ネパール評論

ネパール研究会

民族州要求に爆破テロ

民族州要求に対する爆破テロが、4月30日、ジャナクプールで発生、4人死亡、20数名負傷の惨事となった。

なぜか報道が少なく(自主規制?)、詳細は不明だが、爆破は「ミティラ(マイティリ)自治州」要求座り込みデモのさ中に発生した。「民族タライ解放戦線」の仕業だとウワサされている。

昨日も述べたように、「民族州」や「アイデンティティ政治」は極めて危険である。「国民」のような大きな統治単位なら、グライヒシャルトゥングを強行するのでなければ少数派の存立余地は十分にあるが、地域の多数派民族が「民族州」を組織すると、「民族自治」が大義名分となるわけだから、その地域の異民族は陰に陽に排除され、存立余地はなくなる。地域の少数民族は「浄化」されるかもしれない。「民族州」を強行すれば、こうした身近に迫る具体的な危険に対し、テロで阻止しようとする動きが、各地で発生するであろう。

「国民」は、欧米では時代遅れかもしれないが、少なくともネパールではそうではない。「国民」を解体し、「民族自治」「民族自決」に走る方が、「国民」による少数民族抑圧の危険性よりもはるかに大きい。より少ない悪の選択が政治なら、「民族州」はやめる方が政治的には賢明である。

「民族」を持ち出すと、どのような無節操も通ってしまう。たとえば、バイダ派やタライ諸党派は、「民族州」を旗頭にしているが、その要求を通すため、なんとNC,UMLと共闘を組み、バブラム政権(プラチャンダ=バブラム体制)の打倒を目指すことにしたそうだ。UML、ましてやNCは、「民族州」には反対のはずなのに、「民族」のためなら、野合もいとわないらしい。

このように「民族」は、使いやすい万能薬だが、劇薬であり、こんなものには、安易に手を出すべきではあるまい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/05/01 @ 09:43

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