ネパール評論

ネパール研究会

ゴビンダ冤罪批判、カトマンズポスト社説

カトマンズポスト(ekantipur)が、ゴビンダ冤罪事件について、怒りの社説を書いている。

中世的文化: ゴビンダ・マイナリは日本の旧弊司法制度の犠牲者である」(Editorial, kathmandu Post, 9 Nov)

1.社説の要旨
ゴビンダ投獄は、「先進国ですら中世的刑事裁判制度をまだ保有している証拠である。」

日本の司法制度と警察の持つ偏見が、国際的批判を浴びている。十分なDNA鑑定をせず、ゴビンダ氏を投獄したのはなぜか?

「もし被疑者が、貧相なネパール人ではなく、日本人、あるは有力国国民だったら、はたしてこのような誤審となっていたであろうか。」

「15年後にもなってDNA鑑定結果が示され、ようやく彼は釈放されたのだ。」

「結局、無実の人間が15年間も日本の刑務所に投獄され、そこで、彼の訴えによれば、日本の警察により繰り返し拷問(torture)され続けたのである。」

2.人権侵害と日ネ友好へのダメージ
カトマンズポスト社説の批判の多くは、日本のゴビンダ支援団が繰り返し訴え続けてきたことだ。正論中の正論であり、ただただ恥じ入るばかりだ。ゴビンダ氏の冤罪・人権侵害が、日ネ友好に与えるダメージは計り知れない。

もちろん、収監中の受刑者を警察が拷問することは考えられないが、逮捕取調中に「行き過ぎた取り調べ」、つまり「拷問」が行われた可能性は否定できない。あるいは厳密には「拷問」とはいえなくても、被疑者が外国人の場合、厳しい取り調べを「拷問」と受け取ることは、当然、あり得る。また、たとえ刑務所収監後であっても、外国人にはそこでの生活は「拷問」と感じられる可能性は十分にある。

私も、ネパールのいくつかの拘置所や刑務所を見たことがあるが、もしそこに入れられたら、そこでの扱いは私にとっては間違いなく過酷な「拷問」である。

したがって、もしかりにゴビンダ氏の主張に一部正確でない部分があったとしても、それは日本の警察・検察・裁判所、そして日本社会が彼に対して犯した大罪に比べるならば、とるに足らないものである。誤った部分は誤りと指摘しつつも、ゴビンダ氏の日本批判そのものは甘受されなければならない。

日本人は、一方でネパール大好きといいつつも、他方では平気でネパール人差別をしてきた。たとえば、ネパール人労働者の扱いは、きちんと制度化した韓国の方が日本よりはるかに公正である。猛省し、国籍に関わりなく人権を尊重することこそが、日ネ友好の真の促進になることを肝に銘じるべきだろう。

▼2012/09/21 ゴビンダさんの冤罪と日本社会の責任


 ■ネパール最高裁判所

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/12 @ 14:31

カテゴリー: 司法, 人権

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