅広い分野での利用を想定している。企業・地方自治体や金融機関での本人確認、飲酒・タバコ、年齢、未成年などの管理、自動車や自転車の資産管理、貸出管理、盗難防止など幅広い分野での個人認証ソリューションとして考えている。”(http://www.value-press.com/pressrelease.php?article_id=86004)

——–【追加 2012.08.10】 ————————————————–

山口県警HP
IC運転免許証の「暗証番号」について
○ 暗証番号を忘れないよう暗証番号の記録紙を大切に保管しましょう。
 IC運転免許証の「暗証番号」は、ICチップ内のデータを読み取るときに必要なものです。
 市町や銀行など民間の窓口において、IC運転免許証を身分証明証として活用する場合に、「暗証番号」の入力が必要な場合があります。
 「暗証番号」を忘れないよう、IC運転免許証交付時にお渡しした「暗証番号」の記録紙を大切に保管してください。
   (ゴチック引用者追加。http://www.police.pref.yamaguchi.jp/0440/menkyo/menkyo_ansyou.html)

——–【追加2012.08.19】—————————————————-

住民基本台帳カード交付における本人確認方法等が23年2月1日から変わりました。  (東京都中央区)
偽造された運転免許証を提示し、本人になりすまして住民基本台帳カードを不正取得する事件が都内等で多発していることを踏まえ、同カードの交付の際の本人確認の徹底を図るため、その確認方法を平成23年2月1日から下記のとおり変更いたします。
本人確認書類の種類(有効期限内のものに限る)
(1)ICカード運転免許証(暗証番号を入力できる場合) 
 (注)暗証番号を入力できない場合は、下記(1)非ICカード運転免許証と同様の取扱いになります。
確認方法等
ご本人に暗証番号(4桁×2種類)を窓口で入力していただき、運転免許証の券面記載事項とICチップに記録された情報を照合いたします。(暗証番号を忘れた場合は、警察署にお問い合わせください。)
      http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/toroku/honninkakunin/index.html
———————————————————————————

【参照】
新しい運転免許に追跡可能なチップを埋め込こんでますが、なぜ国民は反対しない
電子タグ廃棄システムの開発に関する調査・研究報告書
勝間和代:社会保障番号の導入
デジタル・プライバシーの危機
情報支配社会における電子住民カードの意味とその危険性
共通番号及び国民IDカード制度問題検討名古屋市委員会意見書
「国民番号制度」の導入は開かれた社会の実現へ向けた第一歩

谷川昌幸(C)

————————————————————————————————————————–

Written by Tanigawa

2011/12/28 at 16:13

国家祭日としてのクリスマスとネパールの政財界

ネパールは世俗化によりクリスマスを国家祭日とした。あれ?!と思うのが常識だが,プラス思考のネパールでは議員数であれ何であれ加算していくのが流儀,ヒンドゥーや仏教の神々にキリスト教の神を加算して悪いわけはない。かくて,ありがたい神々と,神々のための国家祭日がやたらと増えていく。おめでたい。

このネパール式世俗化は,政教分離ではないから,国家や政治家は神々の自由市場の中から,役に立ちそうな神,御利益をもたらしてくれそうな神を選び出し,政治的・経済的に利用しても,何ら差し支えない。排他的国教として扱わなければ,それでよいのだ。

そこでマオイストが目をつけたのが,仏教。仏様を利用して人民戦争を戦い,次はルンビニ開発で黄金の御利益にありつこうとしている。罰当たりなことだ。

しかし,黄金の後光が輝いているのは,仏教よりもむしろキリスト教だ。ヒンドゥー教国家の縛りが解けたので,政治家たちは堂々とキリスト教儀式に参加し,神をたたえ,御利益をえることが出来る。

ネパールのキリスト教徒は,世俗化により急増中。MSNニュースなどによれば,人口の10%に達したとのこと。10%といえば,300万人弱であり,これはすでに大勢力だ。

昨年までは,この急増を怖れたヒンドゥー教「ネパール防衛軍」などがテロ攻撃をしかけ,ミサ出席もこわごわだったが,ことしはもはやそのような危険はほとんどなく,各紙は「攻撃リスクのなくなったクリスマス」と伝えている。

