ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Archive for 4月 2013

関西空港と国家の品格

関西空港を利用して,びっくり仰天。「美しい国」の「国家の品格」について,改めて考えさせられた。

関西空港については,以前,閑古鳥が鳴いていると,その惨状をご紹介したが,いまは様変わり,普通の空港なみにまで利用者が回復していた。理由の一つは,格安航空の参入であろう。見慣れない様々な航空会社が乗り入れ,そこそこ繁盛していた。もう一つは,安倍=黒田バブル経済で,はや人心が浮かれ,プチブル海外旅行が急増しているのだろう。

このように利用者増加は喜ばしいが,品格という点では,関空はいまいちだ。というか,いかにもエゲツない大阪の空港らしい,といった方が適切かもしれない。

関西空港ビルの3階中央に丸善書店がある。高尚な哲学新書でも買うつもりで行ってみると,通路側の一等地陳列台に,なんとエロチックな半裸女性を表紙に掲載したいわゆる「ピンク本」が,堂々と平積み販売されていた。

エゲツないエロ・グロは大阪の伝統文化だし,丸善がピンク本を売ってイケナイ理由もない。平積み販売であり,よく売れているのだろう。マンガの次はピンクだ。ピンクを世界に!

ピンク本は,日本国の,特に大阪の誇るべき伝統文化だが,関西空港の一流店舗街の表通りで売るには,相当の度胸がいる。2階にTsutayaがあるので,行ってみると,「成人向け」はあるにはあったが,奥の方の書棚に入れられ,表紙グラビアは一部しか見えないように工夫されていた。

丸善とTsutaya。センスの差がモロみえだ。重厚な洋書やバーバリ等の渋い舶来製品を扱っていたころの丸善,もはやその残り香すら感じられない。

関西空港は,れっきとした国際空港。他の国の国際空港において,このようなピンク本の表通り平積み販売の事例は,あるだろうか? 私が見た限りでは,ない。

「美しい国」の古き良き伝統は,浮世絵であり,混浴であり,庭先行水だ。外国客人をピンク本平積み販売で古都にお迎えする。「美しい国」の「国家の品格」とは,きっとこのようなものに違いない。

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  ■丸善書店・関空店。矢印の先がピンク本平積み販売台(2013/4/20&23)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/29 at 19:18

カテゴリー: 文化, 旅行

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「美しい国」と「国益」,あるいは「ロマン」と「実益」

一昨日,愛国心に自己陶酔し,超国家主義に先祖返りすると,アメリカにも見放され,戦前のように世界で孤立し,再び破滅に向かって転落しかねないと警告したが,それが単なる杞憂ではないと感じさせるような本が出版されている。まだ手元になく読んではいないが,書評がいくつか出ているので,以下に紹介する。

●Thomas U. Berger, War, Guilt, and World Politics After World War II, Cambridge University Press, 2012.
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1.Foreign Affairs書評(May/June 2013 ,Twitter Apr26)
「ドイツは,最も残虐非道な国家行為を行ったが,自己のその負の過去を公的に徹底的に語ることにより,深い悔悟を幾度も公的に表明してきた。これに対し,日本は,自分を加害者でもあり被害者でもあると見ようとしてきた。」
(http://www.foreignaffairs.com/articles/139227/thomas-u-berger/war-guilt-and-world-politics-after-world-war-ii)

2.Time「著者Q&A:日本が今なお十分謝罪しないのはなぜか」(Dec11,2012)
「注意深い観察者であれば,よく知っていることだが,近隣諸国との日本の醜い領土争いは,実際には,漁場や石油,あるいはガス田や古来の歴史的要求をめぐるものではない。日本が固執するのは,第二次世界大戦や長期にわたるアジア植民地支配において,日本人は何も悪いことはしなかったということを,まだ――そう,まだ――認めるつもりはない,ということだ。

これは,近隣諸国がそう見ているということ。そして,これこそが,ちっぽけな小島をめぐる中国や韓国との争いを,いまにも衝突を招きかねない危険なものとしてしまった理由である。・・・・

本書において,著者は,日本が過去の過ちを認めていないと見られているのはなぜか,その理由を解明している。1945年まで続いた日本の半世紀に及ぶ戦争と植民地支配により,2千万人もの人々が死に,おびただしい人々が支配・抑圧されたのである。」
(http://nation.time.com/2012/12/11/why-japan-is-still-not-sorry-enough/)

