ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for 2月 2013

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(3)

3.国会議事堂襲撃事件の構図
インド国会議事堂襲撃事件は,「米国同時多発テロ(2001.9.11)」後の対テロ戦争の異様な高揚の只中で発生した。この事件は日本でも報道され,朝日新聞(12月14~30日)によれば,2001年12月13日午前11時45分頃,武装集団5人(又は6人)が議事堂に車で乗りつけ,警備員らに小銃を乱射,手榴弾を投げ,一人が自爆した。銃撃は約40分間続き,その数時間後,持ち込まれた爆弾が爆発したという。襲撃犯5人は射殺された。(1人が自爆なら射殺は4人,また6人侵入なら1人は逃亡ということになるが。)

翌日の14日,シン外相は,襲撃はラシュカレ・トイバ(カシミール反政府組織)によるものだと語り,16日にはニューデリー警察が記者会見し,射殺された5人はパキスタン人であり,逮捕したデリー大学講師ら4人の取り調べの結果,ISI(パキスタン国防省統合情報局)の関与が疑われると発表した。19日には,バジパイ首相が国会において,「襲撃犯5人はいずれもパキスタン人であり,同国の過激派組織の関与は明白」とのべ,外交的手段以外の「他の選択肢もあり得る」と宣言した。

20日付朝日記事は,「インド国会議事堂を13日白昼襲撃した犯人5人は,パキスタン領カシミールを活動拠点とするイスラム過激組織『ラシュカレ・トイバ』と『ジャイシェ・モハメド』のメンバー」と断定しているが,これもインドの当局やマスコミ報道によるものだろう。

こうして印パ関係は一気に険悪化し,インドは駐パキスタン大使を召還する一方,カシミールや他の印パ国境付近に軍隊を移動させた。カシミールでは両軍が衝突し,19日以降,双方に数名の死者と多数の負傷者が出た。インドはミサイルも配備,一触即発,核戦争さえ勃発しかねない緊迫した状況になった。この危機に対し,アフガンでの対テロ作戦の障害になることを怖れたアメリカが調停に入り,またパキスタンも比較的抑制的な態度をとったこともあり,本格的な軍事衝突となることは免れた。しかし,危機一髪であったことはまちがいない。

この事件の構図は,警察・政府・マスコミによれば,単純明快である。しかし,これほどの重大事件であるにもかかわらず,いやまさに重大事件であるからこそ,その明白とみられている構図そのものの信憑性を,もう一度,最初から検証してみる必要がある。たしかに,警察・政府・マスコミ発表の構図を信じるなら,すべてがきれいに説明できる。いや,できすぎるくらいだ。ところが,具体的な事実を細かく検証していくと,合理的に説明できないことがいくつも見つかり,全体の構図そのものが怪しくなる。

こうしたことは,重大な政治的事件の場合には,決して少なくない。有名なのは,「ケネディ暗殺事件(1963年)」。公式発表ではオズワルドの犯行とされているが,これを疑う人は少なくない。マフィア説,産軍複合体説,CIA説など,いくつか有力な説があり,たとえば「JFK(2001年制作)」も,映画にはちがいないが,相当の説得力がある。あるいは,ネパールの「王族殺害事件(2001年)」も,政府発表では事件3日後に死亡したディペンドラ皇太子の犯行とされているが,あまりにも不自然であり,不可解な点が多く,この発表をそのまま信じる人は多くはない。秘密機関陰謀説,王室内あるいは軍のクーデター説など,いまも繰り返し蒸し返されている。

インド国会議事堂襲撃事件も,きわめて政治的な事件であり,警察や政府発表をそのまま信じることは,危険である。イスラム過激派集団のテロという,世論を動員しやすい構図に合わせ,アフザルら4人が逮捕され,「自白」が引き出されたのかもしれないからである。ロイが問題にするのは,まさにこの点である。それは,もしこの事件が何らかの政治的意図によるフレームアップであったとすれば,背後にいるであろう闇の権力にとっては,到底,放置できない危険な議論ということになりかねない。

