ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

花の宝塚とゼロ戦と特攻顕彰碑

散歩がてら近所の桜見物に出かけた。公園や古道沿いの桜は満開,ウグイスがさえずり,カワセミ(!)が小川の岸の茂みから小魚をうかがう。春爛漫。

陽気に誘われ,ちょっと足を延ばし――といっても十数分だが――宝塚聖天(七宝山了徳密院)に行くと,ここも満開,スミレや山ツツジなども咲き,まるで別天地。

と,そのとき,上方に巨大なゼロ戦が現れた。おそらく実物大,いまにも出撃しそうだ。ギョッとし,おそるおそる近づくと,それは戦没者慰霊堂「光明殿」(昭和53年8月建立)の屋上に設置された精巧なモニュメントであった。

この「光明殿」に祀られているのは全国陸海空戦没者250万の英霊ということだが,ここで特に目につくのは予科練(海軍飛行予科練習生)の顕彰・慰霊である。宝塚聖天は以前から知っており,近くを幾度か通ったこともあるが,まったくもって不覚なことに,宝塚とは切っても切れない関係にある,この異彩を放つ光明殿とゼロ戦の存在には,まったく気づかなかった。

 150401h■宝塚聖天付近(同HPより

海軍というと,内陸の宝塚になぜその予科練がといぶかしがられるかもしれないが,宝塚には訓練のための適当な建物や用地あるいは川西航空機製作所(その跡地が阪神競馬場)などもあったこともあり,昭和18年8月「海軍航空隊宝塚分遣隊」が設置され,20年3月には「宝塚海軍航空隊」へと昇格した。本拠は「宝塚新温泉」。

宝塚に集められたのは,第13期~16期甲種海軍飛行予科練習生(甲飛)。年齢は14~20歳くらいで各期約1000人,常時3500~4000人が訓練を受けていたという。

宝塚歌劇場は接収され,大劇場は体操場,音楽学校は通信訓練用,バレエ稽古場は住居として使用された。この間,歌劇団は「移動隊」「唱舞団」「挺身隊」などとして知覧,満州などへの慰問や,川西航空機などへの勤労奉仕に動員された。

宝塚海軍航空隊は,戦況悪化により昭和20年6月解隊。設置期間は短かったが,ここで訓練を受けた甲種飛行予科訓練生(甲飛)からは特攻要員が各地に送られた(人数不明)。とくに,第13期甲飛卒業生の多くは,特攻機に乗ることすら叶わず,人間魚雷「回天」要員に回されたという(人数不明)。また,第16期訓練生たちは要塞構築に動員され,昭和20年8月2日,鳴門海峡で米機攻撃を受け,82名が戦死した。

いまの華やかな宝塚からは,ほんの数十年前,14~20歳の少年や青年が搭乗訓練あるいは特攻訓練をうけ,また清楚で可憐なタカラジェンヌ(ヅカガール)たちが慰問や勤労奉仕に動員されたことなど,よほどのことがなければ想像もつかないだろう。

宝塚歌劇が華麗であればあるほど,桜花が咲き誇れば誇るほど,「宝塚海軍航空隊」は思い起こされてしかるべきである。宝塚観劇の前に,あるいは後に,宝塚聖天に参拝する。宝塚歌劇の感動が,より深く心に刻まれることは,いうまでもない。

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■満開の桜とゼロ戦(寺院境内より)/光明殿(慰霊堂)正面

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■光明殿上のゼロ戦/光明殿内

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■「神風特別攻撃隊之魁 甲飛十期之碑」/戦死者墓碑(光明殿前)

150401b ■遺書・遺詠(光明殿右下)

*「<終戦69年 消えゆく証>宝塚聖天/訓練施設跡」神戸新聞NEXT,2014年8月14日
*「宝塚プラス:花薫り めぐり 100年」毎日新聞,2014年4月15日
*「衣装を作業服へ-戦時下の宝塚歌劇」朝日デジタルhttp://astand.asahi.com/entertainment/starfile/OSK201208130039.html
*「海軍飛行予科練習生」朝日新聞朝刊広島,2011年9月1日
*「予科練とは?」(『月刊予科練』平成20年11月号)http://www.geocities.jp/bane2161/yokaren.html
*WIKI「宝塚海軍航空隊」「海軍飛行予科練習生」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/04/02 @ 17:08

カテゴリー: 軍事, 平和, 歴史

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