著者のトマス・U・バーガー氏はボストン大学准教授であり,本書もきわもの時局本ではない。知日派と思われる著者が,このような本を書かねばならないような事態に,日本は立ち至っているのである。

3.先祖返り「ロマン」と実利的「国益」
現代がグローバル化時代であることは,誰もが認める常識。そのグローバル化時代に,近隣関係をぶち壊し,アメリカにも軽蔑され,世界社会での孤立を招くような愚行に,なぜ突き進むのか? 復古ナショナリストのお題目たる「国益」を害しているのは,いわゆる「平和ぼけ」の平和主義者ではなく,まさに彼ら,ロマンチックな懐古趣味ナショナリストらだ。

そもそも尖閣でドンパチやっても,日本に勝ち目はない。イザとなったら,アメリカは日本を切る。先祖返りはアメリカへの裏切りだし,ちっぽけな日本よりも巨大中国をとるのは当然だからだ。中国は,現実主義という点でアメリカと同類。日本のロマンは理解不能だが,同類の中国とは,現実主義的「実利」で「実務的」に理解し妥協しうる。

日本は,夢見るロマンチストであり,理解不能の神秘の国。それでも,霞を食って生きる覚悟があれば細々と生きられるかもしれないが,それはイヤ,俗臭ぷんぷん,贅沢三昧浪費生活を続けようとする。破綻必定。

ロマンチックな「美しい国」たらんと欲するなら,鎖国せよ。いやなら,世界社会の中で常識をわきまえて行動する「実務的」な国家となれ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/27 at 13:19

台湾と日本と「固有の領土」

訪台翌日の日曜日(4月21日),台北市内を見て歩いた。予備知識ゼロに近く,単なる物見遊山だが,それなりに面白かった。

1.清潔な街と親切な市民
感心したのは,街が清潔で,バイクなどもきちんと整列駐車されていたこと。また,龍山寺や,二二八国家紀念館,中正記念堂,台北植物園なども,すべて無料。美しく管理運営されており,係員も親切だ。

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 ■古い下町だが清潔。車用信号にも待ち時間秒数表示(2013/04/21)

2.台湾独立デモ
台北駅近くの繁華街交差点では,台湾独立デモ(民進党系?)をやっていた。大きな旗に「建立自由民主的国家 台湾独立 揚棄大中国主義」,「要做台湾国的主人 台湾独立 不做外来者的奴隷」,「廃除国民党殖民体制 台湾独立 創造人人平等的社会」といったスローガンを大書し,練り歩く。

方法はユニーク。交差点の歩道を左回りに何回も回る。青で歩行者と一緒に渡り,赤で待ち,青でまた渡る。エンドレス。整然とアピールしており,通行妨害にならず,警察も阻止しない。

中国語はよく分からないが,漢字から推察するに,これは反政府デモであり,相当な危険が伴う政治的行為であろう。少し離れたところから,警察が監視し,ビデオに撮っていた。

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 ■交差点の台湾独立デモ(2013/04/21)

3.「一つの中国」・「各自表明」・「一国二区」
予備知識ゼロながら,このデモの場合のように,台湾で国家の根本的な在り方に触れることの危うさは,直感的に感じ取ることが出来る。

(1)「一つの中国」
大陸の中国(中華人民共和国)政府は,いうまでもなく「一つの中国」であり,台湾は「中国固有の領土」。中国政府は,このことをあらゆる機会に繰り返し,諸外国に確認させてきた。われらがネパールも,「一つの中国」を支持すると前置きしてからでないと,いかなる外交交渉のテーブルにも着かせてもらえない。それほど敏感な問題なのだ。

(2)「各自表明」
台湾も,長らく逆の立場から,「一つの中国」論であった。しかし,大陸で共産党支配体制が確立すると,中華民国による中国統一はほぼ絶望的となってしまった。

そこで1992年,台湾は中国との間で「九二共識(合意)」を取り結び,「一中各表」の立場をとるようになった。(野党民進党は「共識」に否定的)。つまり,「一つの中国」原則を堅持しつつも,それぞれがその解釈を「表明する」という考え方である。馬英九総統(国民党)は,第2期総統就任演説(2012年5月20日)において,こう述べている。

