ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

渥美資子さんとNBSAのユニークな支援活動

渥美資子さんが,2014年8月10日,休養帰国中の東京で亡くなられた。まだ60歳すこしのはず,まったくもって惜しまれる。

140919a ■渥美さんとグワッチャさん:広島講演会(AICAT=中国新聞2002/5/18)

1.NBSAの活動
渥美さんが,NBSA(Nepal Blind Support Association,ネパールの視覚障害者を支える会)を本格的に立ち上げられたのは,2002年3月。以来,12年の長きにわたり,しかも人民戦争とその後の大混乱の中で,NBSAの様々な支援活動を現地ネパールにおいて精力的に続けてこられた。主な活動は以下の通り。
 *視覚障害者訓練所兼集会所の開設・運営
 *点字情報誌『タッチ』発行
 *カセットライブラリー,トーキングブック(大学教科書,小説などの音読録音ライブラリー)の作成・発行
 *音声パソコン講習会
 *「子供クイズ大会」を毎年夏の「子供の日」に実施
 *点字講習会
 *裁縫,アイロンがけなどの家事訓練
 *つめ切り,顔剃りなどの身だしなみ訓練
 *「白杖の日」行事参加
 *各種障害者団体との連携事業
 *日本でのNBSA活動報告会(年1回開催)
 [参照]NBSAホームページ

140919c 140919d ■裁縫訓練/爪切り訓練(渥美2008年9月)

2.ユニークな自立支援
私は,これらの活動のほんの一部を拝見したにすぎないが,それでも渥美さんのユニークな支援方法に強い印象を受け,多くを教えられた。

第一に,渥美さんには,視覚障害者支援に強い関心をもち,信念を持って取り組んでいたが,それにもかかわらず,支援者が陥りがちな「押しつけ支援」的なところは全く見られなかった。視覚障害者の自立が支援目的なので,はたから見ていると冷たくさえ感じるほど,障害者自身の努力に任せていた。

最も印象的だったのは,毎年夏に開催の「子供クイズ大会」。大会の運営はすべてネパール側に任されていたし,また,視覚障害者のクイズ問答も驚くほど高度なものであった。
 [参照]視覚障害児クイズ大会

第二に,渥美さんもNBSA活動の宣伝はされていたが,それでも,あえて組織を大きくしようとはせず,視覚障害者個々人の自立努力を見守ることが出来る範囲にとどめられていた。カトマンズにほぼ通年居住し,活動されているのに,この自己抑制。見習おうとしても,なかなか出来ない規律ある態度である。

このように,渥美さんの活動は,専門外の私が年一度の訪ネの際,垣間見る程度にすぎなかったが,それでも強い印象を受けるユニークなものであった。この渥美さんの信念,活動への献身は,そもそも何に由って来たるものであったのだろうか?

3.死生観
ネパール視覚障害者支援の動機について,直接,渥美さんにお伺いしたことはない。視覚障害者問題は専門外なので,渥美さんとの議論は,ネパールの文化や政治に関するものが多かった。

そうした議論の中で,最も興味深かったのが,死に関する渥美さんの考え方。

ネパールは,死に満ちあふれていた。出生率は高いが,母子死亡率も高かった。平均余命は短く,特に医療不備の地方では,人はあっけなく死んだ。死はごく身近な現象であった。(最近は大幅に改善されているが,まだまだ不十分。)

人が死ぬと,遺体は川岸のガートの火葬場で荼毘に付される。薪を積み,遺体を乗せ,焼き,灰は川に流す。即物的であり,身体が焼け,灰となっていくのが,丸見えだ。その限りでは,サンマやブタの丸焼きと,何ら変わりはない。その光景は,よそ者の目には,厳粛,非日常とはほど遠い。人間も,生ある無数のものの一つとして生まれ,死ぬにすぎない。やるせない無常観,そこはかとない寂寥観に囚われざるをえない。

カトマンズに居住しネパールのそのような死を日々目にしていたであろう渥美さんの死生観は,極めて即物的であり,死は自然現象の一つにすぎない,というものであった。しかもその上,渥美さんは唯物論者であり,ヒンドゥー教や仏教の信仰はない。したがって,輪廻転生を信じることにより,自然現象としての死を意味づけ受け入れるという逃げ道もない。死は死であり,ただそれだけ。

140919b ■日常の中の死:パシュパチナート(Ekantipur)

4.評価峻拒の支援活動
私が聞きえた限りでは,渥美さんの死生観は,このようなものであったが,もしそうだとすると,NBSA活動の動機は何であり,それをどう意義づけられていたのであろうか? 

現世での世間的評価を全くといってよいほど気にかけていなかったことは,先述の通りだ。現世的成功は目的ではない。では,死後の評価はどうか? ネパール人民,人類,歴史など,何でもよいが,そのような個々人の存在を超えて存続すると想定されるものへの貢献と,その結果としての評価。これについても,渥美さんははっきりと否定された。そのような超個人的なものによる意義づけは無用だというのだ。

世評にも,何らかの普遍的理念や価値にも訴えないとすると,残るは,働きかけるネパール視覚障害者との関係だけだが,ここでも渥美さんは,彼らからの感謝や評価を特段期待しているようには,少なくとも私には見えなかった。淡々と,しかし本気でもって献身的に,NBSA活動に打ち込むだけ。

このような評価峻拒の支援活動そのものへの献身を12年の長きにわたって続けることが,どうして出来たのか? まったくもって凡人には解きがたい,大きな謎である。

5.没後の評価
渥美さん本人はNBSA活動の評価を峻拒ないし超越していたが,没後の現在,世間がそれをしていけないわけはない。専門外の私が年一回の訪ネで垣間見ただけでも,NBSAの活動はユニークであり,指導者養成など,ネパール視覚障害者自立運動にいくつもの重要な貢献をしている。これは,今後,日ネ両国において正当に評価されるべきであろう。

――以上は,渥美さんの訃報を聞き,私が感じたこと,思ったことを,あやふやな記憶を頼りに書き記したにすぎない。事実関係や解釈の間違いが多々あるかもしれないが,それらは,もし天国というものがあり,そこで再びお目にかかる機会があれば,お叱りいただき,訂正させていただくことにしたい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/09/19 @ 13:52