ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

制憲議会選挙2013(13):パンドラ狂宴後の幻滅

選挙運動期間が昨日(16日)終了し,街は静かになった。キルティプルでは,自家用車とバスは完全ストップ,警察車両,清掃車,水運搬車などごくわずかの車と,バイクが走っているだけ。高原の清浄な空気と静けさ。ヒマラヤ全山がくっきり見え,絶好のピクニック日和だ。

対照的に,選挙はパンドラ狂宴後の落胆と幻滅の陰鬱な空気の中。投票に託す夢はほとんど聞かれない。いったい何のための選挙なのか?

そもそも不用意にパンドラの箱を開けたのは誰か? ネパールの人々自身ではない。いずれネパール人自身が開けることになるにせよ,それを待つことなく,自分たちの都合で,カネと功名のため,性急に,無責任にパンドラの箱を開け,有象無象を一気に解き放ったのは,西洋諸国だ。

パンドラの箱から出てきた有象無象の中でも,とりわけやっかいのが,多文化主義的民族主義選挙民主主義

西洋の「知の商人」は,そもそも民主主義と諸民族自治をお題目としていながら,ネパールの運命をネパール人自身に委ねておくことが出来ず,自分たちの都合で,それを取り上げ,西洋のもっとも「進歩的」な理論や制度を,カネで釣りながら,お節介にも押しつけ,ネパールを文化的植民地にしてしまった。

たとえば,言語。西洋諸国は,多言語主義を押しつけ,各民族の母語使用権を法制化させた。結果はどうか? パンドラの箱から無数の言語が飛び出し,西洋好みの自由競争をさせられ,たちまち自分たちのものではない最強言語=英語の支配に屈服させられた。

お題目を括弧に入れ,経過と結果を,科学的かつ客観的に分析・評価するなら,多文化主義的多言語主義は,ネパールの各民族の母語の維持強化ではなく,それらを世界言語市場に引き入れ,最強言語たる英語に屈服させるためのものであったことがわかる。何のため? いうまでもなく,ネパールをグローバル資本主義の市場とするためであり,また英語使用ネパール人を安価な労働力として使用し搾取するためである。

選挙民主主義も同じこと。ネパールも,選挙民主主義にいずれは移行せざるをえないであろう。それは,まず間違いない。しかし,短気な西洋諸国は,それを待てない。功名を焦り,パンドラの箱を一気に開け,一人一票,選挙至上主義を解き放った。

選挙が有効に機能するのは様々な前提条件が揃っているときであることを,西洋諸国は,自分たちの歴史の中でイヤというほど経験し,熟知している。しかし,そんなことは素知らぬ顔で無視し,自分たちの利益のため,選挙民主主義をネパールに押しつけたのだ。

さらに悪いことに,本来,相性の悪いはずの集団主義的多文化主義が,個人主義的一人一票選挙とセットになっている。原理的にも実践的にも無茶苦茶だが,ネパールはモルモット,「解体」さえしてしまえば,後はどうでもよい。解体後は,世界資本主義の思いのままだ。

ネパール庶民は,多文化主義も選挙民主主義も,結局,国際社会の「知の商人」や,その下働きたる新しい買弁特権階級を太らせるだけで,自分たちの生活向上には,ほとんど役に立たないという事実を,イヤというほど見せつけられてしまった。選挙は,やらされるのであって,自分たちが自分たちのためにやるのではない。

投票日直前というのに,盛り上がらず,シラケと幻滅が広がっているのは,そのためだろう。選挙への期待,選挙後の明るい展望がほとんど聞かれない。

性急にパンドラの箱を開けた西洋諸国,特にネパールを最新理論の実験台にした開発寄生知識人・専門家の責任は重いと言わざるをえない。

▼自然と伝統(第二の自然)と人為(キルティプルとその付近)

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 ■マナスルと菜の花/ヒマラヤの満月

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 ■宗教と政治/民主主義のコスト(有権者登録証発行警戒)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/18 @ 12:31

カテゴリー: 選挙, 政治, 歴史, 民族

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