『私はここで、中華民国憲法が両岸関係に取り組むにあたって最高の指導原則であるということを謹んで申し上げます。両岸政策は中華民国憲法の枠組みのもと、「統一せず、独立せず、武力行使せず」という台湾海峡の現状を維持し、「1992年コンセンサス、一つの中国の解釈を各自表明する(九二共識、一中各表)」を基礎とし、両岸の和平を推進しなければなりません。そして、私たちの言う「一つの中国」とはもちろん、中華民国のことです。中華民国の領土は憲法に基づき、台湾と中国大陸を包括していますが、現時点で政府の統治権が及ぶのは台湾・澎湖・金門・馬祖にとどまっています。つまり、この20年来、憲法による両岸の位置付けは「一つの中華民国、二つの地区」であり、3人の総統の時期を通して、まったく変わりはありません。これは、もっとも理性的で実務的な位置付けであり、中華民国の遠い未来を見据えた発展と、台湾の安全保障のよりどころとなっています。両岸はこの現実を直視しつつ、共通点を求めて相違を残し、「相互の主権を承認せず、相互の統治権を否認せず」という共通認識を確立してこそ、安心して前に進むことができるのです。』(http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=190743&CtNode=1892)

130426c ■馬総統(総統府HP)

(3)「一国二区」と台湾独立
この馬総統の「九二共識」・「一中各表」は,たしかに「実務的」であり,折衷的な二面性を持つ。それは,一方では,中国統治への譲歩ないし台湾吸収の恐れがある反面,他方では,「一つの中国,二つの地区(一国二区)」が,それ自体,論理内在的に,台湾の自治から自決へ,つまり台湾独立への含意をもつことも否定できない。その意味では,野党民進党の台湾独立と相容れないわけではない。

グローバル化世界は,まさにその方向に向かっている。国家主権は,EUを筆頭に多くの国で多かれ少なかれ相対化され,各民族・各地域に大幅な自治権が認められるようになってきた。「一国」は,たとえ残るとしても名目に近くなり,「各表」が実質となりつつあるのだ。これが世界の流れ。

台湾の場合,内部に原住民族・本省人・外省人の対立があり,さらにこれに大陸中国との対立があるので,たしかに複雑で難しいが,現代政治の原則そのものからいえば,その地域に住む人々が,その地域のことを決めるべきであり,もしそうであるとするなら,台湾独立に向かうのは時代の流れといえよう。

とはいえ,大陸中国と台湾の対立は厳しい。「一つの中国」か「独立台湾」かのガチンコ勝負に走れば,台湾にはミサイルが降り注ぎ,瞬く間に火の海,防ぎようもない。したがって,国民党,民進党いずれの政権にせよ,用心深く「一中各表」を前進させ,実利を拡大して行かざるをえない。それが,現実的な,政治的に賢明なやり方である。「政治」は,もともと「実務」に他ならないからだ。

4.ロマンとしての「日本固有の領土」
これに比べ,日本の「固有の領土」論は,気恥ずかしくなるくらいロマンチックで,稚拙だ。

歴史をさかのぼれば,人類は地球上をあちこち移動していたのであり,「固有の領土」など,どこにもない。 (国際法上の狭義の領土規定はあるが。) 沖縄も北海道も,その意味では「日本固有の領土」ではない。東京の日本国政府に,沖縄を「日本固有の領土」などと決めつける権利はない。沖縄は,そこに住む人々のものであり,まずは彼らが沖縄のことを考え,自分たちで決め実施していく。これが大原則であり,グローバル化時代の世界の流れでもある。

それなのに,安倍首相,石原維新代表らは,時代錯誤のウルトラ・ナショナリズム(超国家主義)を墓場から掘り出し,神国日本の「固有の領土」を守れ,とヒステリックに絶叫している。神国神話で日本は灰燼に帰した。その苦い歴史から,日本は何も学ぼうとはしない。さすが善良なる臣民の国,日本だ。

この安倍・石原流アナクロ国家主義からすれば,沖縄も日本の「固有の領土」であり,お国のためならば,「捨て石」にされても当然ということになる。かつては陛下の大日本帝国のために,そして今は大和人の日本国のために。これは,「一つの中国」を振りかざし,チベットや辺境自治区を抑圧するときの中国政府と同じ論法だ。いや,より正確には,中国の大国的「固有の領土」論の,小国的・内弁慶的矮小化版といってもよいだろう。