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  ■インド国会議事堂(2010.3.9)

谷川昌幸(C)

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(2)

2.インド憲法と絞首刑
インド憲法では,死刑は禁止されていない。

第21条 何人も,法の定める手続きによらなければ,その生命または人身の自由を奪われない。

この第21条の規定は,法に定めさえすれば,あるいは「適正手続き」によりさえすれば,死刑は認められるという意味である。さらに,通説によれば,死刑は第14条(法の前の平等)や第19条(自由)の権利規定にも反しない。いや,それどころか,最高裁は,その判決において,しばしば,死刑確定後の執行の先送りは,第21条の規定に反する,とさえ判示してきた*。
 * B.K. Sharma, Introduction to the Constitution of India, Prentice-Hall of India, 2002, pp.88-89.

また,絞首刑も,最高裁判示(1983年など)により,残虐な死刑執行方法ではなく,合憲とされている。

むろん,死刑は極刑であり,最高裁も「もっとも限定的な場合(the rarest of rare cases)」にのみ適用されると判示している。たとえば,残虐非道な強盗殺人,国民(国家)にたいする戦争(テロ)行為,軍人等の反逆扇動,大規模な麻薬取引など。したがって,インドでも死刑判決は少なくないが,内閣の助言に基づく大統領恩赦により減刑され,実際の執行は日本よりもはるかに少ない。1995年以降,今回を含め4件のみである。

【参考】ティハール刑務所
デリー刑務所のHPを開くと,「Welcome」と歓迎してもらえる。それによると,ティハール刑務所は「世界最大の刑務所」の一つであり,定員6250人なのに12000人も収容,大繁盛という。いかにもスパイス濃厚味・原色ギラギラの世界最大民主国インドらしい。

130223b ■デリー刑務所HP

130223c ■レイプ犯絞首刑要求デモ(India Today, Jan.5, 2013)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/23 at 20:51

カテゴリー: インド, 人権

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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(1)

1.絞首刑と民主主義とロイ
アフザル・グル氏が,2月9日,デリーのティハール刑務所で絞首刑に処され,刑務所内に埋められた。2001年の国会議事堂襲撃事件の共謀者として逮捕・起訴され,2005年8月,最高裁判決で絞首刑が確定していた。

アフザル氏は,世界最大の民主主義国であるインドの熱狂的な「人民の意思」により,「縛り首」にされた。「インド:絞首刑執行人が語る」によれば,インドの「縛り首」は非常に洗練されており,体重と同じ重さの砂袋を使って専門家が事前に十分練習するらしい。縄には,石鹸とギー,そして直前には潰したバナナを塗る。首にかける輪には,結び目を5つ作る。そして,首が切断されたり,目や鼻から出血したりせず,苦痛なく死なせる程度の強さでレバーを引く。アフザル氏も,おそらくこのような方法で絞首刑に処されたのだろう。(絞首刑は,日本の方がはるかに多い。21日にも3人が一度に執行された。インドのように,洗練された「人道的」な方法で執行されているのだろうか?)

この処刑の日は,アルンダティ・ロイによれば,「[インド]民主主義にとって完璧な日」であった。

これは,どのような意味であろうか? インド「人民」が熱狂的に要求した「縛り首」が執行され,「人民の意思」が実現されたからなのだろうか? この問題につき,ロイは事件当初から関心を持ち,長文の批評をいくつか書いている。

By Arundhati Roy:
[ⅰ] “A Perfect Day for Democracy,” The Hindu, Feb.10, 2013
[ⅱ] “Does Your Bomb-Proof Basement Have an Attached Toilet?,” Outlook, Feb.25, 2013
[ⅲ] “Introduction,” 13 December: A Reader, The Strange Case of the Attack on the Indian Parliament, Penguin Books, 2006 (Outlook, Dec.18, 2006).
[ⅳ] “Afzal Hanging: The Very Strange Story of the Attack on the Indian Parliament,” Outlook, Oct.30, 2006
[ⅴ] “Who Pulled the Trigger…Didn’t We All?,” Outlook, Feb.28, 2005

