ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

ラマ大佐逮捕で主権喪失

このところ鬱々,老人性鬱病らしいが,ネパール情勢は流動的,そんな些事にウジウジしてはいられない。扱いは大きくはないが,いまネパール国家の根幹に関わる重大事件が進行している。英国が,ラマ大佐を逮捕してしまったのだ。

1.拷問容疑
クマール・ラマ氏は,1984年に国軍に入り,現在は大佐(colonel)。国連南スーダンPKOに派遣されている。妻は看護師として英国で働き,子供2人と一緒にイースト・エッセクスに住んでいる。ラマ大佐は,その家族のところへ,クリスマス休暇で帰っていた。

ラマ大佐は,休暇終了後,南スーダンに戻る予定であったが,出発直前の1月5日,首都警察により逮捕・勾留されてしまった。容疑は,人民戦争期間中の拷問・虐待。

2.拷問禁止条約
このラマ大佐逮捕の法的根拠は,拷問禁止条約(拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)である。国連採択1984年,加入はイギリス1988年,ネパール1991年,日本1999年。

この条約によると,拷問は刑法犯罪とされ(第4条),容疑者を領域内で発見した政府は自国内で訴追することが出来る(第7条)。

3.英国刑事司法法
この拷問禁止条約に対応するのが1988年英国刑事司法法(Criminal Justice Act 1988)第134条。

それによると,国籍を問わず,また拷問が内外いずれで行われた場合でも,英国は容疑者を英国内で訴追できる。ラマ大佐の逮捕・勾留は,この条文に則り,行われたのである。

4.逮捕容疑
ラマ大佐を英国捜査当局に告発したのは,拷問の被害者あるいはその支援者らのようである。直接の容疑は,つぎの2件。

ラマ大佐は,カピルバスツのゴルシンゲ(Gorusinghe)国軍駐屯地に勤務していたとき,拘束中のジャナク・バハドール・ラウト氏とカラム・フサイン氏に拷問を加えた。1件は2005年4月15日~5月1日,もう1件は同年4月15日~10月31日。拷問,虐待がどのようなものであったのか,具体的なことは報道されていない。

英国首都警察は,英国内あるいはネパールからの告発を受け,1月5日,ラマ大佐を逮捕したのである。

5.ネパール政府・政党からの抗議
このラマ大佐逮捕については,ネパール政府も諸政党も一致して猛反発している。バタライ首相は,紛争中の事件は包括和平協定に基づき「真実和解委員会」や「失踪問題委員会」で審理することになっていると主張し,大佐逮捕は「ネパールの主権への攻撃だ」と非難した。

ナラヤン・カジ・シュレスタ副首相兼外相も,ラマ大佐逮捕を英国による内政干渉だとして非難した。大佐逮捕は,拷問禁止条約の通告規定を無視し,ネパール政府に通告することなく,一方的に行われた。また,ラマ大佐は,この件に関し,すでにカピルバスツ裁判所の審判を受け,政府もそれに基づき大佐を処分(1年間の昇進停止)した。したがって,大佐逮捕は不当だというのである。

政党は,他の件では反目が絶えないのに,ラマ大佐逮捕についてはコングレスからマオイスト,マデシ連合まで,一致して猛反発している。主要諸政党は,1月5日,大統領官邸で緊急会合を開き,独立主権国家として大佐逮捕は絶対に認められないと抗議し,大佐の即時釈放を要求した。

外交ルートを通した公式の抗議も行われている。ネパール政府は,駐ネパール英国大使を呼び出して抗議文書を手渡し,また駐英ネパール大使にも抗議文書を英国政府に届けさせた。ネパール政府は,政府経費で有能な弁護士をつけ,全力でラマ大佐を弁護することにしている。