いまや,日本のゾンビ超国家主義が日本の「国益」を著しく害していることは,自明の事実だ。尖閣は,実効支配していたにもかかわらず,わざわざ「固有の領土」を言い立て,係争地たることを全世界に知らしめ,「国益」を回復不可能なほど損なってしまった。閣僚らの靖国参拝は,近隣諸国の激しい怒りを買うばかりか,世界中でドイツとの対比を再燃させ,日本を孤立に追い込みかねない愚行だ。こんなことを続けていると,中国だけでなく,世界中で日本ボイコット運動が起こりかねない。アメリカですら,先祖返り日本は見捨てるであろう。いま日本「国益」を危機に陥らせつつあるのは,安倍・石原流アナクロ矮小ナショナリズムだ。

130426d ■尖閣諸島(外務省HP)

5.台湾の実務外交に学ぶ
日本は,中国とのつきあい方を,台湾に学ぶべきだ。台湾は,すでに人間開発指数(HDI)の「高度人間開発達成国」であり,韓国とほぼ同等。フリーダムハウス「世界の自由2013年」では,日本や韓国と同じレベルの「自由国」。エコノミスト「民主化インデックス2012年」では,やや評価が低く,韓国(20位)と日本(23位)が「完全民主国」であるのに対し,台湾は世界35位で,「不完全民主国」。しかし,全体としてみれば,指数的には,台湾はすでに日本とほぼ同等の先進国と評価できるであろう。

その台湾にとって,対岸の中国は,日本とは比較にならないほど緊迫した具体的な「脅威」であろう。ロマンチックな「固有の領土」を唱えようものなら,たちまちミサイルが降り注ぎかねない。その緊迫した重圧の下で,とりあえずは「一中各表」により「実務的」に共存共栄を図っているのは,綱渡りとはいえ,高く評価すべきだ。

政治は,もともと愛国心のロマンを追うものではなく,現実的な「実利」のための「実務」だからである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/25 at 20:17

台湾のネパール

台湾(台北)の明志科技大学で「ネパールの社会と文化」をテーマに,特別授業をしてきた。最近はパワーポイントがどこでも使えるので,USBメモリ1本を持って行けばよく,便利。少々安易だが,学生も教員もネパールに行ったことはないということなので,概要の紹介だけでも,それなりの意味はあったのではないか,とひそかに期待している。

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 ■明志科技大学キャンパスと門前のセブンイレブン看板(2013/04/22)

台湾に行くのは初めて。台北市内は,日本の都市とほとんど変わりはない。ファミリーマート(全家),7 Elevenがいたるところにあり,店内にはおにぎり,おでんや菓子など日本と同じ商品がたくさん並べてある。(ホテル近くに「ローソン」もあったが,これは日本とは別系統かもしれない。) 回転寿司も多いし,「長崎ちゃんぽん」も見かけた。空港の出入国も,至って簡単。な~んにも面倒なことはない。

と,そんな台北で,ネパール(尼泊爾)レストランも頑張っていた。台北駅の美しく広い駅ビル内に,「五島うどん」と並び,堂々の出店。さすが,ネパール人はたくましい。安くてボリュームがあり,適度に現地の味に合わせてあるので,美味。台湾でも日本と同様,ネパール・レストランは各地に広がっていくだろう。頑張れ,ネパール!

130423b  ■尼泊爾咖哩(ネパールカレー)広告看板(2013/04/22)

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 ■ネパール・レストラン(左)と五島うどん店(右端)(2013/04/22)

【追加】
「ナマステ・カレー」,「塔美爾尼泊爾咖哩(タメル・ネパール・カレー)」というのもある。系列店か,同じ店かもしれないが,ご参考までに。
Restaurant review: Namaste Curry 塔美爾異國風
塔美爾尼泊爾咖哩

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/23 at 17:28

カテゴリー: 文化, 旅行

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インフレ10.2%に学ぶ

ネパールの3月インフレ率は,堂々の10.2%。食料,衣類,履き物,住宅,公共料金など,軒並み値上がりした。特に食料品の値上がり幅が大きい(Republica,Apr16)。