Afzal Guru, “Letter to All India Defence Committee for SAR Geelani,”(The Police Made Me a Scapegoat), Outlook, Oct.5, 2006
Afzal Guru, ”Letter to His Lawyer Sushil Kumar, Sr. Advocate, Supreme Court,” Outlook, Oct.21, 2004

Anjali Mody, “Unansewered Questions Are the Remains of the Day,” The Hindu, Feb.10, 2013
Sandeep Joshi, “Afzal Guru Hanged in Secrecy, Buried in Tihal Jail,” The Hindu, Feb.9, 2013
Nirmalangshu Mukherji, “The Media and December 13,” Outlook, Sep.30, 2004
David Kumar, “The Ham Burger,” Outlook, Jan.14, 2002
Davinder Kumar, “Tracing a Puppet Chain,” Outlook, Dec.31, 2001.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/22 at 22:20

カテゴリー: インド, 民主主義

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中国「文化大革命」を見習え:ガルトゥング教授

カンチプールが,創刊20周年記念として,ガルトゥング教授の長文インタビュー記事を掲載している。
  ■「ネパールは専門家支配に向かっている」ekantipur, Feb.18.

記事はよくまとまっているが,内容は先の「ヒマラヤン・タイムズ」記事と大差ない。特に驚くべきは,教授の議論の非歴史性。

1.文化大革命を見習え
ガルトゥング教授は,ネパールは過去の紛争や革命から何も学んでいない,と厳しく批判し,こう述べている。

「中国は,文化革命後,開かれた。皆が文化革命を罵倒した。しかし,党にはいたるところに女性と若者がいた。中国は反乱を役立てることができたが,ネパールはできなかった。ネパールは[旧弊に]固着したままだ。」

しかし,この議論は変ではないか? 中国が大きく変わりえたのは,革命(破壊)が徹底していたからだ。犠牲者数は,抗日戦争で2~3千万人,革命後の大躍進政策失敗で約5千万人,文化大革命で数千万人ともいわれている。死者数ははっきりしないが,想像を絶する数であることは間違いない。それだけの犠牲により中国共産党は中国社会を革命的に変えたのだ。

これに対し,マオイスト紛争も悲惨にはちがいないが,1万3千の犠牲者数は,絶対的にも相対的にも中国の比ではない。しかし,その割には,わずか10年で女性や下位カースト/民族の解放は大きく前進した。ネパール・マオイスト,そして彼らと交渉した議会派諸政党の政治的能力は,むしろ高く評価されべきだ。ところが,ガルトゥング教授には,そうした歴史的評価の視点がまるでない。

2.政治的思考の欠如
また中国革命は,中央集権の一党独裁や少数民族(チベットなど)弾圧と一体のものである。中国共産党にとって,「人民」や「人民の意思」は,そうした一党独裁・少数民族弾圧のための名目にすぎない。いや,「人民」とか「人民の意思」とは,もともとそのようなものなのだ。

ところが,ガルトゥング教授は,中央集権や「カトマンズ・ゲーム」を容赦なく非難し地域の「草の根」への奉仕を唱えながら,都合の悪い歴史上の自明の事実は無視し,「ネパールの政治体制は人民(the people)に奉仕さえしていない」と断罪される。「人民の意思」による「人民」奉仕が「チベット弾圧」になる危険性など,まったく眼中にない。教授の議論は,およそ歴史的でも政治的でもない。

3.手段としての暴力の評価の甘さ
ガルトゥング教授は,構造的暴力としての不平等こそが直接的暴力をもたらすと主張され,「最も悲惨なコミュニティに着目し,資源を集中的に投入しそのコミュニティを引き上げよ」と提案される。これは適切な助言である。

ただ,その手段の評価の点で,教授は,一貫していない。中国共産党はいうまでもなく,ネパール・マオイストも,最下層コミュニティの引き上げには,暴力を手段として使用せざるをえないと考え,暴力革命を実行した。そして,暴力行使をより徹底させた中国共産党の方が,より徹底的に旧体制を破壊することができた。

