ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

政治家プラチャンダ、人民解放軍解体

さすがプラチャンダ、開始よりもはるかに難しい革命終結を、電光石火の人民解放軍解体により、鮮やかに達成してのけた。M・ウェーバーによれば、政治家は大義への情熱と現実を見据えた冷静な判断力を併せ持たねばならない。この難しい判断基準からしても、プラチャンダは高く評価されよう。

17世紀イギリス革命でも18世紀フランス革命でも、革命は急進派の先導で前進するが、旧体制の「時代遅れ」の部分の破壊がほぼ完了すると、多数派の中間派は破壊の「行き過ぎ」をおそれ、革命理念実現以前に革命を終結させた。どの革命においても、急進派は、革命推進に利用され、ある時点で、中間派により切り捨てられる宿命にある。

非情だが、それが歴史の法則であり政治の鉄則である。不完全な存在である人間にとって、完全な社会はユートピアであり、もし仮に実現されるとすると、それは恐るべき デストピアとなるであろう。

むろん、ネパール革命(人民戦争)をここで終結させることが妥当か否かについては、議論の余地がある。最終的には、後世の人々の評価にまたねばならないが、ネパールの現状を考えると、ここでいったん革命を終結させるというプラチャンダの判断は、決して不合理な選択とは思えない。プラチャンダは、ネパールの現実を見据え政治家として決断したのであり、やはり剛胆な政治家らしい政治家といってよいだろう。

プラチャンダが4月10日解体した人民解放軍(PLA)は、人民戦争終盤には3~4万人ともいわれる大勢力であったが、2006年11月停戦成立以降の資格審査の結果、19602人にまで削減され、全国各地の駐屯地(cantonment)に収容されていた。

さらにこの19602人についても、手当給付(50-80万ルピー)による除隊が募られた結果、2011年11月時点で国軍統合希望は9705人にまで減少した。しかし、それでもまだ国軍統合希望者が多すぎるため、和平交渉は難航した。その一方、新憲法制定期限は5月27日であり、もはや和平手続きのこれ以上の遅延は許されない状況になっていた。

この切羽詰まった状況で、プラチャンダが決断した。4月10日、軍統合特別委員会(議長=バブラム首相)において主要3党(マオイスト、NC、UML)が人民解放軍(PLA)を国軍(NA)の統制下におくことに合意し、それに基づきバブラム首相が直ちに国軍と武装警察隊(APF)を15駐屯地に派遣、翌11日にはPLA戦闘員と武器のすべてをNA管理下に置いた。

この決定に対し、バイダ派など急進派は、もちろん激しく怒り、プラチャンダを「革命への裏切り者」と非難した。しかし、抗議活動は不発に終わり、それどころかPLA幹部の中には部下からの攻撃を恐れ逃亡する者やNAに保護を求める者さえ現れた。こうして、あの鉄の団結を誇ったPLAはあっけなく瓦解したのである。

これは、急進派からすれば国軍への屈辱的「降伏」以外の何物でもない。PLA戦闘員の多くが名誉ある国軍統合への希望を失い、雪崩を打って除隊を選択し始めた。4月17日現在、6106人が手当給付除隊を希望し、国軍統合希望は3599人となった。さらに減少が見込まれている。

この人民解放軍解体は、プラチャンダ自身にとっても、大きなカケである。これにより、彼は強力な実力による権力の裏付けを失い、また急進派からは今後、「革命への裏切り」「反革命」「クーデター」などといった罵倒を浴び続けることになる。権力も名誉もすべて失うことになるかもしれないが、それでも彼は政治家として決断し人民戦争を終結させたのである。

この決断の評価は当然わかれる。しかしながら、プラチャンダなくしてはおそらく、革命諸勢力を結集して10年にも及ぶ人民戦争を戦い抜き、これほどまでに徹底的に半封建的旧体制を打倒し、そして、このような形で革命を終結させることはできなかったであろう。

毀誉褒貶は偉大な政治家の勲章。プラチャンダはやはりエライ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/04/18 @ 08:21