これに対し,J.タクノット英大使は,「拷問禁止条約加入国として人権を守ることは英国の国際的義務である」と述べ,ネパール側の抗議を一蹴した。また,国連PKO局も,ネパール政府からの身分保全要求を拒否し,ラナ大佐を南スーダンPKOから排除する手続きを進めているという。英国に対しても,国際社会でも,ネパール政府は惨めなほど劣勢である。

6.主権喪失
ラマ大佐逮捕は,司法的にも世界が新しい時代に入った象徴的事件といってもよい。

ネパール人が,ネパール人に対し,ネパール国内で行い,一応司法審判も済んでいる行為を,直接的にはまったく無関係の外国である英国が,直接的には英国国内法に基づき,逮捕・起訴した。以前であれば,これは明白な内政干渉であり,絶対に許されないことであった。しかし,いまや英国当局が主張するように,国際法(拷問禁止条約)が認め,それに対応する国内法(1988年刑事司法法)が認めることによって,それが可能となったのである。

これは,ネパール(あるいは他の同様の国)にとって,革命的な意味を持つ。国内の事件を外国により裁かれるのだから,それを免れるためには,結局,国内の体制を,その外国あるいは国際社会が認めるものに改めざるをえない。人権と民主主義を「世界水準」に合わせないと,ネパールはもはや国内を統治できない。ネパール首相や大政党がいくら独立主権国家を言いつのろうが,ネパールは事実としてもはや主権国家ではない。主権の核心たる領域内裁判管轄権の独占が,失われてしまっている。

7.人権の普遍性と先進国の二重基準
ネパールの主権喪失は,もし人権と民主主義が普遍的なものであるべきなら,当然であり望ましいことである。しかし,である。普遍はつねに強者の友であり,その卑劣な二枚舌を美しい花輪で飾るものである。

もし英国がネパール国内での行為を理由として英国法により一方的にネパール人を逮捕してよいなら,当然,ネパールも同じ方法で英国人を逮捕してもよいことになる。しかし,もし実際にそのようなことをすれば,英国は黙ってはいまい。それが分かっているから,ネパール政府にも,そのようなことをする勇気はない。

深刻な人権侵害に対する普遍的裁判管轄権を各国に認めることになれば,人権救済の向上の可能性がある反面,それを口実とした先進国による途上国介入,途上国支配が正当化される怖れもある。人権侵害を口実に,英米はネパールに介入できても,ネパールは英米には介入できない。理念と現実,建前と本音が,世界社会ではまだまだ大きく乖離している。

ネパールの政府や政党の主張には,人権のグローバル・スタンダードからすれば分がないのは明白だが,だからといって,問答無用と切って捨てるのも躊躇せざるをえないのは,正義を掲げる先進諸国の巧妙な二枚舌がつねに見え隠れするからである。

[参照]
P. Dahal, “UN to question Nepal peacekeepers’ vetting basis,” ekantipur, Jan.6.
“NA expresses ‘sadness’ over Colonel Lama’s arrest,” Republica, Jan 7.
“Col Lama, Dekendra Thapa cases ploy against peace process: PM,” nepalnews.com, Jan.7.
“British police charge Nepali army colonel with two counts of torture during Himalayan nation’s decade long civil war,” Dailymail, UK, Jan.5.
“Nepal protests arrest of colonel on war crimes charges during East Sussex visit,” Telegraph, UK, Jan.4.
“MoFA summons UK envoy over arrest of col Lama,” Republica, Jan.5.
“UK defends decision to prosecute Nepalese colonel accused of torture,” Guardian, Jan 6.
“Hand over colonel to NY or UK missions: Nepal to tell UN dept,” Kathmandu Post, Jan.7.
“PM Bhattarai sends letter to UK seeking Lama’s release,” ekantipur, Jan.17.
“Nepalese colonel to face tourture trial in London,” France 24, Jan.24.
“Nepalis, not int’l community, should decide on TRC,” ekantipur, Jan.28.
“Col Lama to be in jail, trial of torture to begin in June,” Ujyaalo Online, Jan.25.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/04 @ 20:00