このようにしてキリスト教が安全パイになり,しかも黄金と票の後光が差しているとなると,ヒンドゥー教徒であろうが仏教徒であろうがお構いなく,政治家たちは競ってクリスマス礼拝に参加し,神をたたえ,御利益にあずかろうとする。

25日には,アカデミーホールでキリスト教全国協会主催の「クリスマス大祭2011」が開催され,そこには制憲議会ネムワン議長ら政界のお歴々が多数参加し,イエス生誕を祝った。

 
  ■クリスマス大祭で祝辞を述べるネムワン議長 (nepalnews.com, 2011-12-26)

政界よりももっと節操がないのが,経済界。大手ホテルは,キリスト教で一儲けしようと,趣向を凝らした。
  ★クリスマス・ランチ/ディナー
    ヤク&イエティ  1400-2500ルピー
    エベレストH   1500-3500ルピー
    ソルティーH   1300-  ルピー
    ラディソンH   2500-3500ルピー

結構なお値段。これが馬小屋で生まれた貧しいイエスをヒンドゥー教徒が祝うためのお食事代である。針の穴を通る気などさらさらないから,大枚はたこうが酒を飲もうが,平気なのだ。

イエスは,貧しき者,悩める者,病める者に寄り添い,その苦しみを自らに引き受けようとしたのではなかったのか? もしそうだとするなら,歌舞音曲を控え,断食をすることこそが,クリスマスの本来の祝い方ではないのか? 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/26 at 20:01

クリスマス・イブの大浦天主堂

今夕はクリスマス・イブ。雪がちらつき,凍えそうなほど寒いが,イエス生誕を祝うべく,大浦天主堂に行った。天主堂は,光にかしづかれ,一段と厳かであった。(一万円ほどの望遠ズームで手持ち撮影。予想以上によく撮れる。)

 
  ■長崎・大浦天主堂(2011.12.24)

Written by Tanigawa

2011/12/24 at 22:01

親印派ガッチャダール副首相,訪中へ

ビジャヤククマール・ガッチャダール・タルー氏は,副首相兼内務相で,マデシ親印派の代表格。インド政府とツーカーで,訪印し次の首相を約束されたなどとウワサされている。そのガ副首相が,近々訪中する。意味深だ。
 ガッチャダール副首相 (Telegraph)

この訪中には,先日の温家宝首相の訪ネ中止が絡んでいるようだ。温家宝首相の訪ネ(予定12月20-23日)は,ルンビニ開発とも関連づけ大々的に報道されていたが,なぜか突然キャンセルされ大騒ぎになった。前後して,ミャンマー訪問もキャンセルされており,これは異例なことだ。ただ事ではない。朝鮮日報(12月16日)から孫引きすると,

「インドのメディアは『温首相の訪問日程を無断で公表したネパールに不快感を示し、日程を全てキャンセルした』と報じた」

という。おそらく,そういうことではないか。中国首相ともあろう大物が,公式訪問をキャンセルするのだから,相当立腹したのだろう。

中国側に不信感を覚えさせた発言は,親印派不満分子の故意かもしれないし,あるいは,ひょっとしてネアカのプラチャンダ議長か浮かれた親中派の誰かが口を滑らせたのかもしれない。いずれにせよ,こんなていたらくでは訪ネは危ない,と中国側が判断したのだろう。

ガッチャダール副首相の訪中は,その後始末のためだろう。カンチプール(12月21日)によると,ガ副首相は訪中し,温家宝首相のネパール滞在中の安全に万全を期す,と約束するらしい。ほかでもない,印政府とツーカーのガ副首相が約束するのだから,それはいわば印政府の暗黙の了解といってもよいだろう。いや,そこまで言えないとしても,少なくともネパール国内の親印派の暗黙の了解,とはいえるであろう。

今回の訪ネ・訪中ドタバタ劇は,大筋ではそんなところであろうが,そこは外交上手のネパールのこと,ひょっとすると,もっと奥が深く,あんがいネパール政界大物たちの暗黙の出来レースかもしれない。

中国とインドを張り合わせ,出させるだけ出させ,しかしギリギリのところでは印中どちらにも決定的な主導権を与えず,ネパール外交の自由・独立の余地を残す,という高等戦術である。プラチャンダ議長なら,やりそうなことだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/23 at 20:16

