ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ミスコン批判社説、「美の商人」粉砕!

本格的なミスコン批判が、ようやくネパールにも現れた。ekantipur, “Beautiful and damned,” Apr20. めでたい。

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そもそもマオイスト政権下のミスコン熱が異常だ。王制下なら、王制そのものが美の権威だから、ミスコンもあり得るし、また、万物を商品化する資本主義なら、女を競りにかけ、最高の値札のついた女に「ミス」の品質証明を与えるのは原理適合的であり、理にかなっている。

しかし、マオイストは王制も資本主義も否定しているのであり、したがってミスコンも当然認められないはずだ。また、ミスコンは、人権や民主主義の観点から見ても、理念に反し、許容できない。

ところが、ネパールでは、マオイストも他の人権主義者・民主主義者もミスコンを許容している。ミス・ネパールを筆頭に、ミス・タマン、ミス・ライ、ミス・ルンビニ、ミス・チェットリ、ミス幼稚園、ミス・カレッジ・・・・。ミスの競演であり、狂演だ。まったくもって、バカげている。

カンチプール社説は、「美女」は社会的に構成された概念だという、C.ダーウィン以降の常識の確認から始める。かつて「豊満」が美女とされたのは、それが富を象徴していたから。現在、「痩身」が美女とされるのは、ダイエットに時間と金を浪費した結果だから。

この社会的構成としての「美」を熟知しているのが、企業。「美女」はビールから車まで、あらゆるところで商売に利用されている。

そのお先棒担ぎが「美の商人」。ミスコンにより、「美女」概念をでっち上げ、世間に広め、認めさせる。

ミスコンで「美女」概念が確立すると、大多数の女性は「ブス(醜女)」を自覚させられ、劣等感にさいなまれる。そして「ミス」のようになるため、化粧品や健康用品を買い、ジムに通い、あるいは美容整形に走る。身体的・精神的に有害なことを自ら選択して実行させられ、拒食症や神経衰弱に陥り、はては病死や自殺に追い込まれる。

カンチプール社説は、論旨を要約すれば、こう断罪している――ミスコンの主催者や審査員はいうまでもなく、参加女性自身も、そうした社会悪への加担者である。ミスコンはビジネスであり、弱者から搾取するためのイベントだ。この事実を冷静に見据え、「美の商人の専制」から女性を解放せよ。

まったくもって、正論。マオイストや他の時流迎合人権主義者・民主主義者よりも、カンチプールの方がはるかにまともであり、ラジカルだ。長い目で見ると、「死の商人」よりも「美の商人」の方が、ネパールにとっては危険かもしれない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/04/24 @ 08:15

カテゴリー: 社会, 文化, 人権

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