ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

制憲議会選挙2013(22):アイデンティティの市場競争へ

いまはやりの多文化主義によれば,人びとは「個人」として尊重されるのではなく,所属集団の一員として尊重される。裸の自由・平等・独立の個人は虚構(fiction)であり,すべての人はその人格を帰属集団文化(言語など)の中で形成するのだから,人権の尊重とは,すべての人をその人格において,つまりそのアイデンティティ(自分を自分と考えるその在り方)において,尊重することである,というわけである。

たしかに,近代個人主義は,自由・平等・独立の個人といっても,それはあくまでもフィクションにすぎず,実際には言語や宗教など文化によりその態度や行動は決定される。だから,自由・平等・独立の諸個人に一人一票民主主義で意思決定させたら,結局は,多数文化の専制となってしまうわけだ。この理屈はよく分かる。

しかし,多文化主義的集団主義で問題解決か,というと,ことはそう簡単ではない。多文化主義の依拠する人びとのアイデンティティは,多元的・多層的・重複的であり,常に変化・流動し,新しいものも次々と出現する,という特有の難しさがある。

その多種多様で変転きわまりなき集団アイデンティティの相互関係をどう調整し,それぞれの権利をどう尊重するか? また,それぞれの集団内の少数派の権利をどう守るか? これらは,いずれも原理的で,かつ実際的な難問である。

さらに,集団アイデンティティの尊重を唱える多文化主義的集団主義は,多言語主義が実証しつつあるように,アイデンティティ諸集団を自由競争市場に引き出す結果になりかねない。すなわち,「集団」としての権利が保障されたのだから,あとは市場で自由に競争せよ,というわけだ。

しかし,少数民族言語がネパール語に,ネパール語が英語に敗退しつつあるように,集団自体も,強大集団と弱小集団が競争すれば,いくら集団の権利が保障されていようが,弱小集団は敗退し,いずれ消滅か博物館行きとならざるをえない。それを免れるためには,少数派集団は,内に向けては集団内少数派の抑圧,外に向けてはアイデンティティ闘争強化を図らざるを得ないことになる。過激なアイデンティティ政治への転落である。

と,そんな観点から,今回の制憲議会選挙を見ると,多文化主義的集団主義は,既存諸集団をいったん解放し,これにより精神的文化的武装解除を行い,しかるのち均質な大社会――グローバル資本主義社会――に吸収同化するための巧妙な策略ではないか,という疑念をますます禁じ得なくなった。

制憲議会選挙実施が発表されると,選出議席601(小選挙区制240,比例制335,指名制26)に対し,150前後もの政党が選挙参加を表明した。その後,選管への正式登録は130党となった。このうち比例制参加は122党,候補者総数10709人。小選挙区への立候補者数は6128人。いずれもたいへんな数であり,弱小途上国ネパールにとって,選管,警察,軍隊などの経費だけでも,負担はきわめて重い。

下図ABは,キルティプルでY氏からいただいた投票用紙サンプルのコピー。Aは比例制,Bは小選挙区制カトマンズ第10区。いずれの用紙にも,コングレスの「樹」欄に,すでに「卍」の投票マークが印刷されている。コングレスが,投票日前に配布したものだろう。

カトマンズ第10選挙区は,有権者数62573人。プラチャンダ議長が落選した選挙区だ。投票用紙は,見ての通り,ABとも巨大。比例制は122党,小選挙区制でも39党(39人)。このようなものが全国240選挙区ごとに用意されている。これでは有権者や地域社会の精神的負担は重いし,また選挙経費は,選挙運動費(合法・非合法,直接・間接)も含めると途方もない額となり,ネパール国民に重くのしかかる。これが,多文化主義的集団主義,つまりはアイデンティティ政治の目に見える大きな成果の一つなのだ。

ところが,それだけの負担を強いながら,今回選挙では,女性や少数派諸民族・諸集団の当選者数は激減しそうな形勢だ。小選挙区の女性当選者数は,前回30人に対し,今回はわずか10人(4%)。マデシも有力者多数が落選し大きく後退した。比例制(335)と指名制(26)で多少は増えるだろうが,それでも女性や少数派諸集団の大幅後退は避けられそうにない。

なぜ,このようなことになってしまったのか? 諸言語の解放が,結局,ネパール語や英語帝国主義への隷従となりつつあるのと同じようなことが,被抑圧諸集団の解放についても政治の場で始まりつつあるのではないだろうか。

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 ■投票用紙サンプル(コングレス欄卍印付): (A)比例制用/(B)カトマンズ第10選挙区用

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/12/02 @ 16:30