ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

民族対立扇動非難に弁明,DFID

ネット版カンチプール(6月28-29日)によれば,訪ネ中のアラン・ダンカン英国国際開発大臣が,民族対立を扇動していると非難され,弁明に追われている。

イギリスを始め先進諸国や国際機関が,包摂参加民主主義の理念を押しつけ,民族連邦制を支援していることは周知の事実。民族(nation)は劇薬中の劇薬であり,欧米自身,幾度も手を出しては地獄を見てきたはずなのに,無責任にもネパールに持ち込み,案の定,二進も三進もいかない政治危機をもたらしてしまった。

これに対し,旧体制特権諸集団が非難の声を上げ始めた。英国国際開発省(DFID)など援助諸機関は,先住諸民族,下位カーストなどを援助し,民族州を支援することにより,民族対立・コミュナル紛争を扇動している,けしからん,というのだ。

ここで難しいのは,伝統的な支配カースト・支配諸民族には,そのようなことをいう資格はないということ。彼らこそが,旧体制下で長らく下位カースト・少数諸民族を差別・抑圧し搾取してきた張本人だからである。彼らに対し,被抑圧カースト・諸民族が権利を主張し,体制転覆を図るのは当然である。

しかし,この被差別カースト・諸民族の権利要求をどのように実現していくか,その具体的な手順は難しい。手っ取り早いのは,民族意識,コミュナル感情に訴え,集団としての権利を覚醒させ,そのために闘わせること。これは火をつけやすく,爆発的に拡大する。体制破壊にはこれ以上強力なものはない。しかし,それは本質的にアイデンティティ政治であり,既成秩序破壊はできても,コミュナル利害を超えた共通利害の構築には向かない。

欧米先進国は,近代の洗礼を受け,とことん近代をやってみた上で,「近代以後」に向かい,多文化主義的包摂参加民主主義の実験を始めた。「近代以後」は,いわば近代の修正・補完である。

ネパール旧体制派の欧米援助非難にも一理あるのは,先進諸国や国連機関が,そうした歴史的経験の差を無視し,欧米の最新理論をそのままネパールに持ち込み,ネパール社会を実験台として利用していると考えるからだ。あまりにも自分本位,傲慢で,けしからん,というわけ。

こうした背景があるから,DFIDダンカン大臣のインタビューも弁明にしか聞こえない。大臣はこう答えている――

「DFIDは中立・公平の立場に立ち,この国で活動している。」「ネパールが真に包摂的な社会にならなければ,永続的平和は実現しないと確信している。」DFIDは「ネパール政府自身の包摂政策の実現を支援している」。DFIDによる被抑圧諸集団への援助は,ネパール政府自身のこの政策への支援である。たとえば,「先住諸民族同盟(NEFIN)」への援助も,政治活動を活発化させたので,2011年には中止した。DFIDには,民族紛争扇動の意図は全くない。

かなり苦しい弁明だ。なぜなら「包摂参加」や「権力分有」あるいは「民族連邦制」をさんざん焚きつけてきたのは,欧米諸国や国連諸機関だからである。ネパールのような途上国が,民族集団・宗教集団・言語集団等の「包摂参加」による「権力分有」を目指せば,利害の公平な分有よりも対立・分裂抗争の方が先行し,何も決められず,結局はアナーキーになってしまう危険性が高い。そして,じじつネパールはそうなりつつある。

旧体制の理不尽なカースト差別,民族差別,性差別等々は,もはや許されない。それらは撤廃され,人権は平等・公平に保障されなければならない。それはそうだが,そこに外国や国際機関がどう関与するかは,難しい。正直,私にも分からない。しかし,少なくとも当事者の,当事者としての尊厳を最大限尊重する謙虚さと誠実さは,見失われてはならないだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/30 @ 15:04