ネパールのインフレ率(indexmundi)
[1998]11.8, [1999]3.3, [2001]2.8, [2002]2.9, [2005]7.8, [2006]8.6, [2007]6.4, [2008]7.7, [2009]13.2, [2010]8.6, [2011] 9.1
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日本バクチ経済のインフレ目標は,たかだか2%。それすら実現は怪しい。10.2%など,夢のまた夢だ。安倍=黒田バクチ胴元は,ネパールに学ぶべきだろう。

インフレ率10.2%ともなれば,庶民にはたまったものではない。次は,いよいよ本物のプロレタリアート社会主義革命となるのではないだろうか? これも,バクチ経済ですっからかんになるであろう日本人民のお手本になるかもしれない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/17 at 19:46

カテゴリー: 経済

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制憲議会選挙,11月実施へ

主要4党と選挙管理委員会,レグミ議長(首相代行)およびヤダブ大統領は,制憲議会選挙の6月21日実施を諦め,11月15-21日実施とすることに,ほぼ合意した。プラチャンダ議長の中国帰国後,正式発表とのこと(ekantipur, Apr15,2013)。

ところが,選管から内閣に送られた「制憲議会議員令2013年(案)」をめぐって,またまたもめ始めた。論点は3つ。

(1)比例制で,得票率1%未満政党を切り捨てる。
(2)受刑者は,刑期満了後6年以上の者のみ,立候補資格あり。
(3)立候補者は,選挙前に所有財産を開示。また,立候補預託金は5000ルピー。

この3点について,マオイストと,他の小政党が反対している。もめると,11月選挙も難しくなる。

それにしても,いったい誰が,選挙をこんなに「精緻」に,複雑に,しようとしているのか? 制度は所詮道具であり,簡明なものに限る。複雑にすればするほど,カネと手間がかかり,内外の選挙産業,セミナー産業,援助産業,そして政党ボスを太らせるだけだ。

先進諸国は,次の選挙では,一切手を引き,ネパールの人々に全部まかせてみてはいかがか。プラスチック投票箱がなくても,コンピューターがなくても,選挙はできる。全部任せてしまえば,ネパールの人々は,自分たちの予算と人員と経験知の範囲内で実行可能なような簡潔な方法を工夫し,選挙を実施するにちがいない。

政治にも,適正技術は,ある。

130416 ■選挙の高度複雑化(選管HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/16 at 18:05

信仰の自由と強者の権利

1.強者の権利
自由は,多くの場合,「強者の権利(強者の自由)」である。弱者に自由はない。自由は,一般に,人が何かをしようとするとき妨害や禁止をされず,自分の思い通り行為できる状態を意味する。いわゆる消極的自由(negative freedom)である。この自由は,J.S.ミルが『自由論』(1859年)において論証したように,人間本性の要求であり,この自由により人間とその社会は進歩する。

しかし,その反面,自由が強者の権利であることもまた,疑いえない真実である。自由は,一般に,強者が権益を拡大し確保するため主張される。世界では18世紀末~19世紀の大英帝国や20世紀以降の米帝国,現代日本では大規模チェーン店や宅急便など。強者は,禁止や規制がなければ,自分の力(精神的,物理的,経済的,文化的など)により競争に打ち勝ち得るので,自由を求めるのである。弱者は,自由競争の下では,負けるのみ。

2.弱者のための自由制限
自由は強者の権利であるという「不都合な真実」は,政治や経済においては,あまりにも露骨なので,その「不都合」を軽減するため,様々な自由制限が行われる。たとえば,ネパール暫定憲法では,包摂民主主義の大原則によりクオータ制など,多くの自由制限が設けられている。あるいは,特定産業保護のための規制は,ネパールだけでなく,どの国でも多かれ少なかれ行われている。自由が制限されなければ,平等はないのである。

3.信教の自由と神々の自由競争
この点で難しいのが,精神的自由,特に信教の自由だ。日本国憲法は,次のように定めている。

第19条 思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。
第20条 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。

このように,信教の自由は,無条件に保障されているようにみえる。しかし,実際には,これは形式的保障にすぎず,一定の社会的条件が,暗黙の裡に前提とされている。その条件が満たされていなければ,弱者には,実質的な信教の自由はない。

信教(宗教)の前に,精神や魂の本質にかかわるという点ではよく似ている言語について見ておくと,分かりやすい。

ネパールでは,1990年革命以前の開発独裁においては,ネパール語が国語とされ,国語教育が推進された。先進諸国が日本を含め,すべてやってきたことだ。ところが,1990年革命により他の諸言語の自由も認められ,2006年革命によりその自由がさらに手厚く保障されるようになった。いまでは,どの言語を学び使うかは,本人の自由である。