ガルトゥング教授は,手段として暴力を用いることを峻拒される。ところが,革命評価については,ネパール・マオイスト革命よりも中国革命の方をはるかに高く評価される。これは,結果のつまみ食いであり,公平とはいえない。

4.連邦制など
その他の論点,すなわち連邦制,政党利己支配(party-o-cracy),専門家支配(technocracy),不平等,中央集権などについては,2月15日の記事をご参照ください。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/18 at 21:16

ガルトゥング提案の観念性と危険性

訪ネ中のガルトゥング教授のインタビュー記事を「ヒマラヤン・タイムズ」(2月14日)が掲載している。教授は平和学の権威であり,国際社会の平和政策にも絶大な影響力をお持ちだが,もし記事が教授の発言を正しく伝えているとするなら,教授のネパール政治分析と政策提案には落胆せざるをえない。いやそれどころか,ネパールにこれまで深く関与されてきたことを考えると,教授の諸提案はいささか無責任なような印象さえ禁じ得ない。

1.政党利己支配(partyocracy)
ガルトゥング教授によれば,ネパール政治は,マオイストの国政参加後も「政党利己支配(partyocracy)」の強化を除けば,他は何も変わっていない。

「一国家,二軍隊,王制と[国王の]直接専制支配はもはや存在しない。しかし,事態は以前と同じだ。憲法制定の見込みはなく,議会もなく,選挙された政府もなく,和平プロセスを担う機関もなく,不平等の改善もない。民主主義はなく,あるのは政党利己支配(少数の政党が議会制民主主義の諸制度を危険に陥れる政治的疾病)のみだ。」

この現状認識は,一般に広く共有されている。常識といってもよい。

2.アイデンティティ連邦制
そこで次に,少し具体的な話になる。まず連邦制だが,ガルトゥング教授は,以前からアイデンティティ(カースト/民族)による州区画を説かれていた。

教授は,そのアイデンティティ連邦制がいまも望ましいといいつつも,ここでは世界の25の連邦国家のうちアイデンティティ州区画をしているのは4カ国(印,マレーシア,ベルギー,スイス)だけだと認め,「ネパールにとって参考になる別のモデルは,マレーシアとインドの連邦制の組み合わせであろう」と提案されている。

意味不明。ひょっとすると,これは,インドもマレーシアも英植民地であったから,植民地時代の区画(スルタンやラージャの領地)を州区画とせよ,ということかもしれない。しかし,ネパールは,両国とちがい,有史以来独立国であり,植民地にはならなかった。あるいは,プリトビナラヤン・シャハ王の頃の小王国領を州区画にせよとでもいうのであろうか? まさか! よく分からない。

そもそも,マレーシアは立憲君主制のイスラム教国であり,中央権力が強い。また,インドもユニオン(連邦)権力が強く,単一制に近い連邦国家として知られている。ガルトゥング教授は,両国のどこがネパール連邦制のモデルになるといわれているのか,さっぱりわからない。

3.「カトマンズ・ゲーム」
中央政府権力の強いマレーシアやインドをモデルとせよと提案される一方,ガルトゥング教授は,カトマンズ中心主義(Kathmandu-game)を打破せよ,と主張される。

教授によれば,国王,ラナ家,封建領主らはみな,「カトマンズ・ゲーム」に明け暮れてきた。そしていま,政党が同じことをしている。制憲議会解散も憲法制定失敗も,カトマンズが地方を支配するための陰謀だ。「国王もラナ家も封建領主も一つのことではほぼ同じ考えだった――人民を搾取せよ。」

教授は,これは悪質なガンのようなものであり,直ちに治療しないと「新しい暴力」が始まるだろう,と警告される。

「もし治療するつもりなら,人民の三分の二の下層の人々を引き上げる必要がある。」

中央集権国家をモデルとせよといいつつも,カトマンズ中心主義がガンであり,治療しないと再び暴力紛争が始まると警告される。いったい,どうすればいいのだろうか?