カテゴリー: インド, 外交, 中国

Tagged with ,

カンチプールvs朝日デジタル

カンチプールHPへのアクセスが一時困難になっていたが,どうやらグレードアップをやっていたらしい。今日みると,上部一等地にANAなど,日本一流企業の広告が出るようになっている。日本人読者が増えたのだろう。

いまやネットはグローバル競争。国境なんか,とっくの昔になくなっている。わが日本国も,愛国教育を掲げる文科省ですら,小学校英語などによる言語カースト制導入をもくろんでおり,早晩英語帝国主義の軍門に降るであろう。

そうなれば日本国民は,もはや日本の高価な新聞など読まなくてもよい。すでに大学生の大部分が,新聞など購読してはいない。しかも,自由競争で熾烈な生存競争にさらされている外国メディアの方が断然面白いのだ。

このグローバル・メディア競争は,ネパールにとって絶好のチャンスである。地理的ハンディは全くない。面白ければ,世界中から読者が集まり,そしてANAなど,一流企業も広告を出す。

そこで不可解なのが,日本国の代表的新聞,朝日。デジタル版3800円/月,宅配+デジタル版4925円/月。こんな高い購読料を払って,朝日を読む日本人が何人いるであろうか?

文科省英語植民地化政策のおかげで英語人口急増は間違いなく,そうなれば,金を払ってまでデジタル朝日を読む人はいなくなる。読者が少なければ,当然,広告も集まらない。

天下の大朝日は,ヒマラヤの小国のメディアなど全く視野にないだろうが,日本企業が日本メディアに広告を出す必然性はなくなりつつある。すでにANA,マイナビなど,一流企業がネパールに広告を出し始めた。カンチプールHPは新時代の開幕を告げることになるかもしれない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/21 at 11:20

アメリカ平和部隊,再開

アメリカの平和部隊は2004年9月,アメリカンセンターやゴルカ聖ヨセフ校などが爆破されたため,ネパールから撤退していたが,情勢好転を受け,11年ぶりに再開されることになった。
 ▼米ボランティア撤退開始

米平和部隊はケネディ大統領が創設,今年50周年である。これまでに20万人以上を派遣し,現在は約9千人が活動中。2011年度予算は,3億7千4百万ドル。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/20 at 21:05

カテゴリー: 団体

Tagged with , ,

世俗国家ネパールのクリスマス祭日(再掲)

以下は,2008年12月24日掲載の記事。ワードプレス移転により書式が崩れたため,再掲。掲載後3年で状況が大きく変化し,本格的な宗教紛争勃発も危惧されている。
[関連記事]
 ・神々の自由競争市場へ? 新憲法の課題
 ・死者をめぐる神仏の争い
 ・墓地紛争:キリスト教vsヒンドゥー教
 ・墓地紛争,ヒンドゥー惨敗か?
 ・キリスト教会,「宗教省」設置要求
 ・キリスト教墓地問題
 ・最高裁,パシュパティ埋葬許可命令
 ・墓地問題でハンスト抗議
 ・「布教の自由」要求:キリスト教会
 ・キリスト教墓地問題検討委員会発足
 ・首相官邸に棺桶,議会前に遺体:キリスト教会
 ・キリスト教墓地要求,ハンストへ

----------------------

世俗国家ネパールのクリスマス祭日

ネパールでは,今年からクリスマスが国民祭日(国家祭日)となった。2006年民主革命により世俗化したネパールが,なぜキリスト教の祭日を国民祭日とし,全国民にキリスト生誕を祝わせるのか? これは政教分離の原理問題であるばかりか,キリスト教と他宗教との関係をめぐる現実的な生臭い政治問題でもあり,理論的および政治的に慎重に検討し対処しないと,将来,深刻な宗教紛争に発展する恐れがある。

1.1990年革命とキリスト教
キリスト教は,1990年民主化革命以前は,厳しく規制され,民衆に布教すると,逮捕・投獄された。そのため,革命以前のキリスト教徒は,3~5万人にとどまっていた。