その結果,どうなったか? いうまでもなく,最強言語たる英語の勝利だ。少数言語,いやネパール語ですら,形式的な「言語の自由」は保障されていても,実際には見捨てられ,英語化が着々と進行している。言語には言語をもって闘えなどといわれても,どだい言語圏勢力格差は巨大であり,競争にはならない。言語の自由市場競争には公正はない。

宗教は,魂の救済にかかわるだけに,言語の場合に勝るとも劣らず深刻だ。人間と同様,神々も社会の中で闘争し,自由競争が保障されれば,社会的強者の神が勝つ。言語と同じこと。いまネパールで,その神々の自由市場競争が始まりつつある。

4.キリスト教への改宗急増
ネパールにおける神々の競争において優勢に立つのは,いうまでもなくキリスト教だ。『ゴルカパトラ(ネット版)』(4月12日)は,フェイスブックでの次のような議論を紹介している。

英字紙編集長「1985年,政府は,キリスト教に改宗させたとして,キリスト教徒80名を逮捕・投獄した。」
BBCネパール元記者「20年後の今日,『民主主義』のもとで,政府は,改宗に反対したとして,非キリスト教徒を何人も逮捕・投獄しそうな状況だ。」

この編集長と元記者の名前は記されていないが,議論は宗教をめぐる現状の核心を突いている。記事によれば,キリスト教への改宗急増は,外からの大量援助によるものだ。教会は都市でも地方でも,いたるところで急増,貧困層,とくにダリットやジャナジャーティをカネやモノで釣り,改宗させているという。

「たしかに,世俗国家では,どの宗教を選択しようが,自由だ。しかし,ネパールでは,世俗が,貧しいネパール人をキリスト教に改宗させる目的で,悪用されている。ネパール人をキリスト教に改宗させるために使われるカネがいくらか正確には分からないが,総額は年数十億ルピーにものぼるはずだ。また,政党の中には,キリスト教組織からカネをもらっているものもあるといわれている。

このままでは,寺院の街カトマンズは,すぐに教会の街となる。さらに,改宗急増は,社会の平和と調和を乱すことになるだろう。雌牛や雄牛を殺し牛肉を出す店も増えてきたが,これは雌牛をラクシュミ女神の化身と信じているヒンドゥー教徒との対立をもたらすにちがいない。

多くのレストランやホテルは,すでに牛肉を大っぴらに売り始めた。ほんの10年前までであれば,信じられないような光景だ。マハボーダ付近で売られている1皿10ルピーのモモは,牛肉だといわれている。

・・・・偉大な聖者たちは,様々な宗教やそれらの目標に何の相違も認めていない。もしそうなら,改宗しても,たいした違いはない。ところが,それにもかかわらず,多くの人々が続々とキリスト教に改宗しており,これが聖者や修行者や知識人らを心配させている。しかし,彼らには,改宗急増を食い止める手立ては何もないのだ。」(上掲ゴルカパトラ)

130415  ■聖牛の国,ネパール

5.経済外強制と経済的強制
この記事を掲載しているゴルカパトラは,体制メディアだから,ヒンドゥー教王国懐旧記事を掲載しても不思議ではない。しかし,それを留保しても,この記事がグローバル市場競争社会化の本質を突く真実を簡潔明快に剔出していることは,事実である。

人は,自由,特に魂や精神の自由を求める。それは人間存在の本質であり,それに反対することは出来ない。建前としての正義は,信仰の自由を掲げる側にある。

しかし,その信仰の自由といえども,社会内での自由であり,たとえ経済外強制はなくとも,経済的強制は,歴然として,ある。もしそうなら,経済外強制は認められないのに,経済的強制は許されるのは,なぜなのか? 経済活動・市場経済は自由だからだ,というのは資本主義社会の強者の強弁にすぎない。経済的弱者は,経済的強制により,事実上,信教の自由をすらも奪われている。

ゴルカパトラ記事がいいたかったのは,ヒンドゥー教は,キリスト教というよりは,資本主義教・自由市場信仰に,抵抗のすべもなく無残にも敗退しつつある,ということであろう。ネパール語や他の民族諸言語と同様に。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/15 at 16:54