ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ガンディー劇場型抵抗の限界:A.ロイ

1.ガンディー主義批判インタビュー
アルンダティ・ロイが「自由言論討論集会」(2012年1月)のためのインタビューを受け,インタビュアーのManav Bushanの問いにかなり突っ込んだ答えをしている。言論については,いかなる理由にせよ,権力的言論規制には反対である。そして,自由な言論空間を奪われ,観衆を期待できないような状況,つまり劇場なき孤立状況では,攻撃から自分を守るためには暴力の使用も避けられない場合がある,というのである。

ここでロイが批判するのは,ガンディー主義者の非暴力的抵抗である。ロイによれば,ガンディー主義の非暴力的抵抗は,劇場型抵抗であり,もし孤立させられ観衆を完全に奪われてしまうなら,それは全く無力だという。

これは,ロイが繰り返し述べてきた持論だが,ここでの具体的な事例に基づくガンディー主義批判は極めて論理的であり,誰しも見て見ぬふり,聞いて聞かないふりをすることは出来ないだろう。

インタビュー記事は要約とのことだが,要点は正確に記録されているように思われる。

2.劇場なきところでの実力抵抗の正当性:ロイ・インタビューより
「英国植民地時代,先住民は植民地権力により[チャッティスガルの森の中に]囲い込まれていた。独立後は,インド憲法により植民地時代の法律の継承が認められ,先住民の土地は森林省の管轄となった。だから,憲法の認めたこの法が,先住民の生活を犯罪としているのだ。

しかも今日では,先住民は普通の犯罪人からテロリストの地位にまで引き上げられた。もし森から出てこなければ,もしそこにタネでも播けば,もしその村に住み続けるなら,お前らはマオイストのテロリストであり,見つけ次第,射殺されてもよいのだ。

こうして,村は千人の治安部隊に包囲され,火を放たれ,女は強姦され,人々は虐殺されていく。そして,もしこれに抵抗でもしようものなら,テロと呼ばれ,暴力と呼ばれるのだ。

チャッティスガルの森には,すでに20万人の治安部隊がいる。インドは,いまや超大国だと誇っている。そのインドの政府が,今度は,世界でもっとも貧しい人々に対し,陸軍と空軍を差し向けようと計画している。これは,まさしく戦争なのだ。

ガンディー主義的抵抗は,都市では有効だろう。私は決してそれに反対はしない。しかし,ガンディー翁自身が示したように,それは観衆を必要とする。それは中流階級,共感してくれる中流階級を必要とするのだ。もし観衆がいなければ,バティ鉱山かどこかで人々がいくらハンガーストライキをやろうが,誰も気づかない。誰も気にしない。メディアが必要だ。中流階級が必要だ。そう,観衆が必要なのだ。」

3.逃げられない問い
ガンディーには,たしかにいつでも観衆がいた。アフリカでもインドでも。それは,ガンディーがそのたぐいまれな才能と魅力と努力で引きつけたものではあるが,しかし時代がガンディーに味方していたことも事実だ。

これに対し,ロイは,現代インドではメディアも権力に巧妙に統制され,先住民は外界から遮断され,虐殺されていると訴える。非暴力的抵抗を有効化する観衆がおよそ期待できないのだ。

ロイはリアリストとして,そのようなときどうするか,とガンディー主義者に問いかける。これは重い問いだ。逃げてはいけないし,逃げられもしない。難しい問題だ。

* Interview with Arundhati Roy, Revolutionary Journalists Needed, Revolution in South Asia, February 12, 2012
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/02/14 @ 21:50

カテゴリー: インド, マオイスト, 平和

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