ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

プライバシーと「忘れられる権利」

1.「忘れられる権利」判決
EU司法裁判所が5月13日,スペイン男性の「忘れられる権利(rights to be forgotten)」を認め,グーグルに対し,過去の新聞掲載債務関係公告へのリンク削除を命令した。問題発生時の公告掲載は適法でも,時間の経過により「忘れられる権利」が成立する,という理屈だ。

以前であれば,新聞等で報道されても,小さな問題や事件はすぐ忘れられ,よほどのことがなければ,知るのは難しい。また,知ろうとも思わない。

ところが,インターネットの普及により,ネット上の記録は半永久的となり,容易に検索・発見することができるようになった。世界の誰でも,知りたいと思う人の名前や関連用語を入力し検索すれば,記録の有無,あればその内容が瞬時に表示される。いったんネットに記録されてしまえば,世界万民監視,一生,いや死後ですら,過去の束縛から逃れられない。

それは,いくらなんでもヒドイ,というのが良識,とくに保守主義の本場ヨーロッパの常識だ。EU司法裁判所が,今回,「忘れられる権利」を認めたのは当然と言ってよいであろう。

140617 ■Google検索

2.「知る権利」との関係
一方,「忘れられる権利」の適用には,現実には,難しい問題もある。以前であれば,時間が自然に「忘れられる権利」を成立させてくれた。ところが,ネット時代になると,誰かが人為的に「忘れられる権利」の成立を認定せざるをえない。殺到するであろう消去要求をどうさばくか? 削除基準をどうするか? 有力者や有力機関の権力や金力をバックとする削減要求から市民の「知る権利」をどう守るか? いずれも難しい問題である。が,もはや,その問題との格闘を避けて通ることはできない。

3.「プライバシーの権利」との関係
この「忘れられる権利」とは別だが,実際には不可分の関係にあるのが,どこまでプライバシーをネット上に掲載できるか,という問題。たとえば,グーグルのストリートビュー。

ストリートビューについては,何度か批判した。解像度が劇的に向上し,撮影場所も路地裏にまで入り込みつつある。プライバシー侵害は,すでに許容範囲を超えているのではないか?

たとえば,自宅前で洗濯物を干している女性,玄関で誰かと話している男性,車で誰かと出かける青年等々。申し訳程度にぼかしが入れてあるが,知人,地元民なら,すぐだれか判別できる。

ストリートビューでは,まだ名前検索はできないが,地名入力すれば場所の検索は可能。地域の個々人の生活や人間関係が具体的にわかる。グーグルにプライバシーを暴かれ,半永久的に保存され,世界中にばら撒かれたくなければ,トイレにでも隠れて生活せざるをえない。

また,グーグルに許されるのなら,私たちも車にカメラを装着し,あるいは自宅軒下に監視カメラを設置し,手あたり次第撮影し,ネット上に掲載してもよいことになる。自宅トイレなど密室を一歩出たら,プライバシーなきものと覚悟せよ!

4.神の域に近づくグーグルや百度
私たちは,神の前では一切の隠し事はできない。神は,寝室も風呂もトイレも,すべて見ておられる。そして,すべてを永遠に記憶され,いつでも呼び出し現前せしめられる。グーグルや百度は,着実に神の域に近づきつつある。

140617b ■百度検索

[参照]
京都の米軍基地(41):住民監視の現状
京都の米軍基地(37):丸裸の監視社会
自衛隊員の「つぶやき」:万人監視社会への警鐘
京都の米軍基地(32):捨て石としての沖縄・グアム・京丹後
京都の米軍基地(23):特定秘密としてのXバンドレーダー

谷川昌幸(C)