ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ゴビンダさんの冤罪と日本社会の責任

谷川昌幸(ネパール学術研究開発センター顧問,長崎大学元教授)

「東電OL 殺人事件」の再審が6月7日東京高裁で認められ,ゴビンダ・マイナリさんは逮捕後15 年を経てようやく釈放され,ネパールに帰国した。この高裁決定には検察が異議を申し立てているが,決定理由をみると,再審開始,無罪判決となることはほぼ間違いない。冤罪である。

この冤罪には,警察・検察・裁判所だけでなく,日本社会そのものも深く関与しており,道義的責任は免れない。

事件は1997 年3月発生。東京電力女性エリート社員が渋谷区円山のアパートで殺され,現場近くに住み面識もあったゴビンダさんが逮捕された。強引な捜査・取り調べにもかかわらず,ゴビンダさんは一貫して否認し,また犯行を裏付ける直接証拠は何一つえられなかったが,検察は状況証拠だけで十分立証されるとして同年6月,強盗殺人罪で起訴した。審理は東京地裁で行われ,2000 年4月,無罪判決が言い渡された。

この裁判は,本来なら,ここで終わり,ゴビンダさんはオーバーステイで国外退去となり,ネパールに戻っているはずであった。ところが,検察は東京高裁に控訴する一方,ゴビンダさんの再勾留を請求した。再勾留要請地裁提出→地裁棄却→再勾留要請高裁提出①→高裁・木谷裁判長,要請棄却→再勾留要請高裁提出②→高裁・高木裁判長,再勾留決定→弁護側最高裁特別抗告→最高裁3対2で特別抗告棄却。この経緯からも,無罪判決後の再勾留がいかに強引であったかは明白である。それは,刑事裁判の常識にすら反する違憲の国家行為であった。

東京高裁での控訴審は,実質的審理もほとんどすることなく,半年後の2000 年12 月結審,高木裁判長は逆転有罪の無期懲役刑を言い渡した。弁護側は直ちに最高裁に上告したが, 2003 年10 月最高裁は上告を棄却,ゴビンダさんの無期懲役刑が確定した。最高裁は,「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判大原則にも無罪判決後再勾留の違憲性にも目をふさぎ,検察と東京高裁(高木裁判長)の無謀無法な暴走をただ追認してしまったのである。

どうしてこのような理不尽なことが起こってしまったのか? 直接的には警察・検察と裁判所に責任があることはいうまでもないが,彼らをしてそうさせたのは歪な日本社会とその政治からの様々な圧力である。

事件が発生すると,昼は東電女性エリート社員,夜は街娼という被害女性の二面性にメディアは飛びつき,人権無視の暴露報道を際限なくエスカレートさせ,捜査の行方への関心を異様なまでに高めていった。一方,この頃,世間では世紀末的閉塞状況を背景に,外国人の不法就労や凶悪犯罪がヒステリックなまでに非難攻撃されていた。そこに,ゴビンダさんが容疑者として浮上し,警察は彼を真犯人と見込み,逮捕した。世間の期待する犯人像にぴったりであり,たとえ自白や直接証拠がえられなくても,もはや警察・検察には,いや裁判所にすら,後戻りする勇気はなかった。

世界最貧国ネパールからの出稼ぎ不法滞在者・不法就労者は,日本国民の鬱屈した不満と,それを恐れつつ密かに操作しようとする日本政治の暗黙のスケープゴートにされてしまったのである。

ゴビンダ裁判は,大きくは,いわば日本社会の「政治裁判」の側面をもつ。日本国家にはむろんのこと,日本国民にもこの冤罪への責任がある。誠実な国家賠償と,冤罪への心からの謝罪・反省である。いまさら15年の歳月は取り戻しようもないが,せめてもの救いとしては,ゴビンダさんの無実の訴えを信じ,十数年もの長きにわたって支援してきた日本人が少なからずいたことだ。彼らの物心両面に渡る支援がなければ,再審・釈放はあり得なかったであろう。             

(ネパールの視覚障害者を支える会「会報」第33号,2012年8月,5-6頁[2012年7月寄稿])

Written by Tanigawa

2012/09/21 @ 13:56