フェイスブックとツイッター:現代の神の地上における代理人
おくればせながら,この7月,フェイスブックとツイッターに登録した(下欄リンクボタン参照)。もちろん偽名,偽アドレス。まだ使い方(情報処理の仕組み)がよく分からないが,いまの段階での感想を一言。
フェイスブックもツイッターも,伝言板としては大変便利だ。安上がりの電子チラシといったところ。しかし,両者とも,利用者にとっては,それ以上ではないようだ。
ツイッターは,短文,言いっ放し。私が見ているのは、比較的堅い発信者ばかりだが,それでも言葉遣いが必要以上に攻撃的なものがときとしてみられる。
内容的には,ツイッターは,やはり短文,言いっ放しのため,議論が画一化し,レッテル貼りに陥り,深まらない傾向がある。通知や問題提起にはよいが,議論には向かないシステムだ。
これに対し、フェイスブックは,発信情報をかなり多くすることもできるので,使い方次第では,議論の場として利用することができるかもしれない。しかし,フェイスブックは,その仕組み(情報処理・情報利用の方法)が複雑であり,まだよく分からない。
そこで,社会メディアとしての危険性だが,感覚的には,やはりフェイスブックの方がツイッターよりはるかに危険な感じがする。いったんここに書き込むと,その情報がどう処理され,将来どう利用されるかが,皆目見当もつかない。
すでにAmazonは,私の読書傾向を私自身よりもよく知っている。はじめの頃は,薄気味が悪く警戒していたが,便利さに負け使い始めると,慣れてしまい,いまでは自覚的に努力しなければ,恐ろしさを意識しなくなってしまった。Amazon情報を利用すれば,この数年,私がテロ関係本を検索したり購入したりしていることが分かる。もしかりにCIAや日本公安に何らかの形でAmazon情報が漏れていると仮定するなら(そんなことは絶対にあり得ないはずだが),私はごく下っ端の要注意人物の一人とされている可能性がないではない。その場合,「ネパール」「テロ」「日本人」で検索すれば,私もリストアップされるわけだ。
フェイスブックは,図書購入中心のAmazonや短文のツイッターとは比較にならないほど多くの情報を集め,関連づけ,蓄積している。誰が,いつ,誰と,どこで,何をしたかを,本人以上によく記憶し,保存している可能性がある。これは,実に恐ろしい事態だ。
しかも,さらに恐ろしいことに、フェイスブックも,Amazonと同様,使い始めると慣れてしまい,危険を危険と感じなくなってしまう。すでに私たちは,グーグルに自宅を覗かれても,Amazonに思想調査をされても,何も感じなくなっている。フェイスブックは,それを「タイムライン」などにより,人の人生全体についてやり遂げることを目標にしている。
もちろん,フェイスブックには非公開の設定もあるのだろうが,設定が間に合わない場合や,設定に気づかない人など,非公開設定にできない場合が無数あると思われる。しかし,そんなことはお構いなく,そうした場合でも全部,公開されてしまうらしい(不慣れなため,詳しくは分からないが)。
グーグルは家を覗き,フェイスブックは人生を覗く。隠されてあることは知りたいことであり,そこに商機がある。
しかし,こうしたことは,フェイスブックやグーグルなどに限られたことではなく,ネットを中心とする情報化社会そのもののもつ特性であり,危険である。情報化社会には,もはやプライバシーはない。
プライバシー(privacy)とは,もともと「(世間,公的世界から)引き離された,孤独な,私的な,秘密の(private)」という意味だ。「情報化」は「プライバシー」の反対概念であり,本質的に,両者は相容れない。情報産業が,プライバシー暴露をメシの種とするのは,当然といえば当然だ。
情報化の現代において,もはやプライバシーはない。われわれは,全世界の人々に見られながら丸裸で歩き回っていることを自覚すべきだ。
かつては,教会(神)が誕生から死まで,人の人生を記録し管理した。これからは,普遍的情報システムがすべての人の人生を記録し管理する。神の前にプライバシーは無いように,現代の神としての情報システムの前にプライバシーは無い。
もちろん,人として可能な限り抵抗はしてもよいし,すべきである。神を裏切ったときから「人」は始まり,「プライバシー」を享受した。「イチジクの葉」は,人が人となり,プライバシーを得たことの象徴である。
情報化社会においては,われわれは,意図的に自己に関する偽情報を書き込み,この「イチジクの葉」により,隠されてあるべき人間としての自己のプライバシーを守るべきである。それしか,もはや人間が「人間としての尊厳」を守る方法はない。
しかし,偽情報の書き込みにより,現代の神の地上における代理人たるフェイスブックやツイッター,あるいは「マイナンバー制(共通番号制)」等は欺けても,全体を統括する「隠されてある現代の全能の神」は,おそらく欺ききれないだろう。見えない神がすべてを見通す。
人は神への反逆から始まり,反逆により破滅させられる。情報化社会への反逆も,人としては,希望なき戦いとなるであろう。
(参照) Facebookの恐怖
谷川昌幸(C)