ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

民主共和国の国家なき人々: 父と/または母

制憲議会(CA)は5月27日解散してしまったが,解散前,CAでは国籍(citizenship)規定についても審議され,議論はかなり詰められたいた。

ネパール国籍は,現行暫定憲法第8条(2)(b)によれば,「父または母がネパール国民であるとき」とされ,国籍法(Citizenship Act,2006)第3条(1)も同様の要件を定めている。

ところが,CAでは,国籍取得要件を「父または母」ではなく「父と(および)母」とする方向で議論されていた。

この「または(or)」と「と(and)」の差は大きい。「または」であれば,母または父が自分の子だとして届ければ,ネパール国籍を取得できるのに対し,もし「と」であると,父母のいずれかが外国人,あるいはいずれかが不明,あるいはいずれかが届け非協力の子は,他の要件による申請は可能でも,少なくともこの要件には合致せず国籍取得が困難になる。

国籍が取得できないと,「国家なしstateless」「無国籍」となり,市民権(citizenship)が保障されない。保健,教育,就職,事業,土地所有,相続など,基本的な生活に関わる諸権利が十分には享受できない。

「と」とすると,そうした無国籍住民が多数生まれ,その子もまた無国籍となるから,無国籍者の数はますます増えていく。

では,「と」にはそうした問題があることが明白であるにもかかわらず,なぜCAは「と」に固執したのであろうか?

一つは,やはりネパールが依然として父権社会(patriarchy)だからであろう。「または」とすると,子を産んだ母親が,自分一人でも,その子を「自分の子」であるネパール人として届け出ることができる。これは困る。母権社会(matriarchy)になってしまう。しかも,最近は,海外出稼ぎに出る男性が多い。「または」だと,妻と子に対する支配権が危ない。CAにおける「と」への固執は,「父権」と「夫権」を守るためであろう。

もう一つは,マデシ対策と思われる。インド国境沿いのタライに住むマデシの人々は,1950年代までは植民地住民扱いであり,1958年まではカトマンズに行くにもパスポートが必要だった。1962年憲法や1964年国籍法では,国籍取得要件の一つとして「ネパール出自」があげられていたが,これは役所では「パハディ(山地)出自」と解釈運用されていた。また,ネパール語能力も要件とされていたので,ネパール語を母語としないマデシの人々にとってネパール国籍取得は困難であった。こうしたマデシ国籍差別は,1990年憲法になってもむしろ強化され,居住15年以上が国籍取得要件の一つとされた。

その結果,タライ住民の多くが「国家なし」「無国籍」となった。1990年代初めの調査ではタライ住民の16%(約150万人),1995年調査では340~500万人が無国籍であった。

この状況は,2007年暫定憲法成立で少し改善された。先述のように暫定憲法では「父または母」がネパール人の場合は,ネパール国籍取得が認められ,また1990年4月以前の永住者にもネパール国籍が認められた。

しかし,後者の国籍取得申請は2008年11月26日に締め切られたし,また証明書や言語の問題もあり,申請できなかった人も少なくない。今でも80万人(UNHCR調査)~240万人(諸統計からの推計)が「国家なし」「無国籍」とされ,そのほとんどがマデシだという。

これが現状なのに,どうしてCAは国籍取得要件を再び「父と母」にしようとしたのか? それは,社会的には父権制を守るため,そしてより直接的にはおそらくマデシを通したインドの影響力の拡大を恐れたからであろう。「または」とすると,タライのインド系の人々が続々とネパール国籍を取り,タライがインドに飲み込まれてしまう。CA議員は,そう考えたのであろう。

しかし,もしそうだとしたら,すなわち「父権」と「夫権」を守り,マデシ(タライ)に対するパハディ(山地カースト)覇権を守るのが目的なら,CAの国籍規定審議ほど欺瞞的なものはない。なぜなら,CAは包摂参加民主主義を理念とし,被抑圧諸民族や女性を公正に代表するとされていたから。また,CAの最大政党であるマオイストは,被差別カースト・諸民族の味方を標榜し,女性兵士40%の人民解放軍により革命を戦い,CAを生み出す原動力となったから。

「または」と「と」は,夫婦・家族だけでなく国家の在り方にまで関わる根源的な問題の一つなのである。

(参考資料)
■ George Varughese & Pema Abrahams, “Stateless in new Nepal: Inclusion without citizenship is impossible,” Nepali Times, #608, 8-14 June 2012.
■ Hari Bansh Jha, “Nepal: Citizenship Laws and Stateless Citizens,” South Asia Analysis Group, 14 Feb. 2010

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/09 @ 17:12

カテゴリー: 社会, 人権

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