そもそも人民の三分の二の生活を引き上げることができるのなら,誰も苦労はしない。ネパール人民の三分の二,つまり1800万もの人々の生活を,いったいどのような方法で向上させるのか? 強力な中央権力なしにそんなことができるのか? 教授からは,具体的な提案は何もない。

4.人民投票による連邦制
ガルトゥング教授の提案は,矛盾と観念論に留まらず,とんでもない危険へと人々を導いていく。つまり,政党は「草の根」に働きかけよ,と扇動されるのだ。

「どの政党も組織も政府も,草の根の人々とは結びついていなかった。」

連邦制は,少数の政党だけで決められるものではない。人民にはかり決めるべきだ。つまり「人民投票が方法としてはよいだろう」という。

しかし,これは変ではないか? 多数決では決められないから,あるいは決めてはいけないから,という理由でカースト/民族自治の連邦制を提案しておきながら,結局は,数で決めよ,というのだ。

たかだか601人の議会で決められなかったことが,どうして膨大な数(2千万以上?)の有権者人民によって決められるのだろうか? 決められるとすれば,手品か奇跡だ。具体的な州区画も権限分配も決めずに,「連邦制に賛成・反対」といった観念論投票をやるのだろうか? やってやれないことはないが,実際には,このような投票は無意味なばかりか,限りなく白紙委任に近く,危険でもある。

5.マオイストは地域を変革せよ
ガルトゥング教授は,政党は「カトマンズ・ゲーム」ではなく「草の根」と結びつくべきだという考えから,マオイストに対しても「草の根」への働きかけを提案される。

「マオイストへの私の提案は,ネパールを全体として変えようとするな,地域社会に焦点を当てよ,ということにつきる。」

教授は,マオイストがこれまで村や町で何をしてきたか,よくご存じのはずである。地域の「草の根」の人々は,マオイストが中央政界に活動の重点を移してくれたので,やっと一息ついているところだ。

それなのに,教授は,そんな「カトマンズ・ゲーム」はやめ,村や町の「草の根」の人々の生活に介入し,変革せよ,と提案される。

「草の根」民主主義が,ノルウェーや欧米の国々,あるいはひょっとすると日本でも重要なのはよく分かる。しかし,状況を無視して理念を押しつけるのは,「原理主義」であり,危険である。かつて各地に設立された「人民政府」こそが,マオイストにとっては「草の根」民主主義ということになるのではないだろうか? その原点に立ち戻れということなのだろうか?

6.最高裁長官の首相任命に反対
ガルトゥング教授は,最高裁判所長官の暫定首相への任命にもまた,人民の直接表明した意思によらないとして,真っ向から反対される。それは,「専門家(エリート)支配(technocracy)への動き」であり,「政党利己支配への反発(reaction)」にすぎないというのである。

しかし,この議論も,現実を見ない観念論である。第一に,「草の根」から「人民意思」がどう形成されるのか,そして,現在のネパールでそれがどこまで可能か,といった基礎的な議論がない。まさか,選挙(投票)により「人民」の「意思」が表明されるなどといった楽観論はおとりではあるまい。

選挙がある程度有効に機能するには,多くの前提条件が満たされている必要がある。アメリカやその意を体する国連は,選挙すれば「人民意思」が発見され,それに基づく統治は民主政治だなどと無責任なことをいい,それを途上国に押しつけてきたが,これは根拠なき「選挙民主主義(electoral democracy)」である。選挙過信や「人民意思」の実体化ほど危険なことはない。ガルトゥング教授には,「草の根」民主主義と「選挙」民主主義の間の十分な架橋がないように思われる。

第二に,現在のネパールの三権のうち,正統性をかろうじて残しているのは,大統領と最高裁判所長官だけである。議会(立法権)はなく,政府(内閣,行政権)は次の政府へのつなぎ役にすぎない。政党はもちろん,2008年4月選挙に基づくものにすぎず,現在の人民の意思など代表してはいない。2012年5月末以来の無議会政治によりバタライ首相が正統性をあらかた失ってしまったことは,これまたいうまでもない。