この状況は,90年革命で信仰の自由が認められたことにより改善され,信者数も増加し始めたが,1990年憲法は依然としてヒンズー教を国教とし,しかも布教制限規定をもっていたため,布教の自由は実際には大幅に制限されていた。たとえば,2000年10月,ノルウェー人を含む4人のクリスチャンが東ネパールで布教したとして逮捕され,国際問題になった。

(注)1990年憲法
第4条 ネパールは,・・・・ヒンズー教立憲君主国である。
第19条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。

2.2007年暫定憲法とキリスト教
2006年革命とその成果としての2007年暫定憲法は,この状況を大きく変えることになった。暫定憲法に基づき2008年4月10日に制憲議会選挙が実施され,これにより成立した制憲議会は5月28日の初会議でヒンズー教王制を正式に廃止し,ネパールを世俗の民主共和国とした。

むろん過渡期の憲法である現行2007年暫定憲法には,1990年憲法と同じ布教制限規定がそのまま残っているが,国家が世俗化され,ビシュヌ神化身としての国王も廃止されたので,この規定の発動は実際には難しくなっている。

(注)暫定憲法
第23条(1) 何人も・・・・古くから継承されてきた自分自身の宗教を信仰しかつ実践する自由を有する。ただし,何人も,他人をある宗教から別の宗教に改宗させる権利をもたない。

マオイスト幹部のバルシャマン・プン(アナンタ)も,全ネパール・キリスト教評議会の大会に出席し,世俗国家ネパールは宗教の自由に対する制限をすべて撤廃し,「すべての宗教を平等に扱う」と語っている(Christian Century, Jul.1, 2008)。

キリスト教会は,いまようやく,念願の布教の自由を獲得しつつあるのである。

3.キリスト教徒の激増
世俗共和制の成立を,キリスト教会は布教のチャンス到来と諸手を挙げて大歓迎した。

「世俗共和制は,人民の勝利であり,宗教の自由への前兆である。」Simon Pandey, General Secrretary of the National Churces Fellowship of Nepal (Christian Century, Jul.1, 2008)

「ネパールは世俗民主制への道を歩んでおり,宗教の自由はいまや確実なものとなっている。」Plus Perumana, Vicar General of the Roman Catholic Church in Nepal (ibid)

「以前のネパールでは,クリスチャンはゴスペル(福音)を説いたというという理由で逮捕・投獄されていたという。・・・・ナラヤン・シャルマ(アジア・ゴスペル協会ネパール代表)によれば,彼自身も信仰を告白したという理由で逮捕され,地下牢のような刑務所に投獄された。・・・・ところが,以前はクリスチャンの逮捕を報道していた国営ラジオ局が,いまではゴスペル番組を流している,とシャルマは語った。」(Christian Post, Jul.14,2008)

この国家世俗化の効果は,早くもキリスト教徒の激増となって現実のものとなっている。いまでは,ネパールは「キリスト教社会の成長が世界で最も速い国の一つ」である(World Council of Churches, Sep.9, 2008)。概数であるが,いくつか数字をあげると:

<現在の信者数>
 ・100万人[Christian Century, Jul.1, 2008]
 ・80万人,6000会衆(2007.11) ← 5万人(1991年以前)[Ecumenical News International, Nov.24, 2007]
 ・70万人(2008.11) ← 3万人(15年前)[Anne Thomas, Bible Society UK, Nov.27, 2008]
 ・700万人[70万人?],1500会衆(2006.5) ← 5万人(1990年以前)[Simon Gurung, Ecumenical News International, May.8,2006]

これらの数字を見ると,1990年革命以前はほんの数万人にすぎなかったキリスト教徒が,現在では70~100万人に激増したことが分かる。

信者数100万人といえば,すでに大勢力であり,政治的にも無視し得ない力を獲得しつつあるといえる。

4.青年層のキリスト教化
では,いったい誰がキリスト教に改宗しているのか? これは容易に想像がつくように,主に青年層である。

「ネパールの教会の成長の中心を担っているのは,青年たちだ」Raju Lama, President of the United Christian Youth Fellowship in Kathmandu (Ecumenical News International, Nov.24, 2007)

たしかに,ネパール関係の教会HPを見ると,まず家族の中の若者がキリスト教に改宗し,それに激怒する親族を根気よく説得し,容認させ,そしてついには親族一同を改宗させる「美談」がいたるところで紹介されている。

