ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

マオイスト新党CPN-M,発足

統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)のバイダ派が,6月18日,正式に分離独立し,「ネパール共産党マオイスト(CPN-M)」を創立した。

議長 Mohan Baidya (Kiran)
書記長 Ram Bahadur Thapa (Badal)
書記 CP Gajurel(Gaurav)
政治局 Netra Bikram Chand (Biplab), Dev Gurung,Kul Prasad KC, Hari Bhakta Kandel, Khadga Bahadur Bishwakarma, Narayan Sharma, Pampha Bhusal, Indra Mohan Sigdel, Dharmendra Bastola and Hitman Shakya
中央委員会 44名(UCPN中央委員から新党中央委員へ)

イデオロギー政党に分裂・連衡合従はつきものであり,それだけ党名もややこしい。CPN-Mはもともと,2009年にマサル派と合同しUCPNとなる前のマオイストの党名。その本家の由緒ある党名を,バイダ派はちゃっかりいただいてしまったわけだ。

マオイスト内の路線対立は,2005年のチュワン大会(ルクム郡)において明確となった。党目標として,プラチャンダ=バタライ主流派が「民主共和国」を掲げたのに対し,バイダ(キラン)派は「人民共和国」を主張した。このとき,バイダとガジュレルはインドで投獄されており,チュワン大会では,「民主共和国」が採択され,以後,その基本路線に従い,議会諸政党との統一戦線結成,2006年の包括和平協定締結,王制打倒,バタライ政権樹立へと進んできた。

そのかわり,マオイストは,各地に設立していた「人民政府」を解散し,今年になると虎の子の「人民解放軍」まで解体してしまった。マオイストが,議会諸勢力と広範な反国王統一戦線をくみ,王制を打倒し,制憲議会選挙に参加して第一党となり,新体制の中心勢力となったのだから,これは当然といえよう。

ところが,バイダを中心とする急進派は,これを人民と革命への裏切り,「修正主義」として批判し,人民蜂起による「人民共和国」の樹立をあくまでも党の目標とすべきだと要求してきた。

この路線対立は,5月27日の制憲議会解散を機に決定的となり,結局は,6月18日のバイダ派分離独立となったわけである。

では,この新党CPN-Mの展望はどうか? バイダ議長は,「革命の客観的条件はある。われわれは,いまこそ革命の主観的(主体的)条件をつくり出すべきだ」と檄を飛ばした。

たしかに,客観的条件はあるようにも見える。ただし,人民戦争開始の1996年頃とは,大きく異なる。

前回の人民戦争は,半封建的半資本主義的王政との闘いであった。ところが,十数年後の現在は,ある意味では,前回人民戦争の勝利の結果,もたらされたものとの闘いとなる。自由と権利の「形式的」保障と,そのもとでの急激な自由市場社会化による矛盾の拡大だ。

この「客観的条件」をうまく組織化できれば,第二次人民戦争を戦うことができるだろう。主流派に利用され捨てられた人民解放軍元兵士も多数いる。

しかしその一方,人民戦争による変化は大きく,1996年と現在では経済も社会も文化も激変している。「アラブの春」のような現代型変革はあるかもしれないが,共産党が組織・指導する伝統的な人民戦争はもはや難しいようにも思える。

いずれにせよ,革命や運動には,カリスマ的リーダーが不可欠だ。バイダ議長のことは,まだよく分からないが,かつてのプラチャンダほどのカリスマ性を発揮できるようには思えない。印ネパール学の権威ムニ教授はツイッターでこうつぶやいている。

「バイダ派はバブラムとプラチャンダを悩ませるだろうが,それはしばらくであり,いずれ力を失い,忘却されるだろう。」

谷川昌幸c

Written by Tanigawa

2012/06/19 @ 18:26

カテゴリー: マオイスト

Tagged with ,