この状況で,選挙をするとすれば,結局,大統領の下での選挙か,それができないのであれば,次善の策として,最高裁長官あるいはその選任する者を「破綻国家の管財人」のようなものとして選挙を実施するしか,選択肢はあるまい。しかしながら,最高裁長官の場合,司法権・行政権分離の原則からすると難しい問題もあるので,やはり国家元首としての大統領の下での選挙が最善であろう。民意を代表しない諸政党の談合首相任命よりも,大統領の下での選挙の方が,正統性と透明性ははるかに大きい。

ガルトゥング教授は「専門家(エリート)支配」と批判されるが,政治の場では,大統領委任独裁や,それに準ずるエリート統治が選挙民主主義よりもはるかに安全で効果的なことが決して少なくない。

議会はなく,政党も民意を代表していないとすれば,現行憲法で正統性を持つ大統領が選挙管理政府を率いらざるをえないのではないだろうか。

7.政官民有力者とのカトマンズ会談
ガルトゥング教授は,滞在中に,カトマンズで,大統領閣下をはじめとする政府高官,政党指導者,市民社会リーダー,専門職団体リーダーらと会談されるという。地方の村や町での「草の根」の人々との対話の有無については,記事には記載されていない。

――以上は,あくまでも「ヒマラヤン・タイムズ」のインタビュー記事に基づく批評である。おそらく,記事は,ガルトゥング教授の発言を正確には伝えていないのであろう。後日,大幅な訂正記事が出るにちがいない。もしそうなら,改めて,教授の正確なお考えを紹介することにする。

【参照】ガルトゥング教授関連記事

谷川昌幸(C)

ガルトゥング「ネパールの危機」(再掲)

J・ガルトゥング氏のレポート「ネパールの危機:好機+危険」(2003年5月22日)を読んだ。4頁ほどの短文だが,ネパール・トランセンドの概略はつかめる。

1.ネパール・ワークショップ
ネパールでのトランセンドは,2002年7月,PATRIR/TRANSCENDによって始められ,全国へ展開され,その一環としてガルトゥング氏(G氏)も2003年5月16-20日,訪ネした。

2.8プログラムの実施
G氏の日程は,国家人権委員会(NHRC)により完璧に準備され,8プログラムが実施された。

No.1,7=リシケシ・シャハ記念講演。知識人,ネパール世界問題協会対象
No.2-6=主要当事者との対話。政党幹部,NHRC関係者,人権活動家,和平仲介者,政府要人,軍・警察幹部,政府和平交渉団,マオイスト和平交渉団。

3.直接暴力・構造的暴力・様子見
G氏によれば,紛争に対しては,大別すると,3つの態度がある。

(1)直接暴力を行使する党派
(2)構造的暴力の現状維持を図る党派
(3)「高貴な」,アパシーによる,あるいは無気力な様子見の多数派

4.M,K,TP
ネパール紛争の主要当事者は,マオイスト(M),国王=国軍(K),第三勢力(TP)の三者である。

G氏は,もしMとKの2者対立なら状況はいっそう悪かっただろうと考え,紛争解決への大きな役割を第三勢力のTPに期待する。

TP(Third Party)=主要政党(PP),市民社会(NGOなど),人民(People)

5.対話による平和
つまり,TPが一致協力して,MとKを交渉テーブルにつけ,Mとともに暫定政府を設立し,憲法を改正する。この方向に向け,人民(People)は街頭に出て圧力をかけ,また市民社会も強力に圧力をかける。Mには議会制民主主義を,Kには立憲君主制を宣言させる。

そして,MとKの兵士を武装解除し,彼らを保健衛生,学校・道路建設などの共同作業に就かせる。

以上が,停戦,対話,互譲,創造性の下に行われるなら,平和が実現する。

6.ネパール紛争の危険断層
G氏によれば,ネパールにはもともと紛争を引き起こす危険な断層が11カ所あった。

(1)資源枯渇,環境汚染,(2)ジェンダー差別,(3)青少年問題,(4)国王の政治権力,(5)国軍,(6)貧困,(7)少数派文化,(8)ダリット,(9)支配文化,(10)地域格差,(11)外国介入

