ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

中国「文化大革命」を見習え:ガルトゥング教授

カンチプールが,創刊20周年記念として,ガルトゥング教授の長文インタビュー記事を掲載している。
  ■「ネパールは専門家支配に向かっている」ekantipur, Feb.18.

記事はよくまとまっているが,内容は先の「ヒマラヤン・タイムズ」記事と大差ない。特に驚くべきは,教授の議論の非歴史性。

1.文化大革命を見習え
ガルトゥング教授は,ネパールは過去の紛争や革命から何も学んでいない,と厳しく批判し,こう述べている。

「中国は,文化革命後,開かれた。皆が文化革命を罵倒した。しかし,党にはいたるところに女性と若者がいた。中国は反乱を役立てることができたが,ネパールはできなかった。ネパールは[旧弊に]固着したままだ。」

しかし,この議論は変ではないか? 中国が大きく変わりえたのは,革命(破壊)が徹底していたからだ。犠牲者数は,抗日戦争で2~3千万人,革命後の大躍進政策失敗で約5千万人,文化大革命で数千万人ともいわれている。死者数ははっきりしないが,想像を絶する数であることは間違いない。それだけの犠牲により中国共産党は中国社会を革命的に変えたのだ。

これに対し,マオイスト紛争も悲惨にはちがいないが,1万3千の犠牲者数は,絶対的にも相対的にも中国の比ではない。しかし,その割には,わずか10年で女性や下位カースト/民族の解放は大きく前進した。ネパール・マオイスト,そして彼らと交渉した議会派諸政党の政治的能力は,むしろ高く評価されべきだ。ところが,ガルトゥング教授には,そうした歴史的評価の視点がまるでない。

2.政治的思考の欠如
また中国革命は,中央集権の一党独裁や少数民族(チベットなど)弾圧と一体のものである。中国共産党にとって,「人民」や「人民の意思」は,そうした一党独裁・少数民族弾圧のための名目にすぎない。いや,「人民」とか「人民の意思」とは,もともとそのようなものなのだ。

ところが,ガルトゥング教授は,中央集権や「カトマンズ・ゲーム」を容赦なく非難し地域の「草の根」への奉仕を唱えながら,都合の悪い歴史上の自明の事実は無視し,「ネパールの政治体制は人民(the people)に奉仕さえしていない」と断罪される。「人民の意思」による「人民」奉仕が「チベット弾圧」になる危険性など,まったく眼中にない。教授の議論は,およそ歴史的でも政治的でもない。

3.手段としての暴力の評価の甘さ
ガルトゥング教授は,構造的暴力としての不平等こそが直接的暴力をもたらすと主張され,「最も悲惨なコミュニティに着目し,資源を集中的に投入しそのコミュニティを引き上げよ」と提案される。これは適切な助言である。

ただ,その手段の評価の点で,教授は,一貫していない。中国共産党はいうまでもなく,ネパール・マオイストも,最下層コミュニティの引き上げには,暴力を手段として使用せざるをえないと考え,暴力革命を実行した。そして,暴力行使をより徹底させた中国共産党の方が,より徹底的に旧体制を破壊することができた。

ガルトゥング教授は,手段として暴力を用いることを峻拒される。ところが,革命評価については,ネパール・マオイスト革命よりも中国革命の方をはるかに高く評価される。これは,結果のつまみ食いであり,公平とはいえない。

4.連邦制など
その他の論点,すなわち連邦制,政党利己支配(party-o-cracy),専門家支配(technocracy),不平等,中央集権などについては,2月15日の記事をご参照ください。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/18 @ 21:16