ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

構造的暴力としての原発:堀江邦夫『原発ジプシー』

1.現場ルポ『原発ジプシー』
原子力発電所の保守作業は,想像を絶する過酷労働だ。私には,小中学生のころは農作業,16-18歳のころは工場労働の体験がある。田植えや収穫の農作業は苦しかったし,また工場では粉塵のなかで油と汗にまみれ,切り傷や火傷も絶えず,こちらも辛かった。しかし,堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館2011,初版1979)の描く原発保守作業は,そのような農作業や工場労働とは比較にならない,別次元の過酷さだ。

堀江氏は,孫請け,ひい孫請けの非正規労働者として原発保守作業に従事,そこで自ら体験したことを,本書において逐一詳細に記述している。その叙述は明快であり,自らをも対象化する冷静で客観的な,見事な現場体験ルポとなっている。

2.三原発で下請け労働
堀江氏は,1978-79年,原発下請け企業に雇用され,美浜(1978.9.28-12.2),福島第一(1978.12.19-1979.3.15),敦賀(1979.3.21-4.19)の三原発で,保守作業に従事した。

作業環境は極度に悪く,堀江氏もしばしば体調不良となり,福島第一ではマンホールに落下,肋骨骨折の重傷を負う。それでも,堀江氏はなおも作業員を継続,1979年3月には故障・事故続きの「悪名高き」敦賀原発に移り,劣悪な労働環境を身をもって体験した。

このようにして,堀江氏は体力の限界寸前まで現場労働者として働き,1979年4月中旬,実地調査を終了した。そして,その現場体験をまとめ,1979年9月出版したのが,本書である。

3.構造的暴力としての原発
本書は,30年以上前の出版であるが,2011年の福島原発事故以来,連日報道されるようになった原発の諸問題の多くについて,すでに具体的に詳しく説明し,その危険性を鋭く指摘している。たとえば,保守点検を考慮しない設計上の欠陥,劣悪な作業環境,電力会社-関連大企業-下請け-孫請け-ひい孫請けといった不健全な上下関係,原発への地元依存など。

本書の記述は,すべて著者自身が身を挺して収集した具体的な事例に基づいており,十分な説得力を持つ。しかも,ばらばらの個別事例の羅列ではなく,それらを通して根底にある原発問題の構造を浮き彫りにすることによって,問題の本質そのものを鋭く摘出している。著者自身の言葉ではないが,それは,いわば「構造的暴力としての原発」の告発である。本質を突いているという点で,本書は間違いなくジャーナリズムの古典である。

4.朝日「被爆線量偽装」報道の浅薄さ
これに対し,朝日新聞の被爆線量偽装報道は浅薄である。7月21日,朝日は,福島原発における被曝線量偽装を,1面,2面などで大々的に報道した。下請け企業が,作業員に命令し,線量計に鉛カバーをつけさせ,被曝線量を少なく見せかける偽装工作をしていたというのである。

しかし,堀江氏の『原発ジプシー』を読めば,この種の被爆線量偽装がどの原発でも日常的に行われてきたことは明白だ。

それは,原発関係者の身分差別構造に組み込まれている。被曝線量は,電力本社員が最小で,一次下請け,二次下請けと増加していき,末端はどうやら外国人労働者ということらしい。許容被曝線量は形式的には定められていても,作業現場に近づくほど,つまり「原発階層制」の下位に行くほど,実際にはそれを守ることは不可能であり,したがってそこでは線量偽装が行われる。

本書には,そのような被曝線量偽装の具体例が無数に出てくる。特権階級たる電力本社員がそれを知らないはずはない。制限線量内では作業はできないことを知りながら,作業を命令する。そして,現場作業員が,命令された作業をするためやむなく線量偽装をしても,それを見て見ぬふりをする。つまり,被曝線量偽装は,電力本社が暗黙のうちに命令しているのであり,真の責任は下請け企業や現場作業員ではなく,電力本社にある。

5.ジャーナリズム偽装の朝日
一方,朝日新聞をはじめとする大手ジャーナリズムは,被曝線量偽装が構造的であり,日常的に行われてきたことをよく知っていながら,巨大広告主たる電力会社を恐れ,報道してこなかった。

世間が騒ぎ始めた今頃になって,現場では常識となっていることを,あたかも新発見の特ダネであるかのように見せかけて報道し,小銭を稼ごうとする。なぜもっと早くから報道しなかったのか。報道しないよりはマシではあるが,こんなものは,到底,本物のジャーナリズムとはいえない。

6.プロとしてのジャーナリズム
原発は,日本の構造的暴力の一つである。都市-地方,電力本社-関連大企業-一次下請け-二次下請け-三次下請け・・・・。この上下階層構造において,収入は上方に行くほど大きくなり,被曝線量は下方に行くほど大きくなる。賃金の上前ハネは常識であり,被曝線量偽装も常識である。

その常識をいち早く,事実に基づき客観的に叙述し,原発ビジネスの構造的問題にまで切り込んだのが,堀江氏の本書。常識であるにもかかわらず,多くの人が知らないことにしていること,あるいは見れば見えるのに,見ようとしないこと,そうしたことを知らせ,見せるのが,本物のジャーナリズムだ。

世間の尻馬に乗り,わかりきったことを,大げさに,センセーショナルに,はした金のために報道するのは偽ジャーナリズムである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/07/23 @ 00:00

カテゴリー: 社会, 文化,

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