G氏によれば,これらはすべて人権問題であり,いわゆる「マオイスト問題」ではない。したがって,それらには人権問題として取り組まなければならない。それには,以下のようなことが必要である。

・全党ラウンドテーブル,人権対話を組織し,停戦監視,人権実現を図る。
・スリランカのSarvodaya,インドのDevelopment Alternativesのような経験から学び,そうした活動を組織する。
・平和・人権のための大会議の設立。
・真実・和解のプロセスを進める。

7.いくつかの疑問
G氏のトランセンド提案は,包括的であり,試みるに値するものも多い。その反面,これを読んだだけでは,いくつかの疑問が残るのも事実だ。

(1)TPは平和勢力たり得るか?
G氏は,もしMとKだけなら,事態はもっと悪化していただろうと考えているが,私はむしろ逆だと思う。MとKの2項対立(G氏の最も嫌う構図)であれば,紛争は一方の勝利か両者の妥協でもっと早く解決していたのではないか。

私は,ネパール紛争を泥沼に引き込んだのはTPの無原則,無責任な行為だと考えている。

(2)「人民」の示威行動,市民社会の圧力は有効か?
G氏は,「人民」が街頭に出て圧力をかけ,また市民社会(NGO,労働組合など)が圧力をかけることにより,PP,M,Kを平和に導いていけると考えるが,私はそうではないと思う。

ネパール政治の病巣は,まさに街頭政治,圧力政治,つまり制度不信にある。これ以上,街頭政治,圧力政治に頼ったら,紛争はますます泥沼化し,収拾がつかなくなるだろう。

(3)人権問題か?
G氏は,「人権」を文化中立的,普遍的なものと考えているようだが,それは間違い。「人権」は,明らかに近代西洋的価値であり,ネパール伝統文化とは両立しない。

「人権」強要の痛みを考えず,それを普遍的価値としてネパールに押しつけようとしても,成功はしないだろうし,もし成功しても,それは文化的に望ましいこととは言い切れないと思う。

(4)分権は前進か?
G氏は,分権(devolution)や緩い連邦制(soft federation)を提案するが,それは近代国家を経た北側諸国の発想であり,ネパールには妥当しない。ネパールの課題は,むしろ強力な国家主権の確立である。

ネパールの悲劇は,国家権力が強すぎることにではなく,弱すぎることにある。

(5)母語教育の可能性?
母語教育は,本当に住民自身が望んでいるのか? それはむしろポストモダン西欧諸国のロマンチックな(はた迷惑な)失われた夢の強要であり,現実には少数派民族の差別強化,固定化になりはしないか?

(6)市民社会,NGOは機能するか?
G氏は,わずか5日間の訪ネ中に8つものプログラムが完璧に組織され,時間通り実施されたことにいたく感激されているが,これはセミナーがネパールでは効率的なイベントになっているからである。

その現状を見ると,NGOをさらに組織したり,会議を開催することにあまり多くは期待できない。NGO産業,セミナー興業が繁盛し,庶民には無縁の高級ホテルでの豪華パーティが増えるだけ。むしろ構造的暴力の拡大になるのではないか?

8.疑問を超えて
以上,あえてG氏のレポートへの疑問を述べたが,これはトランセンド法を否定したいがためではない。

ネパール紛争は10年もたつのに,他の方法ではこれを解決できなかったことは,歴然たる事実だ。トランセンド法についてはまだ読みかじった程度なので,まずは思うがままに疑問を提起し,これらを手がかりに,さらに学び,ネパール紛争へのトランセンド法の適用可能性を探っていきたいと思っている。

* Johan Galtung, The Crisis in Nepal: Opportunity + Danger, May 22, 2003. (Report to UNDP, Kathmandu and NHRC, Kathmandu)

(2006/04/03掲載)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/15 at 11:14

ポカレル前副首相の長崎講演会(1/28)記事

Written by Tanigawa

2013/02/15 at 10:49

カテゴリー: 平和

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