教会の宣伝だからある程度割り引くとしても,大筋では,このような形でキリスト教への大改宗が進行しているのであろう。

5.下層民のキリスト教化
もう一つ,注目すべきは,教会が下層民への布教に力を入れていることである。教会自身は明らかにしていないが,数が多いのはおそらくこの層の改宗者であろう。下層庶民に先駆けて,「目覚めた」中層・上層の知識人や若者が改宗し,彼らの指導の下で下層民が大挙して改宗する。そのような流れが始まっているのだろう。

教会記事によれば,教会は食事や物品を提供し,音楽やダンスをふんだんに織り込み,下層民を教会へと誘導している。

「バイダ(1995年ヒンズーからキリスト教へ改宗)の説明によれば,教会の人々は若者たちに音楽,スポーツ,能力開発の機会を恒常的に提供している。これがネパールの青年たちをキリスト教に引きつけることになっている,と彼は語った。」(Ecumenical News International, Nov.24, 2007)

「ミャンマーの宣教師によれば,サイクロン被災後,地方の人々は,宣教師や教会ボランティアたちが食事や物品を配っているのを見て,そこに神の心を見て取った。/『仏陀は,私たちが苦しんでいるとき,何もしてくれなかった。が,皆さんのイエスは,私たちを愛してくれている』と,ある家族が語ったのを,その宣教師は記憶している。『いまでは,日曜日になると,彼らは教会に来て,主を礼拝しています』と彼はつけ加えた。」(Christian Post, Jul.14, 2008)

ネパールに行くと,知識人や政治家たちが,キリスト教会は食事・物品・教育・留学などの供与や,音楽・ダンスなどの娯楽提供で改宗を働きかけているとさかんに教会批判をするが,この批判には全く根拠がないわけではない。ネットの教会HPやユーチューブを見ると,そんな宣伝記事や映像があふれている。

それにしても,イエスは助けてくれるが,仏様は冷淡だ,などといった下品なことは,たとえそうした傾向があるにしても,言ったり報道したりすべきではない。非難している方のお里が知れるだけだ。
  

6.神々の自由競争市場
1990年の民主化がネパールに資本の自由競争市場をもたらしたとすれば,2006年の世俗化はネパールに神々の自由競争市場をもたらしたといってよいだろう。

以前は,ヒンズー教が国教であり,ヒンズーの神々は国家権力で保護されており,競争は厳しく制限されていた。ところが,世俗国家になり,そうした参入障壁が除去され,ヒンズー教の神々は仏教の仏たちやキリスト教の神と,生き残りのための自由競争をせざるをえないことになった。

これは資本主義社会における企業の自由競争と同じく,勝つも負けるも自己責任であり,その限りでは公平だといえる。

しかし,ここで注意すべきは,資本主義社会の自由競争は,実際には対等者間のフェアな競争ではあり得ないことだ。アメリカを筆頭に,資本家は国家権力に保護・支援されており(政府は資本家の総代表),自己責任をとる意思も能力もない。今回のアメリカ発世界金融危機で図らずも露見したように,市場の公平を唱え,自己責任と自由競争を世界中に強制してきた先進諸国の政府や大企業が,手のひらを返したように,国家介入による自国企業の保護・支援を強硬に要求している。節操も,恥も外聞もあったものではない。

同じことが,神々の自由競争市場についてもいえる。かつてキリスト教会は「宣教師と軍隊」と言われるように,軍隊の力を借りて非西洋世界を強引にキリスト教化していった。

また,そうした露骨な軍事的脅しがない場合でも,キリスト教会には富と科学力の後光が差していた。非西洋世界の人々は,この光背に目を奪われ,教会に近づき,そしてキリスト教化されていった。もちろん,いかに光背が輝かしかろうと見向きもしない信仰堅固な国もあれば,日本のように,おいしいエサだけ喰って,ご本尊には見向きもしない不届きな国もあるにはあったが,そうでない多くの国々はエサもろともハリを飲み込み,釣られていった。

キリスト教会が,そうした手練手管で非西洋世界をキリスト教化し,土着の多様で豊かな文化を滅亡させていった経緯を見ると,キリスト教の神の偉大よりもむしろ神の強欲・無慈悲を感じざるをえない。

