ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

高島・端島と三菱財閥,軍事都市・長崎

「ネパール投資年2012」に敬意を表し,高島に行き,三菱財閥の今昔を見学してきた。

1.希代の政商,岩崎弥太郎
三菱創始者の岩崎弥太郎は,希代の政商,自然と人民と国家を食い物とし,巨万の富を築いた。長崎は,明治から今日にいたる,その人民搾取の生き証人である。

長崎港からフェリーに乗ると,伊王島経由で高島に着く。約30分。高島は,全周6kmほどの小さな島だが,明治2(1869)年,死の商人グラバーが炭鉱開発,それが後に官営となり,次に明治14年の官営事業払い下げで三菱のものとなる。まさに濡れ手に粟,人民財産の横取りだ。

 ■岩崎弥太郎像(高島港公園)

2.高島からの搾取
この三菱高島炭鉱は,近代技術を導入して掘りまくり,三菱の蓄財と日本の富国強兵に大いに寄与したが,採算悪化や石油への転換のため,昭和61年に閉山した。

御用済みとなった高島からは,労働者・住民が退去,斜面の木造住宅の多くは廃屋となり,またコンクリート・アパートも廃虚となっているものが少なくない。

しかし,高島自体は,自然豊かな美しい小島である。真冬の正月というのに,島では早くも早春の花々が咲き,海はどこまでも碧く,透きとおっている。三菱は,この美しく豊かな南海の小島を,一時的な金儲けのため搾取し破壊したのだ。

 
  ■高島教会の十字架と鐘                      ■高島教会より南風泊漁港を望む

 ■猫一匹通らない豪華構造物 (搾取の罪滅ぼし?)

3.軍艦島(端島)
その高島以上に搾取され破壊されたのが,すぐ近くの端島。面積はわずか6haほど。

三菱は,明治23(1890)年に端島を買収し炭鉱開発,高島と並ぶ出炭量となった。増産につれ,雇用労働者も増え(敗戦前は朝鮮人や中国人も雇用・徴用),島内にはアパートが建設された。出炭最盛期は昭和16年頃で約40万トン,人口最大は昭和35年頃の約5千人。島内には,学校,病院,映画館,寺など,日常生活に必要なものはほとんどそろっていた。

しかし,その端島も,昭和49年に閉山,住民は全員退去し,現在は廃虚の無人島となっている。

三菱は,端島の石炭(自然)を搾取し,軍艦を造った。だとしたら,端島は,それゆえにこそ「軍艦島」と呼ばれるべきだ。(いわれの史実については,ご自身でご確認ください。)

その軍艦島は,高島からもよく見える。廃棄軍艦よりもグロテスクで醜い。わざわざ高い料金を払って「軍艦島クルーズ」に行く必要はない。

 ■霧に霞む軍艦島(高島西海岸より)

4.軍艦建造で儲ける三菱
軍需企業・三菱は,いまも軍艦を造っている。高島・伊王島フェリーに乗ると,長崎湾沿いの三菱工場群を間近で見ることが出来る。そこには,大抵,数隻の軍艦が建造や修理・点検のため,係留されている。この1月3日も,No.109とNo116の2隻と,船番不明の1隻が係留されていた。

ネットによると,109番は護衛艦「あけぼの」(4400トン)。1999年三菱長崎造船所建造。対テロ戦争で海外派兵に使用。116番は護衛艦「てるづき」(5000トン)。2011年三菱長崎造船所建造。これから配備される。

これら2隻は,いずれも最新鋭。以前なら,こんな写真を撮ると,スパイと疑われ,逮捕,拷問は免れなかったにちがいない。

 ■護衛艦ありあけ

  
  ■護衛艦てるづき                            ■建造中(?)の軍艦 

5.軍事都市,長崎
このように,長崎は明治以降,富国強兵都市であり,現在も,軍需産業都市である。平和学習のため長崎を訪れ,官許モデルコースを回るのも悪くはない。しかし,本物の生きた学習は,長崎あるいは佐世保の現役軍需産業や軍事施設の巡視・巡検にこそある。

長崎は,原爆投下前も原爆投下後も,軍港と軍需産業の都市なのだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/01/04 @ 18:20

カテゴリー: 経済, 平和

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