ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

民族連邦制と国家の生体解剖

1.連邦制に中国が警告
連邦制原理主義のバイダCPN-M議長が,訪問先の中国で,中国高官らから,連邦制は国家の統合と独立を危うくする,と警告された(Republica, 27 Jul)。

中国は,ネパールが連邦制になると,タライがインドに接近し,いずれシッキム化し,インド支配下に入ることを恐れているのだろう。

この中国の,中国国益に基づく警告について,バイダ議長は,帰国後、こうコメントした。

われらは,アイデンティティに基づく連邦制を主張している。国家統合を害するような連邦制をわれらも望んではいない」(nepalnews.com, 26 Jul)。

このバイダ議長のコメントは,大甘である。中国は,宗教,言語,人種など,要するに民族アイデンティティを唱えることが国家統合にとっていかに危険かを,いやというほど経験してきたからである。むろん,だからといってチベット弾圧が許されるわけではないが,少なくとも,そうした背景をもつ中国のアイデンティティ連邦制への警告が,経験に裏付けられた重い忠告であることはいうまでもあるまい。

2.アイデンティティ政治の知的稚拙さと政治的危険性:A・セン

アイデンティティ政治の危険性は明白であるにもかかわらず,バイダ議長を始めとする多くの優れた指導者たちが,易々とその罠にはまってしまうのは,なぜか? この問いに,アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』(勁草書房,2011)は,次のように答えている。

「人がもつ多様なアイデンティティから一つだけをとりあげて,その観点からのみその人を見ることは,知的な行為としてはたしかにひどく稚拙なものだ。それでも,その効果のほどから判断すると,単一基準というつくりだされた妄想をやすやすと擁護し推進できるのは明らかだ。」(242-3頁)。

知的に稚拙だから簡単に手を出せ,しかもその効果は絶大だから,政治家はついその誘惑に駆られてしまう,というわけだ。

3.ガンディーのアイデンティティ政治批判
アイデンティティ政治批判について,A.センが共感を持って言及するのが,ガンディーである。

「一つの国を共同体の連合として見なし,個人は国に属する以前に,そうした共同体に属すると考えることの基本的な難点は,[インドとイギリスの]どちらの場合にも見られるのだ。ガンディーは,そのような共同体中心の単一的な帰属化を助長し,優先させることを,国民の『生体解剖』と呼んだ。そのような派閥化を政治的に憂慮すべきなのは当然である。」(250頁)

4.「国民」の生体解剖
ガンディーは,イギリスがインド国民をカースト別あるいは宗教別・民族別に区分し、相互対立を煽り、これにより分割統治してきたことを厳しく批判した。

全国民が生体解剖され、バラバラにされるところを想像してください。そこからどうやって一つの国をつくりあげられるでしょうか?」(ガンディー,同書233頁)

センは,このガンジーの立場を,「国を宗教と共同体の連合として見なすことを拒否する慧眼」(234頁)と,高く評価している。

5.アイデンティティの多様性と選択の自由
センは,集団帰属やアイデンティティ意識の重要性は決して否定しない。批判されるべきは,一人の人であってもアイデンティティは本来多様なはずなのに,その中の一つだけにより人や社会を見る見方,あるいは「夜間に航行する船のように,互いにすれ違うだけの文化の多様性が存在する」複数単一文化主義(217頁)である。

われわれが多様多元的なアイデンティティをもつことは明白であり,したがって大切なのは,その多様性を保持しつつ,それらの中の優先順位や比重を自ら決定できる自由である。

「人には多くの異なった帰属関係があり,お互い実に様々な方法で交流しうることを明確に認識しなければならない。われわれには自らの優先事項を決める余地があるのだ。」(5頁)

このアイデンティティ選択の自由を保障するのが国家である。したがって、国家は「隔離された部分の寄せ集め」(228頁)ではなく、それ以上の属性と機能をもつものである。

「国家国民(a nation)を隔離された部分の寄せ集めと見なすことは、とてもできない。国民(citizens)は、あらかじめ定められた区分のどこかに位置づけられ固定されているわけではない。」(228頁、ただしこの部分は拙訳)

センはネパールについては述べていないが,こうした議論からすれば,バイダ議長のような連邦制論については,おそらく批判的であろう。

ネパールの現在の連邦制論は,まさしく「複数単一文化主義」であり,「国家を隔離された部分の寄せ集め」とするものに他ならない。

(注)
国民の生体解剖 ”vivisection” of a nation
複数単一文化主義 plural monoculturalism
(国家を離れた)部分の寄せ集め a collection of sequestered segments

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/07/28 @ 14:44

カテゴリー: 民族, 民主主義

Tagged with , ,