ネパールは,世俗化により,神々の自由競争の時代に入ったが,以上に述べたように,神々は決して対等な条件で競争するのではない。もしネパールの人々が,ネパールの社会的・経済的条件を無視し,キリスト教世界の言うがままに神々の自由競争を認めたら,大変なことになる。

先進諸国の大企業は,強大な国家の強力な支援を得ている。そんな大企業と自由市場で競争したら,途上国の企業や労働者たちは負けるに決まっている。同じく,もし富と力と科学のケバケバしい光背付きのキリスト教会と自由競争市場で競争したら,貧弱な光背しかないネパールの神々は負けるに決まっている。

ネパールのキリスト教徒はすでに70~100万人に達している。日本が180万人程度(2000年)なので,人口比では日本よりもはるかに多い。このままだと,いずれ宗教紛争が勃発する危険性が高い。
 

7.政教分離の原則
宗教の勢力関係が急変しつつあるネパールにおいて,もっとも危惧されるのは,政治家たちが,こうした状況下で最低限必要とされる「政教分離の原則」について全くといってよいほど関心を示していないことである。

いくども指摘したように,ヤダブ大統領はヒンズー教宗教儀式に頻繁に参加している。一方,ネワング制憲議会議長は,キリスト教会の催しに出席し,祝辞を述べている(Christian Post, Jul.14,2008)。(この点,プラチャンダ首相は,管見の限りでは,いかなる宗教儀式にも首相としては出席しておらず,節を通している。やはり,勇敢であり,偉い。)

いまネパールでもっとも必要なことの一つは,政教分離の原則の確立だ。電力不足問題よりも,緊急度ははるかに高いといってよい。政教分離の原則を確立しておかないと,微妙な問題の多い宗教政策が無原則となり,大混乱を来すことになる。

信仰は個々人の内面の問題であり,ここに国家権力が介入することは,民主国家では絶対に許されない。その意味では,神々は人々の良心の前で自由競争をし,選ばれた神がその人の信仰となる。

しかし,宗教活動は社会の中で展開され,外面性を帯び,この部分については政治権力による規制を受ける。この規制をどのようにするかは,極めて難しい問題である。それぞれの社会が,その社会の実情に応じて,最適な方法と範囲をその都度具体的に決めていかざるをえない。

また,宗教の外面的活動のうち政治的・法的規制になじまない事柄については,社会が世論ないし常識(コモン・センス)による規制を行なう一方,宗教自身も信仰の本質に照らし自己規制していかなければならない。

信仰は絶対に自由だが,外面性を帯びる部分については,自由放任は許されない。自由放任は強者の利益である。政治でも経済でもそうであった。宗教が例外であるはずがない。
 

8.イエスの真実
私は,政治国家が,いずれかの宗教を国教としたり特権的に保護するのは誤りであり,民主国家では許されないことだと確信している。国家は,国民生活の外面的安全の保障に,その任務を厳しく限定すべきである。

したがって,当然,神々は人々の支持を求めて自由競争せざるをえない。ただし,その競争が真に公平な競争となるように,神々も富や力の外面的光背を外し,内面的な信仰の場で裸になって競争すべきである。

そのモデルの一つが,イエス・キリストその人である。イエスは,おそらく政治的権力も軍事的権力も経済的権力も何一つ持たない,世俗的には無力な人であったのだろう。イエスは,そのようなものは一顧だにせず,つねに貧しい人,悩み苦しんでいる人,虐げられている人と共にあり,その苦しみを共に苦しみ自らに引き受けようとし,そしてついには自分の生命までも罪深き人々のために献げてしまった。

私が理解するところでは,キリスト教の神は,人をしてイエスのこのような生き方に習うことを求める神であろう。

もしキリスト教の神がそうした神であるのであれば,たとえ他の神々が現れても,よもや富や外面的な力でそれを屈服させ排除することを人々に求めたりはしないであろう。

私はクリスチャンではないが,イエスが説き,身をもって示したこの神の真実こそが,真の平和への道であると信じている。このことは,近著(高橋・舟越編『ナガサキから平和学する』法律文化社)において,もう少し詳しく説明している。機会があれば,ご覧いただきたい。

(未完草稿)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/12/18 at 12:43