ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

中印覇権競争とプラチャンダ外交(3)

4.プラチャンダ訪中招待
プラチャンダは,当初,11月予定の次回制憲議会選挙のため,訪印を第一に考えていた。2008年制憲議会選挙後,政権をとったプラチャンダは,首相としては初めて訪印の前に訪中してインドを怒らせ,その結果,インドから様々な嫌がらせを受け,特に2009年のカトワル軍総監更迭失敗で,政権は崩壊してしまった。(プラチャンダ政権2008年8月~2009年5月)。ネパールにおいて政権を安定的に運営して行くには,やはりインドの協力は欠かせない。そう反省したプラチャンダは,次の制憲議会選挙後のことを考え,訪印を先にするつもりだったのだ。

ところが,反印の頭目であったプラチャンダの訪印打診に,インド側は色よい返事をしなかったらしい。そこに,中国がちゃっかり目をつけ,早々と,元首並みの待遇での招待を約束し,プラチャンダを釣り上げてしまった。外交だから,本当のことはよくわからないが,いかにもありそうな話しである。

しかし,訪中を先にするにしても,インド側の了解は取っておかなければならない。そう考えたプラチャンダは,在ネ印大使館を親印派のバブラム・バタライ副議長と共に密かに訪れ,訪中について説明,インド側から訪中了承の「ビザ」を得たという。これは反印派のPeople’s Review(nd)の情報。訪中にインドの事前了解「ビザ」をもらうのは,独立国家にあるまじきこと,ケシカランという非難である。どこまで事実かよくわからないが,訪中の前にインド側に説明し何らかの了解を得ておくということは,十分にあり得ることだ。おそらく,そうした根回しはあったと見てよいであろう。

5.マオイストの路線転換と対中印関係
プラチャンダの今回の訪中・訪印は,いうまでもなく第7回党大会(ヘトウダ,2013年2月2~8日)におけるマオイストの路線(戦術)転換を踏まえたものであり,これと関連づけなければ,その意味を十分に解読することはできない。

マオイストの非軍事的政治闘争への路線転換は,人民戦争にほぼ勝利し議会派諸政党を取り込み反国王共闘に向かうことを決めた2005年10月チュバン党集会の頃から事実上始まっていたが,それが正式に決定されたのは,この第7回党大会においてであった。

党大会は,議長にプラチャンダ,副議長にバブラム・バタライとNK.シュレスタを選出した。再任で,任期は5年。(出席代議員はプラチャンダ派70%,バブラム派25%,シュレスタ派5%とされている。)そして,党大会は,プラチャンダ=バブラム提出の「政策文書」について議論し,ほぼ提案どおり,それを採択した。この党大会採択文書の要点は,メディアの報道によれば,以下の通り。

(1)「プラチャンダの道以後(post-Prachanda path)」への路線転換。これまでの暴力革命から非軍事的な政治闘争への戦術転換。これまでの人民戦争の成果を制憲議会選挙と,その後の新議会により確認・発展させていく。多党制議会制民主主義の枠内での闘争。

この戦術転換の結果,「持続的人民戦争」,「新民主主義革命」,「プラチャンダの道」や,「インド膨張主義」,「アメリカ帝国主義」,「中国修正主義」といった表現は採択文書からは除外された。また,スターリン主義と文化大革命が批判され,ネパールを「半封建的・半植民地的社会」とする規定も,文書からは外された。

(2)社会主義実現のための「資本主義革命(capitalist revolution)」。生産革命による経済発展を目指す。「階級の敵」の言及なし。土地については,「革命的土地改革」ではなく,没収・再配分によらない「科学的土地改革」。経済発展のためには,中印との協力促進。

(3)「進歩的ナショナリズム(progressive nationalism)」。偏狭(blind)ナショナリズムも,封建的ナショナリズムも否定し,「進歩的ナショナリズム」の立場をとる。従来のネパール人民の敵としての「インド膨張主義」と「米帝国主義」は文書から外す。

(4)「3国協定(Nepal-India-China Tripartite Agreement)」。中印あるいはそのいずれかの敵視ではなく,両国と「3国協定」ないしは「3国協力(cooperation, partnership)」を取り結ぶ。(nepalnews.com, Apr2;newbusinessage, nd;The Hindu, Feb8-9,Apr30;Kathmandu Post, Feb2,12,17, ekantipur, Feb8-9,12; Republica, Apr24, Riseofnepal, Feb5,2013)

130509 ■第7回党大会ポスター(党中央委員会)

党大会の正式採択文書はまだ見ていないが,もしこの報道通りだとすると,マオイストは,暴力革命・人民戦争を完全に放棄したとまでは言えないだろうが,当面は多党制議会制民主主義の枠内で闘い,社会主義にいたるための「資本主義革命」による経済発展を目指すことになる。

プラチャンダは,このヘトウダ党大会における議長再選と提案承認により,内政・外交における選択の幅を大きく拡大することに成功した。

また,このヘトウダ党大会には駐ネ中国大使が出席,会開挨拶をし,歓迎夕食会(5時間!)にも参加した。これは新華社や在ネ中国大使館HPが大きく伝え,在日中国大使館HPにも掲載された。

戦術転換を図るプラチャンダは,中国を必要としているが,チベット封じ込め・南アジア進出を狙う中国もまたネパールを必要としている。そして,このようにして中国がプラチャンダに接近すれば,当然,インドも対抗措置を執らざるをえない。その結果,プラチャンダは,相対的に交渉の余地を広げることができる。プラチャンダの訪中・訪印の背後には,おそらく,このような新しい情況が生まれつつあった、と見てよいであろう。

130509a ■”Post-Prachanda Path” (Nepali Times, nd)

谷川昌幸(C)